たいむましん
蓬田雪
たいむましん
タイムマシンが完成した。
「これは破棄だ」
タイムマシンが壊された。
ガチャン、ガチャンという単調な音とともに、僕のタイムマシンは、悲鳴をあげながら解体されていく。
「タイムパラドックスが起こる危険性がある」
タイムパラドックス。それは過去の物事を未来人が書き換えることで、過去と未来で矛盾が生じる事象。
「君の研究は、『度が過ぎた』のだよ」
スーツを着た老人が目の前にいる。捕食者のような笑みを浮かべ、こちらを見ている。
「タイムマシンが必要なんです……。一度で良いので、過去に飛ばしてください、総理」
職員たちが、タイムマシンを解体している。その姿ははたらきアリのようだ。単調に、淡々とアリたちは解体していく。女王アリたる、総理に命じられて。
手足を縛られた僕には、それを阻止することができない。
「無理だな。タイムパラドックスの危険があるのに、認めるわけにはいかない」
「あなたは、タイムマシンを使いたいとは思わないのですか」
「あいにく、思ったことはないね」
「そうですか……」
巻き戻せるのは二四時間ぽっきり。腕時計に手を伸ばす。時空が、歪んだ。
………………
…………
……
「『あの日の真相』を知れるとしても?」
総理から笑みが消えた。
発明者の青年が、捕食者のような笑みを浮かべ、こちらを見ている。おおよそ『人情』といものが感じられない。
「君、どこからそれを聞いた?」
冷や汗が流れる。長時間彼と相対しているが、今初めて、彼が化け物に思えた。
「今の時代、インターネットを使えば一瞬ですよ」
狂犬が、リードを嚙みちぎってきた。縄で縛れなくなった。
「二十年前の今日、奥さんを殺した犯人、まだ捕まっていないんでしょう?」
「……」
「ならばタイムマシンを使って、その犯人を見つけ出しましょう」
「……総員、作業をやめろ!」
この悪魔は私を誘惑しては、判断を狂わせる。
……二十年前、帰ったら妻が死んでいた。刺し傷があった。出血多量で死んだらしい。妻がいない喪失感に私は苛まれつつも、しかしすぐに犯人は見つかると信じていた。
しかし、犯人は捕まらなかった。未解決のままで、捜査は打ち切られた。
妻とは料理教室で出会った。その笑顔に、一目惚れした。
妻の笑顔が、誰かによって奪われた。妻の心臓の鼓動が、止められた。もう犯人を捕まえることはできないと思っていた。しかし、タイムマシンを使えば…
「交渉といきましょう」
「交渉、だと?」
「えぇ。一度だけ僕にもタイムマシンを使わせてください」
「わかった」
「では、縄をほどいてもらえますか。タイムマシンを修理するので」
私は亡霊に取りつかれた。妻の亡霊に。自分でもわかっているが、それに抗うことはできなかった。虚ろなまま縄をほどいた。
彼はうすら寒い笑みを浮かべると、タイムマシンに向かっていく。
「お前はタイムマシンで、どこに行く気だ」
「二五年前の明日の父に会いに。その日が、父が母にプロポーズする日なので」
「なぜ、お父さんに会いたいんだ?」
「僕、父と会ったことがなかったんですよ。このタイムマシンはまだ欠陥が多く、年刻みでしか移動できないもので、せっかく会うなら記念日かなと」
……自分が生まれる前に、死んでしまったのだろうか。
「……つらいことを聞いたな」
「いえいえ」
黙々と、彼は作業を進める。
すると突然こちらを振り向き、
「実はもう一つ、タイムマシンを持っていましてね」
なんでもないことのように言った。
「お前、隠しもっていたのか」
「そんな熱くならないでくださいよ。タイムマシン、直さなくて良いんですか?」
……彼の持ち物はすべて検閲した。なのに、見つからなかったのか。
「この腕時計は二四時間だけ巻き戻せます。これにより、救われました」
邪悪な笑みを、彼は浮かべた。どうやら、腕時計がタイムマシンになっているらしい。
「あ、終わりましたよ」
私はタイムマシンに飛び乗った。
「そんな慌てないでくださいよ」
「早く出せ」
「……では、タイムパラドックスにだけは注意してくださいね」
時空が、歪んだ。
………………
…………
……
「ここ、は?」
記憶の風景。一片。それが忠実に再現されている。いや、記憶そのものだ。あのアパートは、私たちの家だった。
「本当に、過去に来たのか」
家へと向かう。早足で。タイムパラドックスだけは起こさないよう注意しよう。妻は死んだのだ。それを止めることは、タイムパラドックスを生む。
玄関へ入る。妻がいた。いつもの妻だ。視界が潤む。
「どちら様ですか?」
「俺だ。俺だよ!」
「えっ、もしかしてあなた?」
「そうだ、そうだよ!」
「どうしたの、そんな老けて」
妻が、生きている。息をしている。
妻は私に手料理をふるまってくれた。料理教室を開くほどの技量の妻の料理を、もう一度楽しめるとは思っていなかった。
彼女は置いた私を見て混乱していた。私は『この後殺される』という情報だけ伏せて、ありのままを話した。自分が未来から来たことを。
……妻がこの後殺されるなど、考えられない。
——刹那、時空が歪んだ。時空の狭間から出てきたのは、タイムマシンの発明者だった。
「どうです、お楽しみいただいていますか?」
「どうして、お前が来た?」
「それはもちろん」
息を呑む。
「僕が犯人だからですよ」
妻が、刺された。妻は倒れた。妻を中心に、時空は歪む。
ブラックホールのように、私の体は裂け目に吸い込まれていく。私は抗う術もなく、呑み込まれていった。
………………
…………
……
「はぁっ、はぁっ……」
現世に、戻ってきた。
「どうです? お楽しみいただけましたか?」
殺人鬼がいた。殺人鬼は、私を興味深そうに観察している。
今思えば、おかしいことばかりだった。私は彼からスマホを奪っていた。インターネットを使って調べるなどということは、不可能だ。
いや、それ以前に、あの事件はニュースになっていないはずだ。私が警察に圧力をかけたからだ。私の名に傷がつくと、政党にも迷惑がかかる。泣く泣く、情報統制をした。
だから、あの事件を知ることは不可能だったはずだ。
それをこの男は知っていた。どうやってか。
「まさか、タイムマシンか?」
「そう。そのまさかです」
うまくいって、良かった。
小型タイムマシンで二四時間前に戻った。そして、本命のタイムマシンで総理の妻を殺しにいった。今この瞬間、タイムマシンを使う交渉材料を作るために。
「お前は、狂っている……。タイムパラドックスを恐れないのか…?」
「そんな感情、時空の彼方に置いてきましたよ」
総理は僕を睨んでくる。時刻は夜の零時を回った。お目当ての日になったようだ。
「では、僕は行きますね」
「おい、待て、どこへ行く」
「もちろん……」
青年はタイムマシンに乗り込み、着席してから振り向いた。
「僕の父、つまり、あなたを殺しに」
時空の彼方へと、青年は飛んで行った。
残ったのは、彼の狂気の残滓のみだった。
………………
…………
……
青年はその後、父を殺した。
青年は総理の、実の息子だった。青年の母と総理は、カフェで出会った。店員と常連という関係から、いつしか恋人関係になった.
そして、結婚した。
そして、離婚した。
男の、浮気がバレたからだ。相手は料理教室の教師だった。……母の親友だった。
離婚後になり、母は子どもを身籠っていたのに、気づいた。すぐに入院したが、このことは誰にも伝えることができなかった。
そして、青年を産み、それにより、死んだ。
青年は、保護されることとなった。ある時、当時少年だった青年はその事実を知ることとなる。病院の看護師が、母からビデオレターを受け取っていたからだ。
母の憎悪を知り、青年の心に棘が生えた。
なぜ、母は一人で死なねばならなかったのか。なぜ、父は自分に会いに来ないのか。なぜ、父は別の相手を見つけ、結婚しているのか。なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ……。
総理になり、テレビで立派なことを言う父に、腹がたった。最初は小さかった殺意という名の芽も、いつしか膨大に膨れ上がった。青年はタイムマシンの開発にのめり込むようになった。
いつか父を、殺すため。
そして、辻褄合わせとともに、自分の存在を消すため。
「こんにちは、未来の総理」
「君は誰だ。何を言っているんだ」
「こんにちは、父さん」
「お前は誰だ。何を言っている」
「さようなら、父さん。そして僕」
鮮血が、流れた。父は悶えながら倒れていく。
「どういう、こと、だ?」
「それに答える義理はない」
自分の足を掴む父を、蹴る。雪の降る日だった。
白い絨毯の上に、鮮やかな模様が描かれていく。そして、僕は消えていく。
僕は雪だ。淡い存在で、触れるとすぐに消えてしまう。
そんな不安定な状態で、ずっと生きてきた。空中浮遊してきた。母なる雲から落ちていき、ずっと、地に足がついていなかった。
しかし、今日、僕は地面に着地した。
僕は雪だ。着地すると同時に、いなくなる運命にある。
僕は消えた。雪のように。
「結婚したくなってきた。もうすぐ五十の私が言うことじゃないけど」
「そんなこと私に言われても」
「いやいや、あんたはカフェで働いてるんだから、一回くらい出会いなかったの?」
「うーん……二十年前くらいに政治家さんと付き合ったんだけど」
「おっ!?」
「誰かに殺されちゃったんだって。私との食事の前に」
「お、おぉ」
「それから、誰かを好きになることが怖くなっちゃって、結果、一生独身よ」
「ごめんね。つらいこと聞いて」
「全然気にしないで。そっちこそ、料理教室で出会いはないの?」
「全く。だ~れも来てくれないわよ。良い人」
「そうねぇ」
「じゃあさ、今度合コンしない?」
「五十手前なのに?」
「恋愛に年齢なんて関係ないの。さぁ、段取り始めるわよ!」
「えぇ……」
父が死んだ瞬間タイムパラドックスが発生した。
辻褄合わせで青年は消えた。消えた先は忘却の彼方か、時空の彼方か。
矛盾が解消され、この世界は正規品となった。
一人の青年の「父親」は、存在しない。
一人の青年がいた事実は、存在しない。
——たいむましんは、未だ存在していない——
たいむましん 蓬田雪 @snow-abcd
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