第55話 天からの手、地獄のエサ箱 (完結)
エサ箱の中は、つい先ほどまで奇妙に心地よい空間だった。
柔らかな床に穏やかな風、
魔物たちは敵意を忘れたかのようにスヤスヤ眠り、
ヨードやその配下も静かに時をやり過ごしていた。
だが、それはほんの束の間の夢だった。
天蓋のような空を突き破り、
巨大な「手」が伸びてきたのだ。
その手は容赦なく魔物を一匹、
また一匹とわしづかみにすると、
抗う暇も与えずどこかへと引きずり去っていった。
「ひ、ひぃぃーっ!」
「うわあああっ!」
「ぎゃあああーっ!」
頭上で影が揺れた。
「天から手が伸びてきたぁぁぁ!」
「うわっ、また誰か持ってかれたぞっ!」
魔物たちの悲鳴と怒号が飛び交っていた。
「おいコラっ! あっち行けっ! いや来んなっ!」
バタバタ走り回る魔物どもに、ヨードが怒鳴る。
「うわ、また降ってきたぞ! ぎゃああっ!」
ドサッ。頭の上に、もぎ取られた足が落ちてくる。
「ひ、ひぃぃーーっ! 足っ!足だけぇぇ!」
「どこのホラー映画だってんだよこらあっ!」
ヨードがツッコミながら足を蹴り飛ばす。
「ヨードさまぁー! 助けてくださぁーい!」
魔物たちが泣きついてくる。
「おい! 俺様の背中に隠れるんじゃねえっ!
どうせ次は俺様がターゲットだろーが!
ドッキリかここはっ!」
天から再び影が伸びる。
「やべっ! 次はこっちだ! 逃げろ逃げろっ!」
ヨードが叫ぶが、
魔物たちは混乱しすぎて反対方向へ走っていく。
「なんでそっち行くんだよっ!
そこ一番行っちゃダメなところだろっ!
全員カンペ見ながら動いてんのか!?
お笑いの練習かよ!」
フロルが顔を青くして叫んだ。
「ヨ、ヨード様! 自分……もうダメかもしれません……」
「バカ言えっ!
お前がいなくなったら誰がボケ担当するんだっ!
クロル、お前もだ!
無言で突っ立つな! ツッコミしろツッコミ!」
「え? ええーっ!?」とクロルが半泣きで返す。
そこへ再び、巨大な手がぬうっと差し伸べられた。
「おいおい、まだ持ってくのかよ!
働きすぎだろその手ぇ! 休憩しろっ!」
ヨードが全力で叫ぶが、もちろん届くわけもない。
魔物たちはまた四方八方へ散り散りに逃げ惑う。
「おい! そっちも行き止まりだって!
だから地図確認しろって!
ああもう……!
全員マラソン大会でコースアウトするタイプかよ!」
地獄の悲鳴とヨードのツッコミが、
エサ箱の中にこだまする。
再び、手が降ってくる。
魔物たちは一斉に、絶望と混乱の中で右往左往した。
――エサ箱の中に平和はもうなかった。
場面は変わって――
大イワナ釣りの滝壺。
シュンヘイとイモリスは並んで腰を下ろし、
仲良く釣り糸を垂らしていた。
「ほーれ、イモっぺ。エサつけたぞ」
シュンヘイが差し出す。
「わー、ありがとうシュンちゃん」
イモリスはぱっと顔をほころばせる。
「さっきのは頭ついでて、
なんかピーピーうるさかったがらな。
今度は頭とっておいたから静かだべ」
「んだんだ。
あれじゃ魚もビックリして逃げてまうもんなぁ」
イモリスはうんうん頷きながら針を水に沈めた。
二人のやりとりは、滝の音に混ざって、
どこかのんびりと響いていた。
「ひ、ひぃぃー!
今度は……あ、頭が降ってきたああっー!」
魔物たちが一斉に悲鳴を上げる。
「ぎゃああっ!
踏むな踏むな!頭が転がってきただろうが!」
「うわああっ!
液がっ!液が耳ん中に入ったぁぁっ!」
「な、なんて酷いことするんだあぁぁっ!」
文句と怒号が飛び交う。
「ひとごろしーーっ!!」
「おにーーっ! あくまーーっ!」
「人でなしぃぃ! バケモノぉぉ!」
「オレたちの手足を返せーーっ!」
「保険おりんのかコレぇぇ!? 労災だぞーーっ!」
「こんなんじゃ結婚できねえぇ! 俺の将来どうしてくれんだよぉ!」
「痛いのイヤだってアンケートに書いたのにぃぃ!」
エサ箱のあちこちから口々に魔物たちの罵声が飛んだ。
「お、おまえら落ち着けっ!
“人でなし”も“悪魔”も、
もとから俺らの肩書きみたいなもんだろーがっ!」
ヨードが必死に怒鳴るが、
魔物たちは耳に入っていない。
「肩書きとオレらの痛みは別問題だー!」
「上から落ちてくる腕の雨にビクビクしてる
こっちの身にもなれぇぇー!」
ヨードは頭を抱えながら、
「くそぉ……ここはもはや地獄絵図ってより、
ドッキリ大成功じゃねぇかよ……」
「でもお、隊ちょ……じゃなくてヨード様あっ!
俺の隣で寝てたヤツ、さっき手だけ持ってかれたんすよぉ!
腕がポトッて戻ってきて俺の顔にベチャッて!」
「わーっ!言うな思い出させんな!」
「ぎゃああー!今度は足だっ!足が降ってきたああっ!」
魔物たちは頭を抱えて転げ回り、もはや大混乱。
ヨードは額に手を当てて、青筋を立てながら叫んだ。
「チキショウっ!
おーい、誰かこの中に回復魔法使えるやつはいるかーっ!」
ヨードが両手を口に当ててがなり立てる。
……シーン。
「おいおい、誰もいねえのかよっ!
じゃあこの中に――
お医者さんはいませんかー!?
医術の心得があるひとはー!?」
……やっぱりシーン。
ヨードは額を押さえて大げさにのけぞった。
「マジかよっ!
こんだけいて一人もいねえとか……
全っ然使えねぇっ!」
魔物たちは悲鳴を上げたり、
頭を抱えて走り回ったりでてんでバラバラ。
ヨードの突っ込みは、誰にも届かない。
エサ箱の中はカオスであった。
「あーん、またエサだけ取られてるぅ……」
イモリスがぷくっと頬をふくらませた。
「またかー? イモっぺ、しょうがねえなあ……」
シュンヘイは苦笑しつつ、
針から古いエサを外してやる。
「ほれ、またつけてやったから、
ちょっと待ってろ」
イモリスはじっとシュンヘイの横顔を見つめていた。
「……なんか最近、シュンちゃん優しくなったね」
「んだが……? ……あ、あれだべ、その……」
シュンヘイは急に言いよどみ、頬をかく。
「……イモっぺ、その洋服……似合ってるよ」
はにかみながら言うシュンヘイ。
イモリスは青いワンピースを着ていた。
「え? そ、そんなこと言われると……
おら、照れるだなぁ」
イモリスはもじもじと指先を合わせる。
二人の間に、しばし初々しく、
純情で良い雰囲気が流れる。
「……よ、よしっ!」
シュンヘイが突然立ち上がる。
「今度はもうちょっと、
イキのいいエサつけてみっか!」
そう言って、エサ箱に手を伸ばす――。
「うわああああっ!
ま、また天から手がああああーっ!」
パニックの叫び声が響く。
次の瞬間――
「ぎゃあああっ!?」
フロルが天の巨大な手につまみ上げられた。
「お、おいっ! フロル早く逃げろ! がんばれっ!」
ヨードが必死に叫ぶ。
だがフロルは、胸の前で両手を祈りの形に組み、
妙に悟った顔でつぶやいた。
「ああ……父上、母上……先立つ不幸を……ど、どうかお許しくださ……」
「バ、バカッ!
勝手に最期の挨拶してんじゃねぇっ!」
ヨードが顔を真っ赤にして怒鳴る。
「諦めるなっ! 諦めたらそこで終了だぞっ!
暗黒騎士の意地を見せろ!」
必死に叫びながらも、
彼自身も全身ガタガタ震えていた。
「くそっ! こうなったら……
いつまでもやられっぱなしでたまるかっ!」
ヨードが地面を蹴りつける。
「おいっ! クロル! オマエも手伝え!」
「は、はいっ!」
クロルも青ざめながら剣を構える。
ヨードは大きく剣を振りかぶり、叫んだ。
「俺様の――
最大最強の奥義をお見舞いしてやるっ!」
「わ、分かりましたっ!」
クロルも必死に頷き、呼吸を合わせる。
「いくぞっ! 喰らえ――!」
ヨードが天に剣を突き上げた。
「漆黒爆裂暗黒竜剣――ッ!!」
轟々と黒いオーラが剣先に集まり、
天から伸びた巨大な手へと叩きつけられる――
「……あ、いてっ!」
シュンヘイが小さく声を上げて手を振った。
「どうしただ、シュンちゃん?」
隣で竿を握っていたイモリスがすぐに身を乗り出す。
「ちこっと……噛まれたみてえだ」
シュンヘイは指先をちらりと見せる。
「どれ見せてみろ――
あ、ちっと血が出てるでねえか!」
イモリスは大げさに眉をひそめた。
「だーい丈夫だって、これくらい」
シュンヘイは苦笑しつつ手を振るが――
「ダメだー!
バイキン入って後で腫れちまうかも知んねえし!」
イモリスは慌てて腰袋をごそごそ探り、
「フローラねえちゃんから貰ったやつで
消毒するから、待ってろ!」と、真剣な表情で言った。
消毒液をちょん、とつけて絆創膏をぺたり。
「ほい、これでよし!」
「まったく……大げさだべ。
……でも、サンキューな、イモっぺ」
シュンヘイが少し照れ臭そうに笑うと、
イモリスも頬を赤らめながら笑い返す。
「大したことないだよ」
ふと、場に気まずいような、
くすぐったい沈黙が落ちた。
竿の先で水面がきらりと揺れる。
シュンヘイはゴホンと咳払いして、
「……やっぱアイツはまた今度にしよう。
イキがいいからまだ大丈夫だべ」
そう言って、違うエサに手を伸ばした。
「おおおおおーーっ!
手が……手が逃げていったぞぉぉっ!」
「う、嘘だろ!?
あの地獄の手が……怯んだぁぁーっ!」
「さすがヨード様だっ!
我らが子爵様、万歳いぃーっ!」
「よっ! あんたが大将!
いや、大将どころか救世主だ!」
「神だっ! いやもう神を超えた存在だっ!」
「ヨード様ー! 惚れましたぁぁぁーっ!」
「キャーー! ヨード様ぁぁ!」
なぜか一部の魔物は黄色い声を上げて手を振り出す始末。
「見ろよ! あの背中! あれぞ魔族の鑑!」
「俺たちもヨード様に一生ついていきますっ!」
「今日から俺、ヨード教に入信するわ!」
魔物たちは一斉に土下座するやら、
涙を流すやら、勝手に宗教じみた熱狂に変わっていた。
「ヨード様ぁぁぁーーっ!
ああ……あの恐ろしい手から救ってくださって、
本当にありがとうございますぅぅっ!」
フロルは涙でぐしゃぐしゃになりながら、
地面に頭をこすりつける勢いで頭を下げた。
「俺、もう一生ついていきます!
命、差し出します! 魂でも、借金でもっ!」
「いやマジで惚れた! ヨード様最高!」
周囲の魔物たちも一斉にわんわん泣きながら、
両手を合わせて拝み出す。
「へっ、いいってことよ!」
ヨードは胸を張り、
腰に手を当ててドヤァと仁王立ち。
その背中にスポットライトでも当たっているかのように、
魔物たちから歓声と拍手が飛び交う。
「また次に来たら、
俺様がぶっ飛ばしてやるぜっ!」
キラリと歯を光らせるヨード。
「キャーーッ! ヨード様ぁぁぁ!」
「かっけぇーーっ!
今の決め台詞、座右の銘にしますっ!」
「今、俺、ヨード様のサイン欲しい!」
もはや地獄のエサ箱は、
ヨード一人を称える宗教じみた祭り会場と化していた。
「……あっ! また来ましたぁぁぁぁーっ!」
前線の魔物が絶叫すると同時に、
エサ箱の中の全員の顔が青ざめる。
「ぎゃああっ! 来るな来るな来るなーーっ!」
「俺まだ貯金箱に小銭入れっぱなしなんだよぉぉ!」
「母ちゃーん!
俺、嫁もらう夢まだ諦めてねえのにーーっ!」
四方八方から悲鳴と泣き声が響き渡る。
「よーし任せろっ! 今度こそトドメだ!
奥義――ッ!」
ヨードが仁王立ちになり、剣を空に突き上げる。
その背後に後光が差して見えるほどのドヤ顔だ。
「我らも! 暗黒騎士の誉を持って!」
フロルとクロルが涙目のまま必死に剣を構え、
ヨードに続く。
三人の声が重なる!
「くらええぇぇーーーっ!!!」
――ガキイイイイン!!!
衝撃音が箱の中に響きわたり、
光と風圧が吹き荒れる!
「や、やったか……?」
魔物たちが固唾をのんで見守る。
だが次の瞬間――
「っ……だ、ダメです!」
「ぜ、全部はね返されましたぁぁぁぁっ!!!」
フロルとクロルの悲鳴がエコーのように響き渡る。
「な、なんだこの装甲はっ!
バカみてえに硬えぞ! 鉄壁か!
いや超合金か! つーかどこのマジンガーだよっ!?」
ヨードが歯を食いしばりながら絶叫するが、
天の手は微動だにせず、
ますます容赦なく迫ってくるのだった。
「ひぃぃーっ! お助けをーっ!」
「また仲間がぁぁーっ!」
魔物たちが泣き叫ぶ中、
巨大な手は容赦なく魔物を一匹さらい上げていった。
「ち、チキショウ!
俺様の奥義がへなちょこ扱いとは……!
あんなもん反則だろうがーーっ!」
ヨードの絶叫が、カオスなエサ箱空間にこだました。
「これでよしっと。
さっきのエサよりおっきいから、
ちっとぐれえ食われても大丈夫だべ」
シュンヘイが器用にエサをつけながら言う。
「わーい、ありがとうシュンちゃん!
それじゃあ……それっ!」
イモリスは嬉しそうに受け取り、
仕掛けを滝壺へと投げ入れた。
ふと、シュンヘイが思い出したようにゴソゴソと懐を探り、
包みを差し出す。
「そうだ、オラこの前トマの町で
イモっぺにこれ買ってきたんだ」
「へー、なんだべ? 開けていいか?」
「もうすぐ誕生日だべ?
オラからのプレゼントだ」
包みを開けたイモリスの瞳が、ぱっと輝いた。
「……あ! 指輪! 嬉しい!
シュンちゃん、ありがとうー!」
思わず抱きつこうとするが――
シュンヘイは身をかわし、すぐに竿を指差した。
「おいイモっぺ!引いてるぞ!」
「え? あ、ああっ! ほんとだ!」
慌てて竿を握り直したイモリスは、
その強烈な引きに体ごと持っていかれそうになる。
「あーれー! シュンちゃん助けてけろー!」
「大丈夫だべイモっぺ! オラが支えてやっから!」
シュンヘイは背後から竿を一緒に握りしめる。
「かーっ! すんごい引きだな!
こりゃヌシかもしんねえぞ!
イモっぺ、がんばれ!」
「うん、分かった!
おらシュンちゃんと一緒に釣り上げるだよ!」
滝壺のほとりで、
二人は力を合わせて大イワナと格闘する。
その様子は、まるでどんな困難も共に乗り越えていく
二人の未来を映すかのようであった。
この物語はここで完結となります。
フィリオと仲間たちの冒険に最後までお付き合いいただき、
本当にありがとうございました。
釣り好きの方なら、きっともうお気づきでしょう。
この作品のイメージには「釣りキチ三平」が出ています。
自然や釣りへの敬意を、ファンタジーの形で描いてみました。
ファンタジー世界での彼は――
やがて「釣り騎士シュンヘイ」として、
また新たな伝説を残していくのかもしれません。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
「冒険も戦闘も全部ついで」にするつもりでした〜釣りギルド新米職員の異世界フィッシング冒険譚〜 キンポー @kinposakatani
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