第8話:堺×純綿×用心棒(中)

「でんしゃ?」

「馬には、まだ乗れないです」

 次郎の思わぬ発言に、新九郎は思わず二度聞きをした。当然ながら、この当時電車というものは存在せず、震旦ならまだしも、馬車というものも本朝には存在しなかった。一方で、次郎はまだ馬にきちんと乗れない旨を返答したが、新九郎にとってそれは些細な返答にすぎた。当然のように、新九郎は電車なる未知の産物について次郎を問いただすことにした。

「で、あろうの。この前も落馬したところを見た覚えがある。そんなことより、でんしゃとはなんじゃ」

 傍目にも鼻息が荒く見えるほどの顔で次郎にその「でんしゃ」がどういったものかを聞く新九郎、妙齢の美女がふんすふんすと無邪気にわくわくしている表情を見て、次郎は若干、返答に迷った。もちろんそれは、どう説明すれば彼女を納得させることができるか、ということもだが……。

「あー……。電気で動く、定期便みたいなもんです」

 次郎もまた、現代文明の概念を知って使っているわけではない。と、いうより、概念を理解して現代文明の産物を使っている民間人など稀であろう。そういう意味では、むしろこの当時の人間の方がはるかに英知、つまりは眼前の産物を理解して使っているという意味においては鋭利とすら言えた。そして案の定、新九郎はまた未知の用語が出たことに、目を輝かせて質問した。

「でんき? き、とつくのならば、何らかの気で動くものなのか?」

「…………あとで説明します。僕も、全部を知っているわけではありませんので……」

「おう、必ずだぞ」

 そして、次郎は説明を延期させた。次郎は少なくとも先ほどまで、少なくとも一か月前までは学生であり、授業で習っている範囲であれば本来説明可能であるが、そんな学生は稀であろう、次郎もまた、その辺りは決して、真面目とは言えない人物でもあったからだ。

 そして、今は明応七年閏十月下旬、堺へ出向くと決まった次郎は、若干すくんでいた。無理もあるまい、京洛から堺の町へ徒歩で向かうとなると、道路の舗装された現代でも少なく見積もって12時間以上かかる道のりである。冬の寒い日取りで12時間歩くとなると、勿論日帰りでは不可能で、途中で宿を取るにしても何日かはかかりそうなものである。当時の軍勢でも、途中の休止を入れて8時間も歩けば合格ラインなのである、現代人の次郎にとって、それは途方もない距離に見えた。

 とはいえ、新九郎は端っから堺の町まで歩いて向かう気はなかった。と、いうのも……。

「何をしている、次郎。さすがに船着き場までは歩くぞ」

 歩き始めた新九郎は、次郎の足が若干すくんでいるのは気が付かなかったのか、あるいは気が付いていても何も感じなかったのか、狼狽えている次郎に声を掛けた。その声に感情らしきものは籠っておらず、次の次郎の告げたことに対して、若干考え込んだ。

「……船着き場?」

「ああ。……おぬし、まさか堺まで歩く気でいたのか? だとすると、ある意味で根性はあるか……」

 京洛には、琵琶湖から流れる淀川水系の川が存在しており、その名前は京洛では鴨川、桂川、宇治川などと名前は変わっているものの、概ね淀川水系なので以後この川はまとめて作中では淀川と呼ぶことにする、その川は本朝の川としては非常に広いので船が往来しており、京洛から堺、あるいは逆に堺から京洛へと行き交う、ある種の定期便が存在していた。尤も、後代の列車のように発着時間が分刻単位で決まっているわけでもなければ料金もまちまち、といったところであったが、少なくとも京洛から堺まで歩く手間に比べれば遙かに楽な代物であった。後代の人間は意識することが少ないが、船舶による運搬という行為はこの時代において非常に一般的な手段であった。

「船、あるんですか?」

 思わず聞き返す次郎。それに対して、新九郎は非常に呆れた声で次郎に船の存在を告げた。その声は非常に呆れたものであり、しかして蔑んだものとは言い難い、ある種の愛着から来る声であった。

「当たり前だろう、上り方面ならまだしも、下り方面であるならば大して時間もかからんからな」

 川舟は速度によって値段も違ったが、下り方面、つまりは近江から京洛へ、そして河内を経て泉州堺まで向かう舟は、上り方面の、つまりは京洛へ逆流れをする便に比べて、ある程度安かった。それはもちろん、船頭が流れに逆らって漕がなくても良いから、というのもあったが、ここでは存在しないとはいえ「入鉄砲に出女」の言葉通り、京洛が首都である以上は人質的存在が京洛から出たり、あるいは京洛に軍勢を入れたりする行為でもなければ、関所の審査もそれなりになおざりではあった。とはいえ、この時代関所は別の意味を持っていたのだが、それはまあ、その状況が次郎に関わるまでは、おこう。

 そして、淀川水系を往来する船舶の船着き場まで一行(次郎、新九郎、用心棒×3)が歩いていると、向こうから妙なものが見え始めた。明らかにやんごとなきところの姫だろうに、護衛も連れていない。というか、今日日十二単など儀式以外で0身につける者は非常に稀であり、さらにそれを普段使いしているということは惜しくもないのだろう。たなびく黒髪は引きずるほどには長くはなかったものの、明らかに膝丈までは存在していた。よくよく見ると、供の者が居ないにもかかわらず引きずっていない辺り、恐らく十二単ではなかったのだが、だとしても珍妙に過ぎた。

「……えーと、新九郎さん、あれって……」

 さすがに次郎も珍妙な現象だと勘づいたのか、新九郎にその姫が誰か聞こうとしたのだが、かなり真剣な顔で新九郎は、次郎を咎めた。だが、それは次郎にとっては、若干に滑稽な話題であった。というのも。

「しっ、目を合わせるな。声も控えておけ。あれは六条御息女と言ってな、怨霊の一種だ。くれぐれも引き寄せられるんじゃないぞ」

「えっ」

 ……次郎は、現代人である。ゆえに霊魂などの存在を信じておらず、眼前の姫が科学で証明できると思っていた。だが、新九郎はいたって真剣に、その姫の存在を「怨霊」である、と断言した。その口調は、からかいではありえなかった。

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大公立志伝  天狗の章 みょ~じ★ @harimaya

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