軌跡

蓬田雪

軌跡

 人は脆く、儚いものだ。

「なんでだよ。なんで黙ってたんだよ」

 もう一度言おう。人は脆く、儚い。

 無尽蔵に思える時間がここにはあった。時が止まるとはまさにこのことだろう。

 小さく狭い和室に、人が出入りをしている。絶え間なく、いつまでも。しかし、俺はしゃがみ込んだまま、動けないでいた。

「征軌(まさき)が死んで悲しいのは、あんただけじゃないんだよ。ここで止まっていたら邪魔だから、一度外に出よう」

 母のその言葉に、俺はうなずくことしかできなかった。



 征軌が死んだと知ったのは、二日前のことだった。

 電話が鳴った。母からだった。俺は学校にいた。それを聞いてから、学校を飛び出して、教えられた病院に向かった。

 征軌はすでに息絶えていた。きれいな顔だった。人の死に顔をみたことはなかったが、彼が安らかに死んだのはわかった。

 ただ、何もわからなかった。小中と同じクラスだったのに。高校も同じだったのに。親友なのに。なぜ彼が死んだのか。何もわからなかった、

 ——彼に持病があったなんて、まったく知らなかった。

 あの時から今まで、俺はなにをしていたのだろうか。記憶がない。



 外の空気は美味しくなかった。都内にしては自然が多い場所なのに、今は空気が美味しくない。お香の匂いが漂ってくる。

 母とともに帰る道すがら、夕焼けが見えることに気がついた。俺と母を照らす薄い光は、真っ暗な夜が訪れるのを示唆しているようで、直視できなかった。

 早足で歩いた。少しでもあの場から離れたかったから。

 ずいぶんと歩いたはずなのに、お香が臭っているように感じて、身体がソワソワした。ふと腕を見ると、鳥膚がたっていた。


「待ってください!」

 突然耳の中に轟音が鳴り響いた。俺たちは後ろへ振り向く。そこには、やつれた顔の征軌の母がいた。

「この度は、その……不幸でしたね」

 征軌の母はうつむく。

「いえ、それよりも……」

 顔をあげる。きっと、征軌が死んでからほとんど何も食べていないんだろう。彼女は未だ三十代のはずなのに、肌に張りがなく、目の下はクマばかりで、正直、彼女の目を見るのが憚られた。

「お渡ししたいものがあるんです」

 彼女は筒を取り出した。現代で筒に物を入れたがるのは、征軌くらいであろう。あいつは「温故知新。古きを知らずして、なぜ新しいものが生まれようか」などと言って、古風なものをよく使っていた。

「征軌から、あなたへです」

 征軌から俺に?

思えば、高校に入ってから、彼とはあまり話さなくなってしまった。なのに、なぜ俺に?

 彼女のか細い手から、筒を受け取る。

 筒から中身を取り出す。中には紙が入っていた。

「手紙?」

 中身は手紙だった。そういえば、彼との出会いも、手紙からだったように思う。



 あれは小四の頃だったように思う。俺が家でゲームをしていると、突然、窓に軽い何かが当たったような音が聞こえた。二階建ての一軒家だ。誰かが窓を叩くようなことはないはずだ。そう思い、窓をおそるおそる開けてみた。家の前の道路には、俺と同じくらいの背丈のガキがいた。

「君、その紙飛行機を読んでくれるかい?」

 少年はふてぶてしくもそんなことを言ってきた。幸い、紙飛行機は窓から手の届く距離に着地していた。

「なんでこれを読まなきゃならないのさ」

 ゲームを中断された怒りのまま、むすっとして俺は彼に言った。

「別に読みたくないのなら読まなくたって良い。読まないのなら、読んでくれる他の人を探すまでさ。今のところ、君は僕の中で無数にいるモブの一人にすぎないからね」

 その言い方に子どもだった俺は腹がたった。ムキになって、紙飛行機のをとった手紙に目を通す。


『どうもこんにちは。僕は中込征軌(なかごめまさき)。少し僕のことを知ってもらいたくてこの手紙を書いた。僕は何不自由のない生活を送っている、家族に恵まれ、才能に恵まれている。身体に異常もない。しかし、一つ足りないものがある。それは友だ。なぜだか知らないが、僕の周りには友と呼べるものがいない。友がいれば、共に泣き、笑い、共に高め合うことができるという。つまり、切磋琢磨することができるそうだ。僕は友が欲しくて、この手紙を書いた。どうか、僕の友となってくれないだろうか。

                 拝啓 僕の友たり得る人へ        』

 

 関わりたくない。それがこれを最初に読んだ俺の感想だった。勝手に人の家の窓に紙飛行機をぶつける神経も言語道断であるし、手紙の内容が自己愛にあふれすぎている。ナルシストだ。

〈才能に恵まれている〉という言葉を自分で言う人間を、俺は今までみたことがなかった。

「で、どうかな。僕と友達になってくれるかい?」

「断る」

 バタッ。俺は窓を閉めた。ついでにカーテンもしめた。俺の中では、こいつを遮光する決意が固まっていた。

 しかし、あいつはしつこかった。窓にぶつけられるのが嫌で、彼との手紙BOXを住人のいない犬小屋の中に置いたのに、そこを使わず、彼は窓に紙飛行機をぶつけ続けた。これが永遠と続き、さすがに無視するのも面倒くさくなり、友となることを了承した。

 話してみると、彼とは意外と馬が合った。変なやつだが、家でゲームばかりするよりもよっぽど、RPGをプレイするよりもよっぽど、彼との会話は刺激的だった。



「あんた、聞いてるの?」

 母の問いかけに、俺は現実に引き戻された。そうだ、征軌から手紙を受け取ったんだ。読まなければ。

「中込さんが、」

「すみません。これ今ここで読んでも良いですか。」

「あんたねぇ……人の話も聞いてないで自分のことばっかり言いだして」

「いえ、構いませんよ」

 その言葉を聞いて、俺は手紙に目を通した


『君に手紙を書くのは何年ぶりかな。以前に手紙を書いた時には、その場で読んでもらっていたけど、君がこれを読むころにはもう僕はいないだろうからね。君がこの手紙で感情がごちゃまぜになる表情を見れなくて残念だよ。

 さて、本題に移ろうか。まず、感謝を。僕は君と出会えて本当に良かったと思う。正直、今思うと君にとって、僕という存在は当初、面倒くさいだけのものだっただろうね。しかし、君は僕の希望にこたえてくれた。君がいなければ、僕の人生はここまで楽しいものにはならなかっただろうね。

 次に、言い訳を。僕が言い訳するのなんて柄じゃないんだが、君は思っているだろう?

 〈なぜ征軌は持病を隠していたのか〉ってね。結論から言おう。君には、僕のことを同情せずに接してもらいたかったからさ。僕はずっと、同情されてきたんだ。周りから。仲良くしてくれる同級生はいた。しかし、それは僕の〈持病〉に同情したからで、僕自身と仲良くしたいと思ってのことじゃない。それは、友とはいえない。だから、本当の友となる人物には、持病のことは黙っていようと思っていたんだよ。

 加えていうと、実は、君のことは紙飛行機を飛ばす前から知っていてね。同じ小学校内だから人の噂はよく聞くんだよ。〈正義感たっぷりで、人情深い人がいる〉ってね。だから、実は君にしかあの手紙は送っていなかったんだ。

 君は僕の望んだように、いやそれ以上に、僕自身のことを認めてくれた。それが僕は本当に嬉しかったんだ。君と接しているうちに気づいたよ。君は持病のことを言っても、同情なんかせずに、僕自身に対して接してくれるって。でも、次には君を心配させたくないという思いが出てきたんだ。まぁ、その結果、君をやるせない気持ちにさせてしまっているのだろうから、本末転倒といえるかもしれないね。

 さて、長くなったが、最後にお願いしたいことがある。僕には夢があるんだ。僕は文学が好きでね、小説をいつか書きたいと思っていた。で、実は一作だけ書いてみたんだ。しかし、書ききることはできなかった。その続きを、君が創ってくれないだろうか。これは僕の一生の……いや、もう一生は終わっているか。とにかく、本当に大切なお願いだ。 

 君と出会えて、本当に良かったよ  

                  拝啓 親友になった君へ        』


 ポツ、ポツ……水滴が落ちる。雨でも降っているのか、あいつからの手紙が濡れてしまうではないか。筒に手紙をしまう。結局、征軌の思うように、俺は感情をぐちゃぐちゃにされてしまった。感謝、言い訳、出会いの秘密……すべてが、俺の心に複雑に侵入してくる。しかし、悪い気はしなかった。

 ——最後のお願いの、小説は、どこにあるのだろうか。

「すみません。ほかに、征軌からの紙って何か受け取っていますか」

 筒のなかは手紙しか入っていない。

「いいえ、これだけですが……」

 ならば小説は彼の家ではなく、別の場所にあるのだろうか。あるとすれば俺とお前の頭で共有された場所。かつ、おそらくこれを征軌が書いたのは持病が深刻になり始めたころだと思うから、結構な間放置されても良い場所。雨に濡れない場所……

「まさか」

 俺は飛び出した。征軌の母には失礼だが、今はそんなこと考えている余裕はない。走る。走る。走る。夕焼け空が沈み、夜一色へと染まっていく。そろそろ星が出てくる時間だろうか。走る、走る、走る…

「着いた」

 やってきたのは、俺の家だった。庭から、犬小屋へと向かう。『手紙BOX』と、幼い字で書かれた段ボールの中には、茶封筒があった。

「なんで最後だけここに出してくるんだろうな」

 視界が潤む。しかし、あいつの願いだ。

 封筒を開ける。中には紙束。チラッとみると、最初の十五ページ分は書いてあるようだ。

 題名に目を通す。

『君と僕の交わした手紙。百年を生きる君へ』

 ……どうやら、俺は百歳まで生きて、残りの八十五ページを埋めなければならないらしい。

 ふと空を見る。星々が、輝いている。

 星々の海の中に、ひとつ、ものすごいスピードで泳ぐ魚がいた。流れ星だ。流れ星は、すぐに消えてしまった。あの流れ星も、儚い存在に思える。すぐに消えてしまうのだから。しかし、実際は見えなくなっただけで、どこかで生きているのだ。

 ——俺は、見えなくなったお前の、その先を生きるよ。

 流星の軌跡が、俺の進む道を、照らしている。

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