第4話


 * * *


 夏休みが始まって三日だけど、パパとママがギスギスしている。

 これまでママがパパに腹を立てていることは何度もあったけど、たいてい夜ごはんを食べる頃にはけろっとしているものだった。ママはおいしいものに弱いのだ。なのに、今回はちがう。あの日から三日たつのに、ママはパパにたいして冷たくしている。いったい何があったのだろう。

 ふりかえると、ふたりがギスギスしはじめたのは三日前、「ウナギを食べるはずだった日」だ。

 あの日、パパがお泊まりの出張から帰ってくる予定だったので、ママは「きっとパパがつかれているだろうから」とウナギを買って夜ごはんに出そうとしていたのだ。ぼくもスーパーについて行ったので覚えている。

 なのに夕方くらいにパパが帰ってきたあとから急にママのきげんが悪くなって、夜ごはんはウナギじゃなくてそうめんになっていた。

 パパは「胃もたれしていたからうれしい」って何も気にせず食べていたけど、あの日のウナギはいったいどこへ消えたのだろう。そしてなぜママはきげんが悪かったのだろう。

 僕はこの日のできごとを『ウナギじけん』と名づけて、自由研究として調査することにした。


 調査その一、ウナギはどこへ消えたのか


 この答えは自然とはんめいした。

 次の日のぼくの学童のおべんとうがウナギ弁当になっていたからだ。

 朝、ママがじゅんびしているのをチラッと見たけど、ママと僕のはウナギ弁当で、パパのだけ日の丸弁当だった。しかも上下ごはんでおかずのない弁当だった。ぼくはあんなにかなしいお弁当をこれまで一度も見たことがない。



 調査その二、ママはなぜきげんが悪くなったのか


 ぼくはひとまずウナギが夜ごはんでなくお弁当になった理由をママに聞いた。ママは「パパが胃もたれしていたから」とごまかしたが、そのことはすでにそうめんをじゅんびしたあとに分かったことである。

 次にぼくは、「パパとケンカしてるの?」って聞いてみた。そしたらママは首をふって、「ケンカする気もないんだよね」と言った。ママの顔があまりに暗かったから、ぼくはこわくなって、それ以上聞くことができなかった。



 調査その三、パパはママの変化に気づくのか


 けつろん、パパがママの変化になんとなく気づいたのは十日以上たってからだった。

 『ウナギじけん』から一週間後、ぼくは熱が出て学童に行けなかったのだが、パパは「今はいそがしいから」とお休みをとってくれず、ママがつきっきりでかんびょうしてくれた。

 ママはずいぶんつかれていて、お休みの三日間ためいきの数を数えたところ、一日目が九回、二日目が十四回、三日目が二十八回だった。うち十四回はパパがウナギのかば焼きを買って帰ってきてからのためいきである。

 ぼくはあまりおぼえていないのだが、どうやらいっしょにお風呂に入ったときに「ウナギを食べたい」と言っていたので買ってきてくれたらしい。けれど風邪を引いているのにそんなに油っこいものはダメだと、ママが怒って食べさせてくれなかった。

 さすがのパパも、ママがやけにきげんが悪いことに気づいたらしい。パパが「疲れがたまっているんだろう、少し休んだらどうだ」言ったら、ママは「それならお盆休みは一人で過ごさせてもらう」と答えた。

 本当は、家族りょこうに行く予定だったのに。



 調査その四、ママのひみつ


 それからママは、おしごとの帰りがおそくなったり、帰ってきてもなかなか部屋から出てこない日がふえた。

 ママは、ぼくとパパのことがきらいになってしまったんだろうか。

 とても不安で、パパと二人で行くことになったりょこうのことも楽しみに思えない日がつづいた。

 そんなとき、ぼくはいつも使っているゲームき『クラッチ』のようすがヘンなことに気づいた。ぼくじゃない、だれかべつのアカウントでログインしたけいせきがある。

 アカウント名は――「misakinoko」。

 たぶん、ママだ。

 ママがログインしっぱなしにしていたのは、ぼくも前に遊んだことのあるオンラインRPGである。

 ぼくは久々に自分のアカウントでログインして、「misakinoko」でユーザーをけんさくした。そしたら……いた。

「初めまして、misakinokoです。忙しくてずっと封印してたけど、十年ぶりくらいにゲームやります。お手柔らかにお願いします」

 そんな自己しょうかい文がせっていされているママのアバターに、ぼくはなんとなくフレンドしんせいを送ってみた。

 その日の夜、ママがおしごとから帰ってくる前に、フレンドしんせいはしょうにんされたようだった。



 調査その五、『ウナギじけん』のしんそう


「you_topiaさん、今日もシナリオ攻略よろしくお願いします!」

 ママはyou_topiaがぼくであることに気づかないまま、すっかりゲーム友だちになっていた。

 なんどかゲームの中のチャットでやりとりしたところ、ママはしごと終わりにネットカフェによって、そこで一時間ゲームをしてから帰るのが日課になっているらしい。

 ママには早く家に帰ってきてほしいけれど、パパとけっこんしてからずっとゲームをやらずにガマンしていたという話を聞いて、文句を言えなくなってしまった。

「本当は『クラッチ2』が手に入ったら子どもにあげて、自分はお下がりの『クラッチ』をもらおうかなと思ってたんだけど、全然当たらないでしょ。でももう色々ストレスが溜まって我慢できなくて、つい子どもが寝てるときに『クラッチ』拝借してアカウントだけ作っちゃったんですよね」

 ゲームの中のママは、別人かと思うくらいよくしゃべる人だった。

 特にストーリーのさいしょの方に出てくる王国のカリスマ女王のキャラクターがお気に入りらしい。「あの人になりたい」ってしょっちゅう言っている。その女王は、なんでもズバズバ言うタイプの人で、それが時々ストーリーのトラブルにもつながるんだけど、なぜかママはそこが好きらしい。

「私は思ったことをハッキリ言うの苦手だから、憧れるのかな。夫が出張って嘘ついて外泊してたの知ってるのに、直接言えなかったし」

「え、あれってウソだったの……?」

 と書きそうになって、ぼくはあわててチャットを消した。

「本当に呆れるよ。大阪の取引先に会いに行くって言ってたのに、荷物の中から都内のビジホの領収書が出てきたんだから」



 調査その六、パパのきもち


 これはいわゆる「ウワキ」というやつなんだろうか。

 ぼくとパパと二人きりになった家族りょこうは、パパのシンソウを探るのにぜっこうのチャンスだった。

 ところで、この家族りょこうは、本当にサイアクでサイコウなりょこうだった。

 パパは前日までまったくじゅんびをしていなくて、夜になったらやると言っていたのに、おしごとでつかれていたのかすっかりねてしまったのである。

 だからぼくたちはホテルすら決まっていないじょうたいで、ぶらぶら車中泊をしたのだった。

 でも、これはこれで楽しかった。

 ふだんはママがどこに行くかも、何を食べるかもきっちり決めていたから、少しでも時間がおくれそうになるとハラハラしたものだったけど、道路で見つけた気になるかんばんを追いかけてまいごになったり、昼ごはんにカレーを食べたあとにおやつにラーメンを食べたり、そんな自由なりょこうははじめてだった。

 車の中でねるのは少しきゅうくつだったけど、いつも以上にパパが近くにいるような気がしたのは良かったのかもしれない。

「ごめんなユウト、色々上手くいかなくて」

 電気を暗くして寝ようとした時、ふとパパがそうつぶやいた。

 パパらしくない、なんだか弱った声だった。

「そんなことないよ。いつもと違ってなんか楽しかったし」

「そう?」

「うん。パパは?」

「楽しかった。けど、ママがいないとやっぱさびしいな」

「……うん、そうだね」

 この時ぼくは思った。

 パパはちゃんとママのことが好きなんだ。

 だからきっと、ウワキなんかしてない。

 じゃあ、パパは大阪に行かずに何をしてたんだろう?

 思い切って聞いてみようとしたけれど、パパはもうねむりについていた。


 追記:後のチャットのやり取りで発覚したことだが、ママはこの時コミケというイベントに参加していたらしい。



 調査その七、『ウナギじけん』かいけつのために


 りょこうから帰ってきてからも、ママは相変わらずパパに冷たくて、二人が仲直りする様子はなかった。

 大人同士のケンカって、なんてやっかいなのだろう。

 ぼくは色んなマンガやアニメをけんきゅうして、大人同士が仲直りする方法を探した。

 その中に一つ、良いヒントがあった。

 夏のせんたいヒーロー映画の中で、こんなセリフがあったのだ。

 「てきのてきは味方」。仲の悪い大人同士も、同じてきをたおすためには仲直りすることがあるということである。

 ぼくはゲームでママに――misakinokoに相談してみることにした。

「え? 小学生の親にとっての敵は何か?」

「そうです。どんなに仲が悪い家族でも団結しなきゃ勝てないような、キョウアクな敵ってなんでしょう」

 ちょうどその時ぼくたちはソロ攻略はまず無理と言われている隠しボスに一緒に挑んでいるところだった。

「なんでyou_topiaさんがそんなこと知りたいかは、わからないですけどっ」

 ママが弱ったボスにとどめの一撃を食らわせる。

 だが、倒したかと思いきや相手はまだ奥の手を残していた。

 気が緩んだmisakinokoの足元からわっと影が伸び、痛恨の一撃を食らう。

 画面に表示される、「ゲームオーバー」の文字。

「……そうですね、夏休み終了直前に発覚する宿題とかですかね」

 そうしてぼくは、パパとママのてきを作ることを決めたのであった。



 * * *




 その日の夜、我が家には香ばしい蒲焼の匂いが満ち満ちていた。


「ウナギだ!」


 学童から帰宅したユウトは靴を揃えるのも忘れてリビングに駆け込む。

 出迎えたのはリビングに設置された水槽で悠々と泳ぎ回るウナギ、もくもくと白い湯気を立てるうな丼、そして。


「心配かけてごめんね、ユウト」


 今日はネカフェに寄らず、まっすぐ帰宅したミサキ。


「ママ……!」


 ユウトはその広げられた腕に飛び込み、母の胸にぎゅうと顔を押し付けた。

 ミサキと目が合う。彼女の眼は少し潤んでいる。

 ユウトの担任からユウトの提出した自由研究の話を聞いて、俺たちは海より深く反省した。それはそう、ウナギの産卵地よりも深く。

 でもユウトのおかげで俺たちはお互いの本音を知ることができた。


「ユウト。話があるんだけどさ」

「ん、なに?」

「パパね、部署を異動することにしたよ。無理に営業にしがみつくのはやめて、今の自分にあった仕事を探してみる。それで、もっと家事に参加するようにするよ」


 食卓に追加する、じっくり出汁をとった味噌汁。

 ミサキに言われたのだ。彼女は営業成績を出し続ける俺より、なるべく早く帰ってきて美味しいご飯を作ってくれる俺の方が好きだと。


「ね、ユウト。ご飯終わったらママとゲームしようよ。『ミスティックオンライン』でさ」

「いいの!? あ、でもうちにはゲーム機一台しか……」

「大丈夫。パパがもう一台『クラッチ』買ってもいいって言ってくれたから」


 そう言ってミサキは今日買ったばかりの『クラッチ』をユウトに見せる。新型ではないが、家族で一緒に遊ぶには十分な性能だ。


「パパにも教えてくれよ。あんまり上手じゃないけどさ」

「もちろん!」


 ふと、洗濯物を干したままだったことに気づき、ゲーム談義で盛り上がる二人を横目に俺はベランダに出た。窓を開けるなりむわっとした熱気に燻されて、一瞬のうちに皮膚の表面がじっとりと汗ばむ。


「九月なのに……」


 思わず漏れる独り言。

 けれど、今はその暑さがありがたい。

 嘘にまみれた夏休みは終わってしまったけれど、我が家の本当の夏は、まだまだやり直せそうだから。




〈了〉


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ウナギじけん 乙島紅 @himawa_ri_e

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