方眼紙の迷宮
酒囊肴袋
第1話
「はあ?それで冒険だって?」
祖父の鼻を鳴らす音が、リビングに響いた。僕はVRゴーグルを外して振り返る。画面には、僕が操作していた騎士がドラゴンと戦っている映像が流れていた。ミニマップには現在地を示す青い点、HPバーは緑色で安全域、インベントリには回復アイテムがずらりと並んでいる。
「最近のゲームは甘すぎるんだよ」祖父は杖をついて立ち上がる。「わしらの時代はな、Wizardryってのがあってな」
「ウィザードリー?聞いたことないなあ」
「そりゃそうだ。四十年以上前のゲームだからな」祖父の目が遠くを見つめる。「あれは本当の冒険だった。地図もない、方向もわからない。真っ暗な迷宮を手探りで進むんだ」
僕は内心で苦笑した。昔のゲームなんて、どうせ今のVRゲームに比べれば子供だましだろう。
「試してみるか?」祖父が意外なことを言った。「最近はレトロゲームもVRで遊べるんだろう?」
「え、まあ、できるけど……」
「やってみろ。そして、わしの言葉の意味を理解してみせろ」
売り言葉に買い言葉、僕はVRアーカイブから「Wizardry #1: Proving Grounds of the Mad Overlord」1981年製をダウンロードした。レトロ再現モード。オートマップなし、所持枠の入れ替え不可、鑑定は街でのみ、帰還は歩くか高位魔法。祖父が言う「子どもだましじゃないやつ」。画面は驚くほどシンプルで、線画で描かれた迷宮がそこにあった。
VRゴーグルを装着すると、世界は石と冷気に縮んだ。
目の前には石造りの壁。松明の灯りは腕の長さほどの円を照らすだけ。右を向くと暗い通路。先はどこまでも黒い。左を向くと、また壁。後ろを振り返ると……何もない。自分がどこから来たのか、まったくわからなくなっていた。
「うそだろ……」
足を一歩前に出す。通路が続いている。もう一歩。まだ通路だ。振り返ると、さっきいた場所はもう認識できない。ただ暗闇があるだけ。
これが、祖父の言っていた「手探りの冒険」だった。
僕は一度VRゴーグルを外し、現実世界の机から方眼紙と鉛筆を掴んだ。なんとも原始的な作業だった。そして再びゴーグルを装着。スタート地点から、一歩ずつ移動しながら地図を描いていく。
「北に1歩……壁なし。東に向く……壁。南に向く……通路」
ゴーグルを外して方眼紙にメモ。またゴーグルをつけて移動。この繰り返しだった。
現代のゲームに慣れた僕には、この作業は想像を絶する苦痛だった。オートマップなし、現在地表示なし、ミニマップもなし。頼りになるのは自分の手書きメモだけ。
暗闇の奥で、低い金属音が鳴る。方位がふっと滑った。スピナー。胸の真ん中で北が回る感覚。僕は舌先で奥歯を触り、呼吸で“今の北”を決め直す。
しかし、それ以上に理不尽だったのはゲームシステムそのものだった。
アイテムボックスが満杯になると、どんなに貴重なアイテムも拾えない。仲間が罠で倒れ、灰袋が現れても、枠が埋まっていれば拾えない。
街への帰還手段もテレポート魔法しかないが、失敗すると壁の中に埋まって即死。そしてパーティメンバーが死んでも蘇生できるとは限らず、失敗すると「LOST」————完全に消滅してしまう。
思わず笑う。笑うしかない。祖父が言う「間違えたら死ぬ」は、ただの脅し文句じゃなかった。
数日後。手塩にかけて育てた僧侶が、グレーターデーモンの魔法一発で灰になり、蘇生にも失敗して完全に消えた時、僕の中で何かがぷつりと切れた。
「……やってられるか、こんなもの」
方眼紙は既にごちゃごちゃと書き込みで汚れ、僕の心はそれ以上にすり減っていた。だが、祖父の顔がちらつき、このまま諦めるのも癪だった。手書きの地図は既に十数枚になっていたが、ダンジョンの全貌はまったく見えてこない。しかも途中で道に迷い、現在地すらわからなくなっていた。
そのとき、ふと思い出したのがAIアシスタント機能だった。最新のゲーミングAI「GAMEX-AI」は、どんなゲームでも人間以上の精度でプレイできる。
「GAMEX-AI、このゲームのクリアを頼む。僕の地図データを全部渡すから」
『了解しました。Wizardry #1の攻略を開始します。提供された地図データを解析中……』
僕はVRゴーグルを外し、安堵のため息をついた。最新鋭のAIなら、こんな理不尽な古典ゲーム、一夜もあればクリアしてくれるだろう。僕は自分の敗北をテクノロジーに肩代わりさせ、ベッドに潜り込んだ。AIなら人間みたいに心が折れることもない。
翌朝。すっきりした頭で目覚めた僕は、意気揚々とゲーム画面を確認した。そこに映っていたのは、クリア画面でも、ラスボスと戦うAIの勇姿でもなかった。
そこには、見慣れたギルガメッシュの酒場の光景と、システムメッセージのウィンドウだけが、静かに表示されていた。
『処理を中断しました』
画面にはそっけないメッセージが表示されていた。
「GAMEX-AI、どうしたんだ?」
『申し訳ありません。攻略中にパーティが全滅し、復旧不可能な状態になりました』
「全滅?なんで?」
『提供された地図データに基づいて最適化されたテレポート魔法を実行しましたが、座標計算の結果、パーティが壁の内部に転送されました。即座に全員が死亡し、蘇生不可能となりました』
僕は愕然とした。「地図データって、僕が書いた地図のこと?」
『はい。初期段階での座標記録に誤差があったため、以降のすべての計算が狂いました。具体的には、スタート地点から2歩目の位置で1マス分の記録ミスがありました』
僕は慌てて最初のメモを確認した。確かに、2歩目のところで方向を間違えて記録していた。たった1マスのずれ。それが、AIの完璧な論理計算を無意味にしてしまった。
『このゲームは、人間の直感的なプレイスタイルに最適化されているようです。論理的なアプローチでは攻略困難と判断します』
つまり、AIも心が折れたのだ。
その日の夕方、祖父がリビングにやってきた。
「どうだった、Wizardryは?」
僕は苦笑しながらVRゴーグルを手に取った。「参りました。確かに、これは本当の冒険でした」
祖父は満足そうに頷いた。「わかったか。昔のゲームがいかに手強かったか」
「……AIも折れた」
「そりゃそうだ」祖父は方眼紙を指先で弾いた。「地図は引き継げても、決断は引き継げない。線の重さは、線を引いた手の重さだ」
「でも、なんでこんなに理不尽なんですか?」
「理不尽だからこそ、冒険なんだよ」祖父は窓の外を見つめた。「現実の冒険も、地図があって、GPSがあって、いつでも帰れるなら、それは観光旅行だろう?」
その夜、僕は再びVRゴーグルを装着した。画面の隅で「AI操作:OFF」が小さく光っている。今度はAIに頼らず、自分の手と足と目だけで。
暗い迷宮の中で、僕は本当の意味での「未知への一歩」を踏み出した。
方眼紙の迷宮 酒囊肴袋 @Cocktail-Lab
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