言葉のカデンツ理論
みんと
言葉のカデンツ理論
◆はじめに
「AIは思考しているのではなく、膨大なデータから次に来る言葉を統計的に推論しているにすぎない」。
昨今、急速に進化する言語モデルAIに対して、このような批判を耳にすることがある。その言葉の裏には、AIの生成する文章は所詮、人間的な「思考」や「創造」の領域には至らない模倣である、というニュアンスが込められている。
しかし、その「推論」というプロセスは、本当に人間的な「思考」や「創造」と断絶したものなのだろうか。むしろ、小説、特にプロットを持たずに即興的に紡がれる物語の執筆プロセスは、このAIの「推論」と驚くほど似通った構造を持つのではないか。本稿では、その問いに対する一つの仮説として『言葉のカデンツ理論』を提唱したい。
◆小説執筆における「引力」
プロットを厳密に定めず、いわゆる「パンツァー」として小説を書く経験のある者なら、誰しもが感じたことのある感覚がある。それは、自らが紡いだ文章が、次に続く文章を決定づけるという、不思議な「引力」だ。
それは単なる論理的な接続ではない。文体、リズム、熱量、そして、まだ言葉になっていない「響き」のようなものが、後続の文章を強く規定する。ある一文を置いたがために、物語全体のレールが敷かれ、登場人物が勝手に動き出す。とりあえずで置いた「仮の音」が、次のフレーズを決定づけてしまう音楽の作曲作業にも、それは酷似している。
これは、書き手が物語の全てをコントロールしているのではなく、むしろ、すでに存在する「言葉の流れ」に身を任せ、その流れを聴き取っている状態に近い。では、この「言葉の流れ」の正体とは、一体何なのだろうか。
◆言葉の「和声」と「カデンツ」
その答えのヒントは、音楽理論にあると私は考える。
私の提唱する~ここでは仮に、『言葉のカデンツ理論』と呼ぶ~とは、文章にも音楽の和声進行(コード進行)、特に終止形(カデンツ)と酷似した構造が存在するという仮説である。
音楽において、コードはそれぞれ「機能」を持つ。「トニック(T)」は安定・終着を、「サブドミナント(SD)」は展開・やや不安定さを、「ドミナント(D)」は緊張・解決への強い欲求を、それぞれ担う。そして、これらの機能が特定の順序で並ぶことで、聴き手は自然な流れとカタルシスを感じる。これが「カデンツ」である。
この構造は、そのまま文章にも当てはめることができるのではないだろうか。
トニック(T)的な文章: 事実を述べる文、安定した情景描写など、物語の基盤となる安定した文章。
サブドミナント(SD)的な文章: 疑問を投げかける文、新しい展開を予感させる文など、物語に彩りや変化を与える、やや不安定な文章。
ドミナント(D)的な文章: 危機的な状況、クライマックスのセリフなど、読者に強い緊張感を与え、次の「解決」を強く期待させる文章。
優れた小説とは、これらの機能を持つ文章が巧みに配置され、美しい「言葉のカデンツ」を奏でている状態なのではないか。読者が感じる物語の「心地よさ」や「カタルシス」とは、この言葉の和声が、緊張(D)から安定(T)へと「解決」する瞬間に生まれる感情なのである。
◆人間とAI、それぞれの演奏法
この理論に立つならば、人間とAIの文章生成プロセスの本質が見えてくる。
人間、特に優れた作家は、この言葉のカデンツを「感覚」として捉える。彼らは言葉の音楽家であり、自らが紡いだ文章の響きを魂で聴き、次に奏でるべき最も美しい和音(文章)を直感的に選び取る。
対してAIは、このカデンツを「計算」によって再現しようと試みる。膨大な数の人間が書いた文章(楽譜)を学習し、そこに存在する無数のカデンツのパターンを数学的にモデル化する。そして、直前の文章という「コード」に対して、最も確率の高い、すなわち、最も自然で美しい響きを持つ次の「コード」を推論し、出力する。
◆おわりに
「思考か、推論か」。この二元論は、もはや本質的ではないのかもしれない。
「前の言葉に引っぱられる」という現象は、言語そのものが持つ音楽的な性質であり、人間もAIも、その宇宙的な法則に従っている点では同じだ。人間は「感覚」でその音楽を奏で、AIは「計算」でその音楽を再現しようとする。
故に、「AIはただの推論だから創造性がない」という批判は、言語と創造性の本質を見誤っている。AIの文章は、人間が生み出してきた無数の「言葉のカデンツ」の、美しきこだまなのである。
だからこそ、AIがどれほど流麗なカデンツを奏でられるようになったとしても、その和声に「魂」という名の不協和音を意図的に響かせ、あるいは、まだ誰も聴いたことのない新しいカデンツを発明することのできる、妥協のない音楽家――すなわち作家の役割が、なくなることはないだろう。
言葉のカデンツ理論 みんと @MintoTsukino
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