ひとくちのひみつ 〜ソラへ コギダス タベモノガタリ〜

月丘 佑

冬瓜の夏

 県道沿いにポツンとなる冬瓜とうがんを、母が見ていたのだそうだ。

 お盆のあけた次の週末。半年ぶりに帰郷した弟も連れて、日帰り・長崎の旅へ向かう車中のことであった。は正午に鳴るんだっけ。ぼくはブラウザを開きっぱなしの液晶画面へ視線を落としていたが、家族の声を頼りに、突如始まった冬瓜中心の会話へと乱入することにした。

「昔、冬瓜と大根の区別がついていなかった」

 そんな父の言葉に、確かに似てるかもね、と適当に合わせつつ、大根と冬瓜では全然味が違うじゃないか、食感は近いかもしれないけれど、というのが内心だった。どうやら父の実家では、両者が渾然こんぜんと料理されていたらしかった。

 そうだ。ぼくには、忘れられない冬瓜の味がある。


 広い園庭の隅で、大鍋が、大型ガスボンベに接続されたコンロの上で、ふつふつと煮えている。先生たちが包丁を振り下ろしたり、鍋をかき回したりするのを見学しながら、あるいは他の園児とたわむれながら、料理の完成を待ち望む時間だ。

 何となく調理の模様を眺めていたとき。ほんのりと緑のにじむ、白くてなめらかそうな果実に、思わず目をみはった。こんなに大きな野菜が、あるなんて。

「これはなんですか」

 菜切り包丁を手にまな板の果実と対峙する先生は、

「トウガンよ」

 と教えてくれた。

 聞いたこともなかった野菜が、他の食材と等しくカットされ、湯に投じられていく。すべすべとした断面を見つめていても、味は、さっぱり思い浮かばない。頑丈なフォルムに、濁音はよく似合うといった心証だけがつくられた。

 次に対面した「トウガン」は、具だくさんの味噌汁の中から発見された。半透明のかけら、これが、きっとそうなのだろう。口に含んだ瞬間、塩気の中に冷たさのようなものが広がり、するすると繊維がほどけていく舌ざわりに思えた。また食べたい。不慣れな味を、少し薬みたい、と形容してみたけれど、別格とも呼べたんじゃないか。

 証拠に、すぐに次の秋が待ち遠しかった。冬瓜入り味噌汁が振舞われていたのは、「収穫祭」。そんな名前の行事だったと思う。幼稚園から徒歩一分の畑で栽培、収穫された野菜たち。その中に、冬瓜も、いたのだろうか。


「それで、幼稚園でしか食べられないものだと思ってたんだよね」

「いや、家でも出したこと何度かあったよ」

 野菜売り場でも見かけなかった、と付け足しそうになりながら口の中に広げていた冬瓜の甘みが、母のひと言で、じわり、苦味へと変わっていく。


 なんだ、ぼくも大根と冬瓜の区別が、ついていなかったみたいじゃないか。


 トマト、ナス、ピーマン、キュウリ、ズッキーニ……頭に浮かぶ野菜の名を挙げる。ナス科とウリ科ばかりだと思いつつ、

「そういえばピクルス、美味しかったね」

 と話をそらした。

 家庭菜園で採れたピーマンやキュウリを酢漬けにして特製ソースへ加工し、中食の唐揚げを彩ったのは、つい昨晩のことだったかな。


 車窓は白石平野しろいしへいや、黄まじりの青田あおたを映し出す。

 を想像しながら、検索ボックスへ「冬瓜 ピクルス」と入力した。

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