第37話 もう一つの可能性


 松子しょうこ燕大やすひろに対しての警戒心をほとんど解いていた。もしかしたら、この2階にわざわざ上がってきてまで欲しかった情報を燕大がくれるかもしれない。そう思った松子は部屋を出る前に尋ねてみた。


「ねえ、あなたのお父さんと動画であなたが言っていた警察官──霜月紅葉しもつきもみじ……どんな関係なの?」

「…………」


 答えたくないのか、知らないのか、燕大は口を閉ざした。だが、彼女も弱みを握られ脅されている──と、動画で言っていた。主従関係なのか、それ以上に何か別の関係があるのか。そして今この隣の部屋で一緒にいるだろう二人に何が起こっているのか。松子は燕大から聞き出そうと必死だ。燕大は答える。


「やっぱり、父さんたちの会話を聞こうとしてこの部屋に入ったんだ?」


 そう言って松子を見る燕大の目は今までの頼りない姿とは正反対のものだった。一瞬怯んでしまう松子。だがここで白旗を挙げては今までの活動が無駄になる。松子は怖がっていないことをアピールするために強気に出る。


「だったら?」

「……見つけたのが僕でよかったね」


 どういう意味だろうか。松子は燕大をただ見つめる。


「父さんに見つかったら、美緒みおさん──どうなってたかわからないよ」

「……あなたのお父さんは売春や脅迫だけじゃなくて、殺人までやるわけ?」


 燕大は大きいため息をついた。そして再び椅子に座ってネクタイを緩め、もう片方の手で先ほどまで松子が座っていた場所をトントン、と叩く。お前もそこに座れということだろうか。松子は大人しく従う。


「確かに僕はさっき、父さんの不正を暴いてもらいたくて君にSDカードを渡した。でもそれは君に調べて欲しいからじゃない。君の知り合いだという警視庁の人に渡して欲しかっただけだよ」


 燕大は片手を手のひらを上に向けて松子に差し出す。


「それ、返して」

「え、なんで?」


 松子はSDカードが入ったハンドバッグを胸の前で抱きしめる。


 燕大は呆れたようにため息をついた。盃都がいつも松子にやっているように。この数十分で燕大は美緒に扮した松子がどういう人間なのか、なんとなくわかり始めていた。


「美緒さんが直接調べてると、いつか父さんに見つかるよ?全く、君がそんなに好奇心に囚われた女性だと知っていたのなら、あの映像だって見せなかったのに……」


 燕大は松子に秘密を共有したことを早くも後悔しているようだ。だが松子はそんなことは気にしない。


「今更気づいたの?私はこう見えても好奇心旺盛よ?」

「……なんとかは猫をも殺すってことわざ、知ってる?」


 燕大は呆れたような、心配しているような表情で松子の顔をのぞいた。よく他人から言われてきた言葉を、それほど親しくもない人間から言われるとは思っても見なかった松子は思わず視線を逸らして尋ねる。

 

「で?あの二人はどういう関係?今この隣の部屋にいるんでしょ?」

「…………」


 燕大が何を気にしているのか分からないが、松子は燕大から情報が得られるのであれば自分がどうなろうと構わない勢いだった。燕大は言いづらそうに口を開いた。


「実は、父さんは誰かを探してるみたいなんだ。多分、それで霜月さんを呼び出したんだと思う」

「誰を探してるの?」

「わからない。僕もこの前うっかり盗み聞きしちゃっただけで」

「盗み聞き?誰と誰の会話を?」

「……父さんと秋林さん」


 秋林。議員の後援会事務所の秋林宗佑だろうか。松子は2階に来る前に清鳳が言っていたことを思い出す。


 “確か高校生の頃に後援会に行った時に(霜月紅葉を)初めて見て、さっきの秋林さんに聞いたんだ。秋林さんは霜月さんと知り合いって感じだったな“


 松子はさらにパーティーに来る前、大鳥と盃都が言っていたことも思い出す。


 “先月の27日。霜月紅葉から秋林宗佑に連絡を入れている“

 “秋林宗佑に指示を受けて、いや、その電話で秋林宗佑に指示を仰いだ霜月紅葉が、松子さんの部屋に脅迫状を置きにいったんですかね?“


 今の所、霜月紅葉という人物が出てきたのはその話題だ。


 秋林宗佑と霜月紅葉が内通していて、霜月紅葉と議員が直接呼び出しをするくらいの仲の場合、この3人は繋がっていると見るべきだろう。先ほど燕大から見せてもらった動画の中で、霜月紅葉が議員から洞牡丹へのレイプ被害を揉み消した──と言っていた。つまり、議員は霜月紅葉を使って警察内部を掻き回すことは可能だということだ。


 もし、2年前に洞牡丹と縞桜太が殺された事件にもし議員が絡んでいるとすれば、霜月紅葉を使って警察内部の捜査を撹乱させた可能性も出てくる。松子がそんなことを考えていると、燕大が声のボリュームを抑えて松子に伝える。


「この前、秋林さんと父さんが家で話してた時に、秋林さんのスマホに誰かから連絡がかかってきたんだ」

「誰から?」

「それは分からなかったけど。東京から来た女が2年前の事件を嗅ぎ回っているそうだ──って、秋林さんが父さんに伝えてた」


 松子は背中に一気に嫌な汗が伝うのがわかった。議員や秋林宗介に自分がマークされていることがわかったからだ。斎藤美緒に化けて正解だったと、胸を撫で下ろした。


「2年前の事件って?」

「話してる感じでは二人が何者かに殺された事件のことだと思う。この町で2年前って言えば、それ以外に大きい事件はないし」


 ということは、議員は二人を殺した犯人なのだろうか。そうでなければ、今更この事件が話題に上がるはずがない。ましてや、嗅ぎ回っている──などの言い方はしないだろう。嗅ぎ回られたら都合が悪いということだ。


「アンタのお父さん、二人を殺したの?」

「だから言ってるだろ?僕の父さんが怪しいって……でも、縞くんと関係があるのかは分からない」

「どうして?」

「縞くんと父さんが一緒にいるのを見たことがないし、僕も縞くんとはただの同級生で、ほとんど話したことはなかったから」


 洞牡丹と柳田雨竜議員の関連はあるが、縞桜太との関係性が見えない。そっちは別の犯人なのだろうか。


「じゃあ、牡丹を殺したのがアンタのお父さんだとしたら、それは彼女の口を塞ぐため?」

「たぶんね。牡丹は売春に薬の売人を父さんの指示でやってたんだから。それを暴露しようとしたら、口封じされるだろうね」

「さっきの動画がバレたってこと?」

「だったら僕もとっくにあの世だろうさ」


 つまり、あの動画の存在はバレていないということだ。


「牡丹が単独で別ルートで告発しようとしたところを、見つかったってこと?」

「そんなことするかな……牡丹は慎重に動いてたよ。念の為にあの動画を一緒に撮ろうって言ってきたのも牡丹だし。派手に動くと他の人に見つかって通報されたらそれこそ終わりだ」

「…………逆じゃない?」

「え?」


 燕大は全く分からないというような反応だ。


「自分で告発できないなら、誰かに見つかる方が早いでしょ」

「……じゃあ、牡丹は、自分が捕まることで、真実を明るみに晒そうとしたってこと?」

「だって、これから買春するときにあからさまに西口で待ち合わせする?私だったらもっとわかりづらい場所にするけどな……。それに、薬を売ろうって人間が、薬やってることで有名な人間と一緒に出歩く?」


 大鳥が言っていたことが松子はずっと引っ掛かっていた。跡がつかないような連絡の取り方に手慣れているから、誰かに指示を受けているだろう──と。にもかかわらず、同級生に目撃されて勘繰られるような、人目につく場所で待ち合わせをしたり、いかにも怪しい目立つ人間と一緒にいたり。周囲にバレたくなければそれこそ多くの人の目につかないように気をつけるのではないか。松子はずっとそう思っていた。


 洞牡丹は誰かに見つけてもらいたかったのではないか。


 そしてそれに気づいたのが縞桜太だったのではないか。例のLINEにあったやり取り。あれは明らかに縞桜太が洞牡丹がやる何かを止めようとしていた。


──でもあのやり取りじゃ、桜太くんは牡丹が本当に道を踏み外したとしか思ってなさそう……。

 松子はそう思った。本当は警察に通報して欲しかったのではないだろうか。桜太は牡丹を守るために自首するようなことを促していた。自主をするとまた霜月紅葉が出てきて、調書が捻じ曲げられる。大勢の警察官が一気に出てきて、議員の息がかかった警察官が隠蔽できないように派手に見つかりたかったのではないだろうか。


「命をかけたんじゃないかな……」


 松子はつぶやいた。


「牡丹、自分の命をかけて事件を表に出そうとしたとかはない?自分のことを調べられたら、薬や買春の情報は出てくるから、その線である程度までは警察が辿れるだろうし」

「君の言い方だと、牡丹は自分から殺されに行ったようなものだけど?」


 燕大の言葉にもう一つの可能性──自殺が浮かび上がってきた。


 だが、誰かに撲殺された後がある以上、他殺と見做す方が自然だろう。自分で自分の頭を打ちつけて死ぬことはできるのだろうか。飛び降りならばもっと全身に挫傷の痕があるだろう。警察発表では、後頭部を丸みを帯びたもので殴られた──との表現しかされていない。誰かが彼女の意思を尊重して手伝った可能性もあるのだろうか。


──牡丹を手伝うとしたら、内情を知っている燕大が怪しいわよね……でもこの男はそんなことするくらいなら泣きながら警察にこのSDカードを持っていきそう……。

 松子は目の前にいる容疑者の一人を値踏みするように眺めた。そして牡丹が自殺を望んだとして、それを手助けした人物が誰なのかを考えていた。

 

「ねえ、アンタのお父さんの秘書、なんて言うんだっけ?」

「小野さん?がどうかしたの?」

「政治家の周りで事件が起こったとき、一番怪しいのは秘書でしょ。アンタのお父さんが指示を出してるのかもしれないけど、実行するのは絶対に別人にするはず。万が一バレた時でも秘書に罪を擦りつければ、自分は知らぬ存ぜぬで強行突破できるから」


 松子が澱みなく言い切ると、燕大は席を立ち上がり、ベランダへとつながる窓の鍵を開けて、そっとドアをスライドさせる。そして松子の方を振り返って手招きをした。

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隠された事件〜ひと夏の思い出〜 Fluffy @Fluffy_

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