蒼き星より愛を込めて

あああああ

蒼き星より愛を込めて

 我が家にウォシュレットがやってきた。そして、記念すべき初噴射の時間もやってきた。緩やかな水圧が私の体と心を洗っていくようだった。文明の利器。愛と平和の象徴。科学と叡智えいちの集大成がここにある。


 しかし、そんな昨日の残滓ざんしを洗い落とす中で私はふと思ってしまった。水圧がまるで足りていない。私は壁に取り付けられたリモコンのボタンを連打した。水圧は増していった。


 皮膚にこびりついた歴戦のけがれごと落とさんばかりの水圧は、まるでドイツ製の高圧洗浄機を彷彿ほうふつとさせる。歳だろうか、その心地よさについ、一筋の涙が頬を伝った。そのうち、どこまで強くなるのかと、試したくなった。何度ボタンを押したのか分からない。いつしか私の体は少しずつ浮き始めていた。


 いいぞ。もっと、もっとだ。


 私は壁に取り付けられたリモコンを引き剥がし、さらに水圧ボタンを押し続けた。高圧洗浄機のようだった水圧は、まるで消火栓のように太くなる。やがてそれが間欠泉かんけつせんのようになった頃、私の体は自宅の壁を突き破っていた。


 今、私は空を飛んでいる。


 今は上空何メートルほどだろうか、生まれ育った町が一望できた。もっと、高く飛びたい。私は水圧ボタンをさらに押した。勢いが増す度に肌を横切る風。8月の温い空気でさえも、涼しく感じられるほどだった。やがて国道16号線がナスカの地上絵のように見えた頃、1羽の鳥が話しかけてきた。


「やあやあ、人間さんじゃないか! 羽もないのにこんなところまで飛ぶだなんて、すごいじゃないか」


 おそらくカナダガンだろう。私の記憶が確かならば、彼らは日本から根絶されたといわれている、特定外来生物。ハドソン川の奇跡として知られる飛行機事故、USエアウェイズ1549便不時着水ちゃくすい事故の原因だったとも言われている、あの水鳥だ。


「ウォシュレットだからね。これくらい当然さ」


 私は笑って返した。


 軽く会釈をしたあと、私は水圧ボタンを連打した。今が昼なのか夜なのか、分からない。私はいわゆる宇宙空間にいた。地上100キロメートルのカーマンラインと呼ばれる地点。宇宙空間との境目だと広く認められている。


 今、私はそれよりもはるか高高度にいる。私の記憶が確かならば、国際宇宙ステーションは高度400キロメートル付近を周回していたはず。

 およそ10分前に、それとニアミスを起こしていた。


 振り返ると青く輝く美しい私たちの母星、地球が見えた。また、私の尻にぶつかった水が勢いを殺して球体となる姿もみえた。それはまるで水晶玉のようで、とても美しかった。


 私は水圧ボタンを連打した。


 火星、木星、土星、天王星、海王星。色とりどりの、たこ焼きめいた惑星たちを横切る度に、私は故郷を懐かしんだ。そしてボイジャー2号とすれ違ったとき、帰るタイミングなど、とうに失っていたのだと気付かされた。


 父よ、母よ。いま私は太陽系の外にいます。

 ウォシュレットの力でここまで来ることができました。

 これが、日本の技術力なのです。


 いま、あなたたちが住む星は、いまだに人間同士が武器で、言葉で傷つけ合い、深い悲しみを包み隠すように青く輝いています。そんな我が故郷が見えなくなるところまで、私はやってきました。もうすぐプロキシマ・ケンタウリ星系に着きます。あなた達の住む地球から最も近く、しかし遥か遠くにある恒星こうせい系です。


 地球のように、海があり、大気のある星が見えてまいりました。

 そこにはおそらく、私たちと同じように争いから逃れられない生き物が住んでいるのでしょう。しかし、もしかすると……もしかすると、ですが、文明がまだ築かれていない、ということも考えられます。


 私を育ててくださった母なる星よ、ありがとう。行ってまいります。地球のみなさま。

 あの星へ、愛と平和を伝えるために。


 私は水圧ボタンをクソほど連打した。

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