恋の小石を蹴った夜〈下〉

 卒業式の後にタイムカプセルを埋めたのは、プールの裏にある花壇だった。正確にその場所を覚えていたのは、それが僕にとってあまりに苦い記憶であるから。

 当時の僕は卒業の直前で幼馴染と離れたことも相まって、彼女のことを酷く引き摺っていた。その想いがあまりに如実にタイムカプセルに入れた物に現れたからか、クラス中に揶揄からかわれた。だから、僕はその場所を鮮明に覚えていた。


 訪れたプール裏の花壇はもう何年も手入れがされていないようで、鬱蒼と雑草が生い茂っていた。今から掘り起こすことを考えると億劫になってくるが、そこまで深くは埋めていなかったはずだ。すぐに掘り起せるだろう。意気込んで、空き缶を握りしめた。


「大ちゃんさ、幼馴染の女の子のことはまだ好き? 今でも、想いを伝えられなかったことは後悔してる?」


「さっきからやけに気にするんだな」


「いいでしょ。お互い付き合ってた頃の話は避けたいでしょ」


「一理あるな」


 話しながら肩を並べて、土を掘っていた。子供の頃、幼馴染とはこんな風によく公園で砂遊びをしていた気がする。それがゲームになって、児童書になって。歳を重ねるに連れて、少しずつ変わっていたけれど。それでも僕と彼女は、いつも一緒にいた。

 思えば僕は、隣にいる人間がさほど変わらない生き方を選んでいた気がする。


 小学校までは幼馴染と一緒にいて、中学では七瀬さんと一緒にいて、高校では同じ文芸部の友人といつも一緒にいた。


 僕は閉じた社会に居る人間だった。

 同窓会ではそれがあまりに如実に顔を出していた。

 僕の中で周りの顔と名前が一致しなくなった参加者たちは、僕とは違ってお互いを名前で呼び合っていた。和気あいあいと数年ぶりの再会を楽しんでいた。隣になった参加者に「村山! 久しぶり!」と気の知れた仲のように声を掛けられても、僕には彼が誰なのか分からなかった。

 七瀬さんはどれだけの人の顔を覚えていたのだろう。彼女のいた席のことを、何とかして思い出そうとしてみる。しかし、これもまた酒のせいか。記憶は曖昧なままだった。


「それで、どうなの? まだその子には会いたい?」


「どうだろうな。もうあの頃ほどの感情はないとは思うけど、会えることなら一度くらい……とは思うな」


「そっか。じゃあ、私が間に入ってあげる」


「え?」


 突然の提案に手が止まった。彼女は土を掘り続けている。


「なんで七瀬さんがそんなことを。ナッちゃん……透夏とうかと知り合いなのか」


 久しく口にしていなかった、懐かしい響きが口に残った。

 透夏だから、ナッちゃん。大介だから、ダイちゃん。僕たちはお互いを昔から馴染み深いあだ名で呼び合っていた。


 七瀬さんがジャケットのポケットからスマホを手に取る。土のついた人差し指は使わず、小指で画面を弾いている。ややあって彼女が僕に一枚の写真を見せてくれた。写真には、七瀬さんともう一人の女性が居る。二人は顔を寄せ合っていて、いわゆる双子メイクと双子ファッションを楽しんでいる様子だった。


「大学で知り合ったんだ。バイト先も同じでさ。ほんと偶然だよね」


「そんなことが」


「そう。だから大ちゃんの昔の話とか、色々知ってるよ。もちろん中学のこともね」


「まじか。……あいつ、覚えてろよ」


「そんなこと言っていいの? 私、あの子にチクっちゃうよ」


「やめろ。ナッちゃんは怒ると面倒だから」


「私の友達に向かって失敬な。……おっ、なんか当たったかも」


 手応えがあったらしい彼女は、そのまま周りの土を掘り始めた。深さはやはり大したことはなかった。当時の担任が面倒がって浅くしてくれたのがここに来て幸いしていた。

 それからは二人で黙々と、穴を掘り広げていった。埋めたタイムカプセルは小さな缶で、一人一箱のタイムカプセルだった。蓋の上部に学年と出席番号を書いていた。掘り進めていくと、やがて土の中から『村山大介』の名前が書かれた缶が出てくる。


「大ちゃん、開けてみて」


 土のだらけになった手で彼女が缶を持ち上げる。中身がほとんどない缶は、がらがら音を鳴らして夜の校内に音を響かせた。

 僕は缶の中身を覚えている。土を掘っている間は今さら恥ずかしくもないと息巻いていたが、いざ黒歴史を目の前にすると他人に見られるのは憚られる。こういうものを他人は墓まで持っていきたい秘密と言うのだろう。


「いやだ」


 断る。

 しかし彼女に引き下がる素振りはない。


「なんでよ。いいじゃん。大ちゃんが何を入れたのか気になるから」


「いやだ」


「じゃあ、大ちゃんが昔泣き虫だったころの厳選エピソードを今ここで話す」


「やめろ。わかった。開けるから早まるな。……ったく、透夏の奴どこまで話してるんだよ」


 舌打ち混じりに缶を受け取って、思いきり蓋を回した。土が噛んで蓋が固くなっている。脇に缶を挟んで、力で無理矢理こじ開ける。中身を知っているから「開けられない」と断念したふりでもして嘘をつこうかと思ったが、僕を監視する彼女の眼光に逆らうことはできなかった。

 やがて、全力で力を込めると蓋が土を落しながら緩んだ。一度緩んでしまった蓋は簡単に開いた。数年ぶりに中身が外の空気に触れる。蓋を固く閉じた日の恥ずかしさを思い出しながら、僕は中身を覗き込んだ。


 中にあったのは、一枚の手紙と小石だった。


「わっ、懐かしい」


 彼女が中身を覗き込んできて、その声が缶の中に微かに跳ねた。缶の底にある手紙を興味深そうに見つめている彼女から、僕は缶を遠ざけて背中に隠す。


「そうだな。……あんまり見ないでくれ。恥ずかしい」


「え、いいじゃん。その手紙なに? 見せてよ」


「いやだ」


「えー、大ちゃんのけち」


 唇を尖らせる彼女だが、僕はそれでも中身を頑なに隠していた。


 彼女は随分、酒が回りはじめているようだった。



 ― ― ―



 タイムカプセルを掘り起こした僕たちは土を元に戻すと学校を出て、帰路についていた。七瀬さんの家と僕の家は近く、当時の通学路を彼女と歩くと中学時代の記憶が色濃く脳裏に蘇った。帰りにしりとりをしていたこと。些細な勘違いで口喧嘩もしたけれど、それでも僕たちはそれなりに上手くいっていた。


「でねでね、それであの子が大ちゃんの言ってた幼馴染だって気づいたんだぁ」


 僕の隣を歩く彼女は、透夏と出会った日の事を僕に語ってくれていた。何でも二人は同じ読書サークルに入っていて、その飲み会でお互い恋愛事情で盛り上がったらしい。どうにも話が噛みあい過ぎた結果、七瀬さんの方が透夏の初恋の相手が自分の元カレだと気付いたようだった。別れた原因を透夏に知られてしまった事実は、僕の酔いを完全に覚ますにはいい刺激だった。


「ねぇ~、ダイちゃん本当に聞いてるぅ?」


 彼女は歩きながら三本目の缶ビールを飲み干している。両手を広げないとまっすぐ歩けないのか、それとも単に酒のせいで陽気になっているのか。分からない彼女は、回らなくなっていく舌で言葉を必死に並べていた.


「もういい。ねぇ、ダイちゃんさ、あれ知ってる? 小石蹴るやつ」


「え? ああ、『小石ゲーム』? 知ってるけど。それが何?」


「さっきタイムカプセルから出てきたのでやろうよ。ルールはね……」


 彼女からあの遊びを提案されるのは意外だった。ゲーム好きなのはやはり変わっていないのだろうか。大人になるにつれて切り離さないといけなくなっただけで、きっと彼女の中でまだ『無類のゲーム好き』という個性が生きていることが嬉しかった。

 並んで歩く彼女は首を傾げて、小石ゲームのルールを考えているようだった。歩行者信号で立ち止まって、信号を渡ってからもまだ考えている。助け舟が必要だろうか。思って、ポケットに忍ばせた先ほどの手紙を手に取った。


 それには、僕と透夏が一緒に帰る間に練りに練られた小石ゲームのルールが書かれていた。


 ルールその①『家に帰るまでがゴール。交互に蹴って、先にゴールした方が勝ち。負けた方は勝った方の宿題を手伝う』

 ルールその②『スタートの石は必ず校庭にあるものから選ぶ。特にプール裏の花壇の石は程よい大きさ』

 ルールその③『石のストック、途中の交換は禁止。ナッちゃんはゲーム前にズルがないかチェック』

 ルールその④『手を使わない。手を使ったら即敗北。特にナッちゃん、ランドセルに入れるのも禁止』

 ルールその⑤『石を失くしたら即敗北。ナッちゃん、嘘をついて石を補充するのは禁止。噓が下手なんだから大人しく正直にいうこと』

 ルールその⑥『すっ転んでも泣かないこと。特にナッちゃん。ナッちゃんは重いから僕におんぶなんてできない』

 ルールその⑦『一緒に帰れないときは先に言うこと。特にナッちゃん。習い事なんて行ってないくせに』

 ルールその⑧『このゲームは二人だけで帰るときに限定する。友達に見られてからかわたくないから』

 ルールその⑨『敗北のペナルティを変更。負けた方は、いま隠していることを正直に言う』

 ルールその⑩『引っ越してもこのゲームのことは誰にも言わない事。ナッちゃんと僕だけの秘密』

 ルールその⑪『いつかナッちゃんに会えたら、またこのゲームをしながら家に帰る』


 手紙と呼ぶにはルールしか書かれていない紙を、僕はやがてポケットの奥にしまった。どうして当時の自分がこんなものをタイムカプセルの残してしまったのか考えたが、それはきっと一重に透夏への思いの表れだった。それ以外の感情など、あの頃の僕には閉じ込めておくほど価値がなかっただろう。

 

「じゃあ、七瀬さんが先攻でいいよ。ほら、蹴って」


 彼女には、ルール⑦までしか伝えなかった。無論、僕とナッちゃんの個人的な事情はすべて伏せた。しかし彼女はそれに何の反論もないようで、むしろ嬉々として耳を傾けてくれていた。

 ポケットに入っていた小石を彼女の前に転がすと、彼女はレジ袋を持ったまま火照った顔の口角を緩める。僕はその、ゲームを前にすると途端に幼くなる横顔をずっと前から知っていた。


「よし、じゃあ一気に距離稼いでやるもんね……‼ とぉりゃぁ、ぁぁ、あれぇっ⁉」


 一投目ならぬ一蹴り目。彼女は盛大に空振りして、しかも小石は彼女の履いていた靴の踵にだけ当たって、大きく道を逸れた。そのまま側溝に吸い込まれていく。ホールインワン。これがゴルフなら彼女は稀代の天才になれたかもしれない。


「ちょっと、今の無し! ダイちゃんお願い! 今のはノーカンでぇぇ……‼」


 側溝に落ちた小石を探しに駆け寄る彼女の姿が、強く透夏と重なった。失敗をなかったことにする所も、一蹴り目が決まって大振りな所も。


「いいよ。ノーカンで。でも、ルールはルールだからな。隠してることは教えてくれ」


「なにそれ全然ノーカンじゃなくない⁉」


「往生際が悪いぞ。引っ越してから余計に負けず嫌いが加速したのか」


 僕がそこまで指摘すると、二〇歳らしからぬ格好で側溝を覗き込んでいた彼女は、ようやく顔をこちらに向けてきた。その目を丸くした彼女は、一瞬何が起きたのかを理解していないようだった。

 しばらく黙り込んで彼女は、やがて吹き出すように笑う。


「ねぇ、いつから?」


「いつからって?」


「だからいつから気づいてたの? もぅ。結衣と二人で考えてきて、いい案だと思ったんだけどなぁ」


「さぁ。なんのことだかな」


 深夜なのもお構いなしに高い声で笑う彼女に歩み寄る。しゃがみ込んだが最後、立ち上がる平衡感覚を失くしていた彼女は「立てない」とこれまた眩しく笑っていた。僕もこんな風に酔っていたのかと思うと、可笑しくなった。


「水、買って帰るか?」


「うん。ちょー気持ち悪いかもぉ。おんぶぅ……」


 そうして僕は、彼女を背負って家路を辿った。


 背負った彼女からは、嫌になるほどのビールの臭いと、いつか僕が恋をしていた少女のはにかむ笑みが聞こえていた。

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恋の小石を蹴った夜 泉田聖 @till0329

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