人類最後の2人になったので、元カノに謝った。~いやマジで悪かったって~

シラカバ

第1話

 世界が終わった朝、俺は目玉焼きを焦がした。


 人がいない。


 目覚めてから30分、誰とも会っていない。スマホは圏外、電車は動かず、テレビは砂嵐。コンビニのレジも無人。しかも「おでん持ち出し厳禁」の貼り紙だけがやたら元気。


 街が静かすぎて耳が変になる。鳥の声もないし、車も走らない。


 誰かのドッキリだと思った。

 けど、昼過ぎになっても何も変わらなかった。

 それで俺はようやく気づいた。


 ああ、これ、ガチのやつかって。


 誰もいないショッピングモールでアイスをかじりながら、俺はぼんやり空を見上げた。


 青い空。高い雲。完璧な天気。

 それが逆に怖かった。もっと派手に雷でも落ちてれば、「地球滅亡!」って実感も湧くのに。


「なーにサボってんのよ、こんなときに」


 不意に、後ろから声がした。


 心臓が止まるかと思った。ていうか口から出た。アイスじゃなくて心臓が。


 振り向くと、そこにいたのは──


「……え、真奈?」

「うん。あんたこそ、なんで生きてんの」


 ──元カノだった。


 正直、死んだかと思ったけど、これはこれで別の意味でダメージがでかい。


「いや、久しぶり……っていうか、お前、生きてたんだ」

「うん、生きてた。ていうか、人類最後であんたとか、最悪のクジ引いた気分」

「言い方な」


 羽鳥真奈。

 大学の同級生で、2年前まで俺の彼女だった。


 別れて以来、特に連絡もなかったのに、まさか終末の世界で再会するとは思ってなかった。

 ていうか、選べるならもっと他の人がよかった。アイドルとか。せめてペットとか。


「で、あんた何してたの?」

「街歩いてた。コンビニ寄って、冷凍庫あさって、アイス選んで……」

「アイス?」

「うん。終末にはチョコミントが合うって相場が決まってるだろ」

「初耳だけど、まあわかる」


 会話が続くのが不思議だった。

 別れてから、話す理由もなかったのに。


 でも、目の前に人間がいるってだけで、安心したんだと思う。

 しかも、それが一度好きになった人だったってのは、たぶん、何かの皮肉だ。


「……なあ」

「なに?」

「いや、その……なんか、悪かったな、いろいろ」

「いろいろ?」

「うん、いろいろ」


 なんか言えよって目を向けたら、真奈はスニーカーのつま先で地面を軽く蹴った。


「……どれのこと?」

「全部」

「謝るの、遅すぎでしょ。人類ほぼ滅んでからとか」

「でも俺、最後に残った2人が俺たちだったのって、なんか罰っぽい気がして」

「へえ。私はやり直しのチャンスっぽいなって思ったけど」

「えっ、やり直す気あるの?」

「さあ? でも、こんな世界でくらい、素直になってみたら?」


 真奈はそう言って、俺のチョコミントをひと口奪って笑った。


 ああ、やっぱ、好きだったなって思った。


「ちょっと歩こっか。まだ昼だし」


 真奈が言った。

 俺は無言でうなずいた。


 道の真ん中を、遠慮なく歩く。

 誰もいない交差点。信号は律儀に点滅を続けている。もう誰も見ていないのに。


「静かだねぇ……うるさかったの、全部、人だったんだね」

「逆に不安になってくるよな。自分の足音がでかく聞こえる」

「なんか、世界に怒られてる感じ。『よくも好き勝手やってくれたな』って」

「お前、詩人かよ」


 会話は続いているけど、お互いあまり目は合わせてない。

 付き合ってた頃の間に、少し似てる気がした。


「なんか食べる?」

「え、食べ物あるの?」

「ある。ローソンの冷蔵庫、生きてた」

「人類滅んでもローソンは生きてるんだね」


 駅前のコンビニを見つけ、2人で入る。

 冷蔵ケースには、おにぎりとサンドイッチ。冷凍庫にはピザまんと、またチョコミント。


「あんた、さっきもそれ食ってたよね?」

「じゃあ今度は……これ。抹茶。落ち着きたいときに食べるやつ」

「確かに。いま食べるにはちょうどいいかもね」


 店の前のベンチで向かい合い、食べながら、ふいに真奈が言った。


「……なんで、別れたんだっけ?」

「俺が、逃げた」

「うん。それは覚えてる。具体的には?」

「バイトと課題とサークルと、お前のこと。どれも中途半端で。お前のこと、真剣に考えたら逃げたくなった」

「正直すぎてむかつく」

「でも、今思えば、たぶん、向き合うのが怖かったんだと思う」

「へぇ」


 真奈はサンドイッチを一口、ゆっくり咀嚼して、視線を落とした。


「じゃあ、今なら?」

「向き合える。……たぶん」


 しばらく風の音だけが響いた。

 会話が途切れると、世界の静けさが一層、重くなる。


「ねえ、なんで私に謝ったの?」

「……お前しかいないから」

「違うでしょ」

「……」

「世界に2人しか残ってないから謝ったって、それって謝罪なの? 自己満足なだけじゃない?」

「……そうかもな」

「別にいいけどさ。私、あのときのこと、今でもたまに思い出すよ」

「俺もだよ」

「ほう……口ではいくらでも言えるよね」

「じゃあ……証明するか?」

「なにを」

「世界が終わる前に、本当に謝りたいって思ってたってこと」

「──できんの?」

「できるさ。人類最後の2人なんだぜ。嘘つく相手も、もういないんだ」


 そう言って、俺は立ち上がった。

 深く一礼する。


「羽鳥真奈さん。2年前、別れ話をLINEで済ませてすみませんでした。理由もまともに言わずにフェードアウトして、本当に最低でした。お前を好きになったことに偽りはありません。でも、ちゃんと大切にしようとしなかった俺が悪い。──ごめんなさい」


 顔を上げると、真奈はぽかんとしていた。

 数秒のあと、吹き出す。


「まじめかよ。そういや、LINEだったね」

「地獄のように後悔してる」

「……まあ、いいや。許す」


 短く、でも確かに。

 その言葉が、世界の終わりよりも心を静かに震わせた。



***



 日が傾いてきた。

 西の空が、赤く焼けている。


 世界が死にかけてるってのに、夕焼けはやけに綺麗だった。

 まるで地球が、最期に「ちゃんと美しかったでしょ?」って言ってるみたいに。


「……なあ、ちょっと歩く?」

「さっきも歩いたじゃん」

「いや、もっと……景色のいいとこ」


 俺たちは並んで歩いた。

 かつては人で溢れていた商店街を抜け、踏切のない道を横切り、丘の上の展望台へ。


 住宅地を抜ける途中、猫が一匹だけいた。

 それが今まで出会った唯一の生き物だった。


「ねえ、やっぱおかしくない?」

「何が?」

「人類滅んでるにしては……空気が普通すぎる。水も電気も止まってないし、腐敗臭もしない。生き物は見ないけど、死体もない」

「……なんか、選ばれたみたいな気がするよな」

「選ばれたくなかったけどね、元カレと二人きりの世界とか」


 冗談めかして真奈が言う。

 でもその声は、どこか寂しげだった。


 展望台に着くと、遠くの海が見えた。

 赤く光る水平線。そこに何もないのが、逆に息を呑む。


「……この景色、誰も見てないのかな」

「いや、見てるじゃん。俺と、お前と」

「──そうだね」


 ベンチに腰かけて、俺たちは黙ったまま、しばらく夕焼けを見ていた。

 時間だけが過ぎていく。誰にも邪魔されず、誰にも監視されず。


「……さ」

「ん?」

「もし、世界が戻ったらさ。人類が戻ったら、私たち──」

「うん」

「また別れるのかな」

「──もう一回、始めるかもしれない」

「また、終わるかもしれないよ」

「それでも、また好きになるよ」


 真奈が、ゆっくりと俺の肩に頭を預けた。

 呼吸のリズムが、近づいていくのが分かる。


 鼓動が、世界のどこかで唯一、確かに鳴っていると感じる瞬間だった。


「なんかもう、わたしたちが世界なんだって感じ」

「それ、めっちゃ厨二くさいけど──」

「──でも、間違ってないでしょ?」


 真奈が、肩で笑った。


 俺も笑い返す。

 たった2人の世界で、ようやく同じ未来を見ようとする2人。


 その瞬間、遠くで何かが点滅するのが見えた。


 ビルの屋上に設置されたような、赤いライト。

 ただの警告灯ではない。明らかに誰かがいる気配。


「……今の、見えた?」

「うん」

「誰か、いる?」

「……かもな。……行ってみる?」

「うん」


 もう、この世界には何もないと思ってた。

 でも、違った。


 もしかしたら、誰かが残ってるかもしれない。

 もしかしたら、この終わりにも理由があるのかもしれない。


 でも、たとえ、世界の謎が解けても。


 この気持ちは、解きたくないと思った。


 だって今、ようやく心が繋がった気がしたから。




***




 ビルの屋上に続く階段は、想像以上にボロかった。

 ひび割れたコンクリート。さびた鉄扉。途中で何度も軋む足音にヒヤヒヤした。


「ねぇ、もしゾンビとか出てきたら、私ふつうに泣くよ」

「そしたら俺が、全力で殴る」

「なんかもうちょっとロマンチックなセリフなかったの?」

「じゃあ、『君を、絶対に守るよ』」

「いや、それはそれで恥ずかしい」


 笑い合いながら、屋上の扉を開ける。


 そこには──


 誰も、いなかった。

 けれど、確かに何かが起きていた。


 床に設置された、見慣れない機械。

 円形の台座。液晶のモニター。薄く輝くホログラムのパネル。


 そして、真ん中には──


 【最終確認:地球再起動プロセス】という表示。


「……これ、まさか」

「システム?」

「世界って、システムだったの?」

「いや、そもそも人類って何……?」


 動揺しながらも、ゆっくり画面に手をかざす。

 反応した。


──『記憶同期完了。個体識別:羽鳥真奈、高槻蓮』

──『再起動条件、満たしました。最終手順を選択してください』


 次の瞬間、選択肢が浮かび上がった。


 1. 【このまま、2人のまま生きる】

 2. 【人類を復元する。ただし、互いの記憶は消える】


 俺たちは黙った。

 さっきまで笑ってたのに、今は互いの呼吸がやけに重く聞こえる。


「……これが、世界の選択肢?」

「たったふたつだけかよ」

「記憶が消えるってさ──」

「俺たちが、また他人に戻るってことか?」

「せっかく……ようやく……なんでっ……」


 俺は息を吸って、真奈のほうを見た。


「──でもさ」

「ん」

「きっと、もう一回、また好きになると思う」

「……保証あるの?」

「ない。でも、証拠ならある」

「証拠?」

「俺、お前にちゃんと謝ったから」


 真奈が一瞬呆気にとられ、くすっと笑った。


「じゃあさ。次も、その次も……私、また怒っていい?」

「何回でも怒って、何回でも好きになってくれ」

「調子いいなあ、あんた」

「そうだよ。調子よくなきゃ、世界なんて救えない」


 真奈が液晶にそっと手を伸ばす。

 指が選択肢の『2』に触れる。


「……また、はじめから恋しよっか」


 光が、世界を覆った。



***



 高校の教室。昼休み。

 ざわつく教室のなかで、窓際の席に座る俺は、なぜか何かを探していた。


 理由は分からない。名前も思い出せない。

 ただ、誰かを、ずっと待っていた気がする。


 ──そのとき。


「隣、いい?」


 声がして、ふと顔を上げた。


 そこにいたのは、見覚えのない、でもどこか懐かしい笑顔の少女だった。


 目が合った瞬間、胸がわずかに高鳴った。


 ──もしかしたら。


「高槻 蓮くん、だっけ?」

「……あ、うん」

「わたし、羽鳥 真奈。転校してきたの。よろしくね」


 新しい始まり。

 世界が終わっても、記憶が消えても──


 きっと、何度でも、また君を好きになる。

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人類最後の2人になったので、元カノに謝った。~いやマジで悪かったって~ シラカバ @shira-kaba

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