花が落ちたから

葉月

短編

雨が降って、花が落ちた。


下校中、何かを蹴った軽い感覚があり下を見ると、足元に白色のカーネーションが落ちていた。

その花は半年前、彼からのプレゼントでキーホルダーとして貰ったものだった。


***


「カーネーションってさ、世間一般的に母の日に渡す花だって認識されてるじゃん?」

いつもの帰路、不意に凜空が口を開いた。

「そうだねー。他にも何かあるの?」

「母の日でよく見るのは赤だけど、カーネーションは色が豊富で、色それぞれに花言葉も違うんだって。」

「へぇ、知らなかった。」

「はいこれ、あげる。」

彼の差し出された手のひらに、白色の毛糸で編まれた“何か”が乗っている。

「これって、もしかしてカーネーション?」

「正解!」

「凜空が作ったの?」

「そー!恋花が編んだ作品見て、僕も作りたいと思ったんだ。」

「え、すごい、ほんと。嬉しすぎる。白のカーネーション、ちょーかわいいね。ありがとう。」

満足気な彼の横顔が見えた。

1か月前、私の編んだ作品を見て興味を持った彼に基礎を教えたのだった。彼自身、熱しやすく冷めやすい性格なので今回もそう長くは続かないだろうと思い深くは教えなかったのだが、まさか続いていたとは。編み目に多少の乱れはあるもののちゃんと形になっていて、手先の不器用な彼なりに努力したのだろうと感心した。

「着いた!」

凜空にもらったカーネーションのキーホルダーを眺めながら歩いていたら、いつの間にか自宅の前に着いていた。

「今日はキーホルダーも、ほんっとにありがとう。」

「どういたしまして、恋花の驚いた顔見れて嬉しかった!また明日ね。」

「うん、気をつけて帰ってね。」

繋いでいた手を離し、お互いに手を振って別れた。


部屋に戻って、白いカーネーションの花言葉を訊き忘れていたことを思い出した。スマホを開いて検索をかける。

【白いカーネーション 花言葉】

「尊敬、純潔の愛、私の愛情は生きている……」

渡される直前に凜空が花言葉の話をしたのでこのカーネーションにも意味があるのは分かっていたけれど、改めて理解すればやっぱり少し気恥ずかしい。凜空は白いカーネーションに自分の思いが乗っていることを、間接的で直接的に伝えてくれたが、平気なのだろうか。なんとも凜空らしい伝え方だと思った。

明日からはこのキーホルダーを鞄に付けて登校しよう。


***


あの日から私は毎日、この白いカーネーションのキーホルダーを身に付けているが、2ヶ月ほど前からチャームと本体が緩んでいて、取れかけていることに気づいていた。その度に、落ちそうなカーネーションを必死に白い毛糸で補強していた。花が落ちないように。できるだけ貰った時のままの状態を維持していたかった。

そんな私の抵抗も虚しく、白いカーネーションは雨と泥水に薄汚れて、私の足元に転がっている。

拾い上げて、着いた汚れを軽く払う。彼が作ったカーネーションは、強度もなく繊細だったため、洗濯はできそうになかった。泥水のせいで染みになりそうだ。取れてしまったカーネーションを付け直したところで、またすぐ落ちてしまうだろう。知らぬ間に落として失くすより、部屋に置いておいた方がいい。凜空には後で謝っておこう。


放課後は用事があり、家に着くともう8時を過ぎていた。部屋でスマホを見ると、凜空からの着信が入っていた。かけ直す。

2回目の着信音の後に凜空が出た。

『もしもし』

「あ、凜空、ちょうど家に着いたところだった。ごめん気づかなくて。」

『そうだったんだ。急な雨、酷かったみたいだけど、大丈夫だった?』

「うん、折りたたみ傘持ってたから。」

『それならよかった。』

「それと、謝らなきゃいけないことがあって、前に凜空がくれたカーネーションのキーホルダーあったじゃん。あれ、今日の帰りに落ちちゃって、泥水で汚れちゃった。ほんとにごめん。」

『あぁ、あれ。そうなんだ、大丈夫だよ。僕の作りが弱かったから。恋花が補強してくれてるの知ってたよ。』

「うん、ごめんね。あ、そういえば着信来てたから、何か話したいことでもあったのかなって。」

『ううん、特に用はないんだけど、声が聞きたくなって。ただ、それだけ。』

「そっか。凜空はもう家に着いた?」

『ううん、僕はまだもう少し塾にいるよ。』

「そうなんだ、頑張ってるのね。もう暗いから、帰りは気をつけて帰ってね。」

『うん、ありがとう。』

「うん、それじゃあね。」


電話が切れる。通話終了の音がいつもより大きく聞こえた。

私たちを包む空気と間と音の全てに敏感になる。今日はもう早くお風呂に入って寝てしまおう。全て今日に置き去りにして、夢も見ないほど深く眠りについて、早く明日を迎えよう。何を考えたって意味がない。私は今を生きることしかできない。何も感じさせないように、今日というこの世界を閉鎖するのだ。


***


机の引き出しの奥から、白の毛糸で編まれた薄汚れたカーネーションが出てきた。その不格好な編み目と、繊細で今にも解けそうな毛糸で作られたカーネーションの手触りを確かめながら、当時の彼を思い出す。

「尊敬、純潔の愛、私の愛情は生きている……」


彼が病気だと知ったのは学校にあまり来れていないと知ったからだった。高校二年で同じクラスになり付き合った私たちは、三年になると階もクラスも離れてしまい、学校ではなかなか顔を合わせられなくなっていた。大学受験の勉強でお互いに忙しくなり、休日に会える日が減っても、唯一私たち2人の時間は毎日の帰路だった。その時間も、夏休みが近づくにつれ、次第に減っていき、彼からは、塾に通い始めたのでこれから一緒に帰ることができないと言われた。彼の普段と変わらない様子から、私はてっきりそれを本当だと信じていたのだ。私自身、凜空のクラスに仲の良い友達がいなかったので、凜空の学校での情報も聞くことはなかった。しかし凜空は、塾どころか、学校にすら行けていなかったのだ。


白血病だった。昔から身体も弱く、貧血気味だった彼は、その症状も日々の疲れからだろうと真に受けることなく過ごしていたため、発見が遅れてしまったという。

本当は気づいていたのだ。凜空が何かを隠しているということを。私たちを包む空気と間と音から感じていたのだ。私はそれをみないように、感じないように、閉鎖した。怖くて、ずっと逃げていた。


あの時の私は、彼が離れてしまいそうで、形が崩さないよう、繊細な彼をただ必死に繋ぎ止めることしかできなかった。


尊敬、純潔の愛、私の愛情は生きている


きっと彼は、自分がそう長くはないとあの時既に感じていたのだ。


尊敬、純潔の愛、私の愛情は生きている


彼がこの世を去ってもう何年経っただろうか。

当時の私は現実から目を背け、結果的に自分を責め、自滅した。後悔ばかりだった。彼のくれたカーネーションが鞄から落ちた日。こんなことになるなら、あの時の雨に私の弱さや世界をまるごと流し落としてもらえたらよかったのにと、何度思っただろうか。考えたって意味がなかった。ただ、ただ私は未熟だった。


それでも私は今を生き続けることしかできない。私の愛情は生きている。これからも。彼への愛情は枯れることなく、私の中で生き続ける。

今年も彼の元へ、白い毛糸で作ったカーネーションを持って、枯れない思いでいっぱいにしよう。


私の愛情は生き続ける。

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