まつりぬいっちんぐマチ針転生 【読み切り】

五平

いきなりまつりぬいっちんぐ

「くそっ……! こんなところで、こんな針一本に負けるなんて!」


大門マチは、目の前で光り輝く細い一本の棒に、憎しみの視線を送っていた。彼女の職業は、服飾界で「神の指」と称される天才テーラー。どんな生地も彼女の手にかかれば、魔法のように美しいシルエットを描き出す。だが、今、彼女が対峙しているのは、古くから伝わる呪いのマチ針「まつりぬいっちんぐ」だった。


(こんな針に……! 俺の人生のすべてを捧げた、この指が……! これが、呪いか。ああ、なんてバカバカしい。科学の時代に、呪いなんて……)


彼女は自嘲的に笑った。その時、マチ針が放つ光が強まり、彼女の意識は遠のいていく。


「もし、お前がその才能を私利私欲に使わず、誰かのために縫い続けられるなら……」


マチ針から、優しい、しかしどこか哀しい声が聞こえた気がした。


---


次に彼女が目を覚ますと、そこは、見慣れない場所だった。


(なんだ、ここ……? 天井の梁が、こんなにデカい……。いや、待てよ。おかしい。この生地の織り目……一本一本が、やけに鮮明に見える……)


彼女の視界に映るすべてのものが、まるで顕微鏡で覗いたように巨大だった。そして、彼女自身の体が、とても軽くて、細いことに気づく。


「……まさか。私が……マチ針に!?」


彼女は信じられない思いで、自身の姿を確認した。光り輝く細い金属の体に、まるで頭のように付いた小さな丸い玉。彼女は、まさしく、あの呪いのマチ針「まつりぬいっちんぐ」に転生していたのだ。


(ああ、なんてことだ……! 天才テーラー、大門マチが、ただの針になってしまうなんて! いや、待てよ。もし、この体が針なら……俺は、もう一度、布を縫うことができるのか!?)


彼女の思考は暴走を始める。


(針になって、どうやって縫うんだ? 針に手はない。足もない。針として、ただ存在することしかできない。ああ、なんて無力なんだ……! でも、もし、俺が針として、誰かに使われることができたなら? 俺の才能は、この針の体を通して、再び輝けるはずだ! そうだ! 俺はもう一度、服を縫うんだ! それも、これまでで最高の服を!)


彼女の心に、再び服を縫うという情熱の火が灯った。その時、彼女は気づく。自分は、裁縫道具が散らばった机の上にいる。そして、目の前には、未完成の服が置いてある。それは、まるで、彼女のために用意された舞台のようだった。


---


しばらくして、一人の少女がやってきた。彼女は、まだ幼い、見習いテーラーのユウだった。


「よし、今日は、このワンピースを完成させるぞ!」


ユウはそう言うと、手元にあった別のマチ針を手に取り、生地を止めようとした。


(待て! その針ではダメだ! その針は鈍っている! 生地が傷つく!)


マチは心の中で叫んだ。彼女の体は、ユウの小さな手から、ひっそりと転がって、ユウが使おうとした針の近くにいた。


(この子……この子を、俺が正しい道に導いてやる! 針の正しい使い方を、俺が教えてやるんだ!)


マチの意志が強くなると、彼女の体が僅かに震えた。その振動に気づいたユウは、首を傾げる。


「あれ? なんだか、こっちの針の方が、キラキラしてる……」


ユウは、鈍った針を置き、マチが転生した「まつりぬいっちんぐ」を手に取った。


その瞬間、マチの脳裏に、ユウの持つ技術のすべてが流れ込んできた。


(ふむ……。技術はまだ未熟。だが、この生地への愛着は本物だ。これは、誰かのために服を縫いたいという、純粋な心……。そうだ、俺が縫い続けたかったのは、この心だったんだ!)


マチは、ユウの純粋な心に触れ、自分がこれまで忘れていたものに気づかされた。それは、服を縫う喜び、そして、誰かの笑顔が見たいという、純粋な動機だった。


ユウは、マチ針を使って、生地を止めていく。マチは、ユウの指の動きを、まるで自分の手のように感じていた。


(ああ、そうだ! その角度じゃダメだ! もっと、こう……いや、無理か。まだ、この子には早すぎる。だが、この生地の特性を理解させる必要がある……!)


マチは、自分の意志をユウに伝えるため、僅かに体を揺らす。


「あれ? なんか、この針……動く?」


ユウが不思議そうにマチ針を見つめる。


(そうだ! その調子だ! 俺の意志を感じるんだ!)


マチは、ユウの指先を、まるでパートナーのように導いていく。生地の最も美しく見える場所に、完璧な角度で、完璧な深さで、マチ針を刺していく。


(よし! 完璧だ! この生地は、わずかな歪みでシルエットが崩れる。だから、この場所に、この角度でマチ針を打つのが最適解! これで、このワンピースは、最高の形で仕上がるはず!)


マチは、ユウの指を通して、再び最高のテーラーとして輝き始めた。


---


ユウは、マチ針の導きに従い、未完成だったワンピースを縫い上げていった。針を刺すたびに、ユウは自分が上達していくのを実感していた。


(この針……まるで、生きているみたいだ。私が迷った時、いつも正しい場所に導いてくれる……。もしかして、この針には、伝説のテーラーの魂が宿っているのかな……?)


ユウは、マチ針を「先生」と呼ぶようになった。


ある日、ユウは、古いミシンを前に、作業に行き詰まっていた。


「うーん……。ここの縫い目、どうすればいいんだろう……。どうしても、この生地がよれちゃう……」


ユウは、机の上で転がっていたマチに、話しかけた。


「先生……。どうしたらいいですか……?」


マチは、ユウの苦悩を感じ取り、体を揺らして、ある一点を指し示した。そこには、古びた、しかし丁寧に手入れされた「手縫い針」があった。


「先生、その針で縫うの?」


ユウが、不思議そうに尋ねる。


「だって、先生はマチ針でしょ? マチ針って、布を仮止めする道具で、縫うことはできないって、お母さんが言ってたよ?」


マチは、ユウの純粋な疑問に、一瞬、思考を停止した。


(……そうだ。この子は正しい。マチ針は、縫う道具じゃない。仮止めをするだけの、つなぎ役……。ああ、なんてことだ。俺は、縫うことばかりに固執して、この針の本来の役割を忘れていた……。いや、待てよ。マチ針は、縫うことはできない。でも……心を縫うことはできるんじゃないか?)


マチの思考は、新たな真実へと暴走を始めた。


(そうだ! 仮止めとは、一時的に布と布をつなぐこと。それは、誰かの心を、一時的に、しかし確かに支えることだ! この子が、今、縫い目に行き詰まっている。でも、俺が、この子と、そしてこの服を着る誰かの心を、確実につないでやれば、この子はきっと、自分の力で縫い進めることができる! ああ……なんて、奥深いんだ。マチ針は、縫う道具じゃない。心をつなぐ、愛の道具だったんだ!)


マチの強い意志を感じたユウは、手縫い針を手に取った。そして、マチの導きに従い、一針一針、丁寧に縫い進めていった。


(ああ、なんて素晴らしい感覚だ……! 針と糸と生地が、俺の手の中で、まるで生きているようだ! いや、俺の体の中で、だ。そして、この子は、俺の意志を完璧に理解している! なんて、素晴らしいパートナーなんだ!)


マチは、ユウの純粋な心と、彼女の成長を間近で見ることが、自分の人生の何よりも価値のあることだと感じていた。


そして、ついにワンピースは完成した。


「先生! 見てください! できたよ!」


ユウは、嬉しそうにワンピースを掲げた。それは、完璧な縫い目と、美しいシルエットを持つ、最高のワンピースだった。


その時、マチの体が、再び光り始めた。


(ああ……。もう、お別れの時間か……)


マチは、悟った。このワンピースは、彼女がマチ針として、そしてユウの先生として、最後に縫った、最高の作品だった。


「先生! どうしたの!?」


ユウが、マチの体の異変に気づき、焦った声を出す。


「ありがとう、ユウ……。君は、もう大丈夫。君の指は、もう、神の指だ……。服を縫うとは、心と心をつなぐことだ。君なら、きっとできる」


マチの意識は、再び遠のいていく。


「先生ー!」


ユウの叫び声が、遠くに聞こえた。


---


次にマチが目を覚ました時、彼女は元の、天才テーラー大門マチの姿に戻っていた。彼女の手には、あの呪いのマチ針「まつりぬいっちんぐ」が握られている。


(夢……だったのか?)


だが、彼女の手元には、見慣れないワンピースが置いてあった。それは、夢の中で、ユウと一緒に縫い上げた、あのワンピースだった。


そして、そのワンピースには、一箇所だけ、マチが見覚えのない、しかし完璧な縫い目があった。それは、ミシンではなく、手縫いで作られた、まるで愛を込めて縫われたような、温かい縫い目だった。


マチは、その縫い目を指でなぞり、そっと微笑んだ。


「ユウ……。君は、本当に、神の指を持っていたんだな……」


彼女は、マチ針を、大切に胸に抱きしめた。


「もう一度……。誰かのために、服を縫おう」


マチは、再び、針と糸を手にした。だが、その顔には、以前のような傲慢さはなく、ただ、純粋な喜びと、誰かの笑顔を願う、優しい表情があった。


そして、彼女の指は、以前にも増して、優しく、温かい縫い目を紡ぎ始めた。


これは、一人の天才テーラーが、針に転生して、服を縫うことの本当の喜びを知る物語である。

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