第36話 燕
衝撃の映像。
この映像を警察に提出していれば、もしかしたら洞牡丹は殺されることはなかったのかもしれない。だが、
誰に助けを求めることもできず、燕大はこの数年間必死にこのデータを隠し続けてきたのだろうか。そう思うと松子は燕大に同情するしかなかった。普段は他人と自分の境目をしっかり線引きして距離を弁える松子だが、流石にこの映像を見ると燕大を助けなければと思わずにはいられなかった。
松子は気づいたら席を立ち燕大を抱きしめていた。燕大は当然、松子の予想外の行動に驚く。
「──ど、どうしたの?
「アンタ、よく頑張ったね、今まで」
松子の言葉にさらに含水量が増えた燕大の瞳。それが頬を伝うのに時間はかからなかった。ひとしきり泣いた後、ようやく落ち着いた燕大は困ったように笑う。
「ごめん。巻き込んで。さっき君は2年前の事件と聞いてピンときていなかったのに」
では何故、わざわざリスクを犯してまで隠し通してきた秘密を松子に打ち明けたのか。
松子が親しみやすかったから?斎藤美緒と面識があったから?事件を調べている可能性に賭けたかったから?
いずれにせよ、相当な覚悟を持たなければ第三者にこの映像を見せるなんてことはできなかっただろう。動画内に映る告発者のうちの一人である洞牡丹が殺された後ならば尚更。この世から消されるのは次は自分かもしれないのだから。
もし燕大が洞牡丹殺害の犯人だった場合、これは燕大が常軌を逸した人間であるということになる。これら全てが演技ということだ。だとしたら、今すぐにでも俳優になった方がいいレベルだ。そして洞牡丹のように純粋で善良な人間が餌食になるということだ。
燕大による罠なのか、本物のSOSなのか。それがハッキリするまでは松子はこちらの思惑は明かすことができない。
「アンタの言う2年前の事件て、牡丹が殺された事件のことだったのね」
「そう……美緒さんなら、牡丹の友達だったから、何か探していてもおかしくないなって思って──」
「……」
「牡丹が亡くなってから、美緒さんは学校にあまり来なくなったよね……高校卒業してから噂も何も聞かなくなって、SNSも知らないから君が今まで何処でどんな思いで過ごしてきたのかは知らない。でも、成人式に君が来たって
「何を?」
「君はまだ牡丹のことを忘れてないって」
燕大の言葉が何を意味するのかわからない松子。音沙汰がなかった人間が成人式に現れたからと言って、被害者が亡くなったことを忘れていないと何故結論づけられるのか。これは誘導尋問なのだろうか。完全に白とは言い切れない人物を目の前に、燕大の置かれた状況に同情しつつも松子は事件については調べているとは明言したくない。
「牡丹が亡くなったのは、当時の私にとっては辛いことだった。唯一まともに取り合ってくれる友達だったから。でも、牡丹がいなくなって分かったの。いつまでもそばに誰かがいるわけじゃないって。牡丹が亡くなったことは忘れないけど、だからってずっと引きずってるわけにもいかない。今回同窓会に来たのは、単純に見返してやりたかったの。私をいじめてた人たちを。だから成人式のタイミングでこっちに戻ってみた。それだけ。あとは──、友人が亡くなったら普通、弔うでしょ?今年は3回忌だし」
「そっか……」
「まあでも、さっさと犯人には捕まってほしい。もう3回忌だよ?私たち、成人しちゃったんだよ?」
松子の言葉を聞いて燕大は俯く。表情が見えづらく、燕大が何を考えているのか分からない松子はただ黙っているしかない。松子は残りの冷たい紅茶を飲み切ってカップを置くと、ソーサーとぶつかる音が響いた。その音と同時に燕大は口を開いた。
「じゃあ、この映像はまたお蔵入りかな……」
燕大の言葉に違和感を覚えた松子はすぐに口を挟む。
「何で?警察に持ち込めばいいじゃん」
警察に持ち込むリスクを分かった上で、あえてぶつけた松子の指摘に燕大は首を横に振った。
「さっきの動画見ただろ?警察に持ち込んでも、父さんの息がかかった警官に握り潰されるだけだ」
「じゃあマスコミ」
「……この事件のもう一人の被害者、
知っているも何も、松子からしてみれば縞桜太こそが、この事件を調べるための動機でもある。彼がマスコミに何をされたと言うのだろうか。マスコミが彼を殺したとでも言うのだろうか。燕大の言う意味がよく分からず松子は首を傾げると、燕大は言いづらそうに口を開いた。
「あの事件の後、桜太くんの家にマスコミが押し寄せて、勝手に変な噂を報道して桜太くんの家族は町から孤立してった……強盗も入ったんだよ。その後にお母さんも自殺した……。だからマスコミにこの映像を持っていったら、今度は僕の母さんや牡丹の家族も同じ目に遭うかもしれないんだ。桜太くんの家族が酷い目に遭ったのを見てると、マスコミには下手に情報を渡したくない」
燕大の意見はもっともだ。不自然ではない。自分が燕大の立場でもそう思うだろう。
松子はまだ燕大のことは信用できないが、燕大が持っているそのデータは欲しい。だが、堂々とこの事件を調べていると打ち明けるわけにはいかない。どうすればこのデータを燕大から貰うことができるのか。盗む以外の方法で燕大の反応を見ながら得られる手段はないか考える。
この町の警察官は
「私さ、警視庁に知り合いがいるんだよね。私がその人にこのデータを渡してみようか?」
「東京の警察は管轄外でしょ──、こんな田舎町で起きてること……」
「アンタのお父さん、国会議員でしょ?警視庁どころか本来は検察庁の特捜部案件だよ、これ。でも、国会議員なら永田町にも出入りしてるでしょ?東京でも同じことやってる可能性があるなら、調べる理由になる」
燕大は松子の言葉にハッとした。そしてPCからSDカードを抜き取り、松子に差し出す。松子はそのカードを受け取った。
「もう僕は君に頼るしかない。情けないが、これ以上父さんが罪を重ねないためにも、亡くなった牡丹のためにも、これを君に託すよ」
「……分かった」
燕大は困ったように笑った。松子は席を立ってドアの前まで歩く。鍵を開けようとドアのぶに触れて手を止めた。松子はそのまま振り向いて、席から立ち上がりこちらに向かおうとしていた燕大に問う。
「ねえ、洞牡丹、誰に殺されたんだと思う?」
燕大は動きを止めて松子を見る。床に視線を落として再び松子を見つめてから口を開いた。
「僕の、父さんだと思う……」
「どうして?」
「……さっきの動画を見ただろ?」
「ただ犯罪教唆してるだけじゃないの?」
「…………」
無言になった燕大。あの動画では告発されそうになったことによる口封じのために洞牡丹を殺害したとも取れるが、洞牡丹を殺したという決定的な証拠となるものは見られなかった。それなのに燕大が自分の父親が洞牡丹を殺したと思う根拠はどこにあるのだろうか。松子は燕大が他にも事件について知っている何か情報を持っているのではないか、と思った。自分の父親を疑うには、それなりの理由があるだろう。松子はじっと燕大を見る。しかし燕大は床を見たまま顔を上げようとしなければ口も開く様子はない。松子は痺れを切らして先に口を開く。
「じゃあ、アンタのお父さん以外だったら、誰が牡丹を殺したんだと思う?」
「どういう意味?」
ようやく顔を上げた燕大。だが、頭上にはクエスチョンマークが並んでいるのは誰が見ても明らかだった。
「そのままよ。他に牡丹を殺しそうな人に心当たりはないの?」
「他って、牡丹がレイプ被害を訴えた時に揉み消したあの警官のこと言ってる?」
「そう。そういう、燕大的に怪しいなって思う人、他にもいる?」
「……父さんの周りの人間はみんな怪しいから──」
「じゃあ、アンタの周りの人間は?」
「え?」
思いもしなかったとでもいうような反応をする燕大。松子は怒られるのを承知でさらに言葉を重ねる。
「
いつも一緒にいる仲間を列挙されて怒るだろうか。松子はそう思って覚悟をしたが、燕大の反応は予想外だった。視線を松子から外しただけだった。
「どうだろう……いるはずない、と思いたいけど」
「いるってことね。誰?」
「……」
「もしその人が本当に牡丹を殺したなら、アンタは許せるの?」
曖昧な態度を取り続けていた燕大だが、この言葉には松子の目を見てはっきりと答えた。
「……許せるわけ、ないだろ」
「じゃあ教えて。牡丹を殺しそうな人間が誰なのか」
燕大は口を開けるも、一度閉じた。唇を一文字に結んでから再び口を開く。
「菜月」
「どうしてそう思うの?」
「……アイツは、牡丹を毛嫌いしていたから」
「なんで?」
「同窓会の時に美緒さんにそうだったように、いつも攻撃的で、庶民って言って煙たがってた……」
「でもいつも一緒にいたじゃない」
「清鳳が連れてくるからね」
「ただ気に入らないからってだけで菜月が人を殺すと思うの?」
「いや、これは僕も悪いんだけど……僕も清鳳も牡丹には好意を抱いていたと思う。清鳳ははっきりと口にしたのは聞いたことないけど、僕は一時期牡丹に惹かれてたよ」
「一時期?」
「牡丹は優しいし魅力的だから、普通の男なら一緒にいると誰でも好きになるんじゃないかな?でも、僕は親公認で菜月に思いを寄せていることになってるから……付き合おうって言ったわけではないけどね。菜月からしたら、許せないだろうね。自分のことを好きだった人間が別の人間に思いを寄せているのは」
「でも清鳳が牡丹を好きだろうと、それは菜月には関係ないでしょ?」
「いや──、菜月は僕の父さんみたいな人間なのかな──と、思うことがある」
「人を操るってこと?」
「いや、人を駒のように扱うってこと。菜月にとって僕と清鳳はクイーンを守るナイトみたいなものだ。両脇にいるのが当たり前の存在なんだよ。それを横取りされたら、プライドの高い菜月にとっては、許し難いことなんじゃないかな……」
いつも連んでいる人間がそのように仲間を分析するということは、中から見ても外から見ても菜月の牡丹に対するあたりは強かったということだろう。
松子は同窓会を抜けて清鳳と一緒にいた時に聞いたことを思い出していた。燕大が牡丹を避けるようになった──と。理由は牡丹が自分の父親と寝ているから。そう言っていた。アレは自分の父親と寝るような女だということを知ってしまった燕大が、牡丹に失望して取った行動だと思った松子。清鳳の言い方も、燕大が牡丹を軽蔑して避けたような言い方だった。だが、今、燕大から聞いた話ではそうではない。あんな告発映像を共に撮っている仲だ。確認のため、松子は燕大に問う。
「だから牡丹を避けるようになったの?」
「それもあるし、牡丹がうちに来ると父さんに利用されるから……」
利用される。レイプされるということだろう。つまり、牡丹を父親から遠ざけるために、菜月のために燕大は牡丹と距離を取るようにした、ということだ。燕大の言っていることが事実なのであれば。
松子は踵を返そうとしたが、ついでに尋ねる。
「清鳳が牡丹を殺した可能性は?」
「ない」
この問いには即答した燕大。よほど確証があるのだろう。
「なぜ言い切れるの?好きだった牡丹がアンタのお父さんと寝てることに腹を立てて殺したって考えることもできるでしょ?」
「ない。清鳳はそういう奴じゃない」
「どうして?」
「君もここ数日、清鳳と話して分かっただろ?アイツは好きな人には一直線だ。何がなんでも振り向かせるプレイボーイ。そんな恋愛ゲームを全力で楽しむ奴が、永遠に手に入らなくなることはしないんじゃないかな?それに、チャラチャラしているように見えて義理人情に厚い奴だよ、アイツは」
燕大の言葉には説得力があった。たった2日だが、清鳳と実際に時間を共にした松子は納得した。清鳳は獲物を手に入れる前に殺すタイプじゃない。それどころか、獲物を手に入れたらそれは大層大事に愛でるタイプだと思った。仲間思いな点はもちろん、清鳳の部屋は手入れの行き届いたビンテージものが多く存在した。手入れをしながら使う、物を大事にするタイプだ。そんな人間が好きなものを壊すはずがない。いくら確認のためとはいえ、愚問だったと改めて気付かされた松子は笑うしかなかった。
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