第54話 それぞれの朝

朝早く、ダッカールの門前広場。

まだ陽は斜めに差し込んでいるだけだが、

すでに大勢の人々が行き交っていた。


行商人が荷車を並べ、

農民たちが収穫した野菜を大きな籠に入れて運び込み、

子どもたちがその間を走り抜ける。


門の外からは旅人の列が続き、

門兵が一人ひとり確認をしている。

街が目覚め、動き始める、そんなにぎやかな時間だった。


その広場の片隅に――

ミドルガードの面々が集まっていた。

彼らの装備は整っていたが、

その表情にはまだ眠気の影が色濃く残っている。

つい昨日、長い遠征を終えたばかりなのだから無理もない。


「よし……みんな揃ったな」

最初に口を開いたのはガイルだ。

いつも通り落ち着いた声だが、

その一言で周囲の空気が少しだけ引き締まる。


「まさかよ、ダッカールに着いた翌日に、

もう次の出発なんてな……」

バルクが大きく息を吐き、がっしりした腕を組む。


「ほんとですぅ~! 

あたしなんて昨日、お母さんに

“今日はごちそうだよ~!”って言われてたのに……! 

ご飯どころか、

荷物の買い出しで走り回って終わっちゃいましたぁ!」

フローラは頬をぷくっと膨らませ、

両手を大げさに振り回す。

朝の広場で一人だけ元気が余っているように見えた。


「仕方ないでしょ。指名依頼だって言われたんだから。

昨日は冒険者ギルドを出てから、

物資や保存食の買い出しで大忙しだったのよ」

ミナがきっぱりと言い返す。その口調は冷静だが、

目の下に薄い隈ができているのを見逃す者はいない。


「……Bランクに……上がったからでもある」

ヒューが低い声で一言だけ付け加えた。


「そうだな」

ガイルはうなずき、仲間を見回す。

「先方はどうやら、

俺たちが戻ってくるのをわざわざ待っていたらしい」


「フィリオの方が半日でも休める分マシだぜ。

おれっちなんか、ほんとに腰を落ち着けたかったのにな」

バルクが首をぐるりと回しながらぼやく。

「家でちょっと座ったら、嫁さんに

“はい、あれ買ってきて!”“これもお願い!”

って調達係だぞ」


その言葉にミナが間髪入れず突っ込んだ。

「そのうち娘さんにパパの顔を見て、

誰?って言われるんじゃない?」


「うぐっ……! それだけは勘弁してくれ……」

バルクは両手で顔を覆い、しかし苦笑をこぼす。

その様子に、フローラがくすっと笑った。


しばしの和やかな間。

そこへフローラが思い出したように首を傾げる。

「そういえば……ヒューさんは? 

ぜんぜん見かけなかったんですけどぉ〜?」


仲間の視線が一斉にヒューに向く。


「……秘密」

ヒューは短くそう言って黙り込んだ。


「おいおい、そこは隠すとこじゃないだろ」

ガイルが苦笑するが、ヒューは涼しい顔のまま。


「うわー気になるぅ。

絶対なんかしてましたよねぇ〜」

フローラが身を乗り出すが、

ヒューは視線をそらして動かない。


「おれっち知ってるぜ。

ヒューはきっと夜な夜な街角で詩でも詠んでたんだ」

バルクがわざとらしく顎をさすりながら言った。


「やだぁ~! それ超見たいですぅ〜!」

フローラは大喜びで手を叩く。

しかしヒューは石像のように無反応。


「ま、ヒューはそういう人よ。

詮索したって無駄だわ」

ミナが肩をすくめ、場の空気が笑いに包まれた。


広場のざわめきの中で、

ミドルガードの一団だけが別の時間を

過ごしているように見えた。

旅の前の、つかの間の余裕。


やがてガイルが改めて口を開く。

「依頼の内容は――

ダッカールから北西へ六日ほど行った町、カドゥナ。

そこから要人を護衛し、この街まで連れ帰ることだ」


仲間たちの顔が、一瞬で引き締まった。

にぎやかさが消え、冒険者らしい眼差しがそろう。

依頼の重さを理解しているからだ。


……しかしその緊張感も、

バルクの大きなくしゃみ一つであっけなく崩れた。


「へっくしょーい!」


「……大魔王」

ヒューがぽつりとつぶやく。


「ん? どうした、ヒュー?」

ガイルが振り返る。


「……いや、なんとなく」


その素っ気ない答えに、

一瞬仲間たちはぽかんとしたが、

やがてこらえきれずに吹き出した。


「大魔王て!」

「朝っぱらから縁起でもないこと言わないでよ!」

「ふふっ……でも妙に似合ってる気がする」


笑い声が広場に溶け、

子どもたちが不思議そうに振り返った。


「そろそろ、出発だな」


バルクが背中の荷物をぐっと調整しながら、

装備ををまさぐる。

「よーし、いよいよか……

いやでも正直、まだ体がだるいな」


「だらだらしてる暇はないわ。

護衛依頼は時間との勝負よ」

ミナは淡々と言うが、

その声にはわずかに緊張と期待が混ざっていた。


フローラは杖を背中に背負い直し、

笑顔で深呼吸する。

「うーん……

昨日まで家でのんびりしていたのが、

遠い昔のことみたいですぅ〜……」


ヒューは相変わらず無言で、

弓の手入れをしながら遠くを見つめている。

「……行くしかない」

低くつぶやく声に、仲間は思わずうなずいた。


ガイルは最後に深呼吸して、空を見上げる。

「よし、じゃあ……行くぞ、ミドルガード!」



そんなやりとりを背に――

ミドルガードの次なる旅路が、

静かに、しかし確かに始まろうとしていた。


足取りは重くもあり、軽くもある。

けれど仲間と共に歩く一歩一歩が、

確実に未来へとつながっているのを、誰もが感じていた。





翌朝。

少し寝過ぎてしまった。

頭はぼんやりと重く、

体の芯にまだだるさが残っている。


「……やっぱり旅の疲れ、抜けきってないな」

ベッドから半身を起こして、額を押さえながらつぶやく。

窓の外からは、石畳を行き交う人々の足音や、

荷馬車の車輪のきしむ音が遠く聞こえてきた。


ダッカールの朝は早い。

活気のある声が、もう街全体に広がっている。


僕はしばらくベッドの端に腰をかけ、深く息をついた。

心はまだ夢の中に取り残されているみたいで、

どうにも地に足がつかない。けれど、そうも言っていられない。


ゆっくりと身支度を始める。

顔を洗い、髪を整え、

冒険者風の装備ではなく街用の軽装を身にまとう。

出勤にはまだ十分余裕がある時間だ。


ふと、部屋の隅に目をやった。

そこには、昨日から気になっていたカバンが置かれている。

チョリオの荷物だ。


「……チョリオの荷物、持っていってやるか」

声に出すと、自然と肩の力が抜けるような気がした。


そのカバンを手に取ると、思ったよりも軽い。

たったこれだけの荷物で、

あいつはダッカールまで来てしまったのだ。


あれほどの長旅を、これ一つで乗り切ったのかと思うと、

あの無鉄砲さと勢いだけは大したものだと、苦笑いが漏れる。


僕は財布を取り出し、そこから大銅貨を三枚。

カバンの中に入っていた小さな袋を見つけ、

そこにそっと忍ばせる。


「就職祝いってわけでもないけどな……」

それだけじゃ少し味気ない気がして、

さらに銀貨一枚を取り出して加えた。


自分の財布が少し寂しくなった気がしたが、

不思議と後悔はなかった。

むしろ、してやったりという気持ちの方が大きかった。


「ついでに……昨日の店で何か食べてくか」

思いつきのようにそうつぶやき、僕は玄関を出た。


昨日の飲み屋へ足を運ぶ。

昼前の街は、朝市を終えた人々でまだにぎやかだ。

魚や野菜を抱えた主婦らしき人々、荷物を積んだ行商人、

道端で子供たちがはしゃぎながら走り回っている。

冒険者の姿もちらほら見かけた。

重そうな荷物を背負ったまま、依頼帰りなのか、

あるいはこれから出かけるのか。


街の喧騒を抜け、昨日の店に着くと――

扉には「CLOSE」の札が掛かっていた。


「……そりゃそうか」

まだ日は高い。飲み屋が開く時間ではない。

だが僕は、ためらわずにドアを拳で叩いた。


しばらくして、軋むような音とともに扉が開く。

顔をのぞかせたのは昨日のマスターだった。


「店が開くのはまだ夕方だよ。

また夜に来てくれ……って、お? あんたか」


目を細めて僕を見やり、

思い出したように言葉を続ける。

「確かチョリオの先輩だったな」


「ええ。チョリオ、いますか?」


「アイツならまだ寝てるんじゃねえか? 

ウチは朝まで店をやるからな。

若いのに、あれでも結構働いてたんだぜ」

マスターは苦笑混じりに肩をすくめた。


「そうですか……。じゃあ、これを」

僕は持ってきたカバンを差し出す。


「おう、預かっとく」

マスターは片手でと受け取り、軽く頷いた。


「それと、もし何かあったらここに……」

僕は名刺を差し出した。


マスターは一瞥すると、ニッと口の端を上げて笑った。

「ハハッ、気にすんな。

何かあればペーターにケツ持ってもらうさ」


その言葉に、僕もつられて笑ってしまった。

あの頼り(?)になる男の顔が浮かぶ。

どうやら心配する必要はなさそうだ。


マスターに深く頭を下げ、店を後にする。


外に出ると、午前の陽ざしが街を照らしていた。

澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込み、

僕は大きく深呼吸した。


「……まったく、チョリオのやつ」


言葉とは裏腹に、口元は少しだけ緩む。

心配して損をしたような、

でも、どこか安心したような――

そんな複雑な気持ちだった。


歩き出すと、靴音が石畳に軽やかに響いた。

昨日までの長い旅路で聞いてきた重い足音とは違う。

なんとも頼りない、軽い音だ。

けれど、その軽さが今は心地よかった。


「仕事も住処も、もう自分で手に入れたんだな」

ぽつりと独り言が漏れる。


昨日までは、仲間と一緒にいるのが当たり前だった。

だが、別れを告げた後の夜、

ひとりの部屋はあんなにも広く、

あんなにも静かで、どうしようもなく寂しく感じた。


けれど今日。ほんの一晩を越えただけで、

その広さにも静けさにも、

少しだけ慣れることができそうな気がしていた。


前を向いて歩く足取りは、

昨日よりもほんの少しだけ軽かった。

その軽さは、旅を終えた解放感でもあり、

新しい一歩を踏み出す予感でもあった。


僕は空を見上げた。

澄み切った青空が、果てしなく広がっている。


「……さて、今日はどんな一日になるかな」


そんな独り言が、自然とこぼれた。

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