5.



 担任が行方不明になって2日。高校には連日マスコミが取材に訪れるようになった。1人で迂闊に校門に近づくと記者たちに捕まるので、自然と複数人で走って登下校するようになった。



 一連の失踪事件は、連日ワイドショーで報道された。


優しくてすごくいい子でした。

落ち込んでいる様子ですか?特になかったように思います。

こうなるなんて意外です。ええ、良い先生ですよ。

はい、無事でいて欲しいです。


生徒や近所の人たちの語る人物像から、芸能人たちが毎日失踪事件を好きなように推理していた。何も知らないくせに。

俺はテレビをつけるのも嫌になって、部屋に篭りがちになった。


そうこうしているうちに、保護者から問い合わせが殺到したらしく、緊急保護者説明会が開かれた。そうして生徒の安全確保を名目として、とうとう臨時休校になった。




 俺は警察から事情聴取を受けることになった。


「木村沙月さんが行方不明になった日、最後に姿を見たのは君だね。」


中年の刑事が少し身を乗り出して、穏やかに話す。

警察署は古臭く、全体的に灰色で、陰鬱だった。


「はい。」


「何か変わった様子はあったかな?」


「いいえ、普段と変わりありませんでした。」


テープの話はとてもできそうになかった。

机の下で、汗でしっとりした指を何度も組み替える。


「そうか。ところで君は木村沙月さんと親しかったようだね。お付き合いはしていたのかな?」


「‥‥いいえ。親しかったですが、付き合ってはいないです。」


少しムッとして答える。

刑事は微笑んで、そうか。と頷く。微笑んでいるのに、よく見ると、射抜くように俺を見る目が笑っていないことに気がついた。

ぞわり。背中が粟立つ。


「じゃあ、君が一方的に好意を抱いていたのかな?かなり綺麗な子だよね。」


隣に座る若い刑事が、意地の悪い笑みを浮かべて俺に問いかけた。

背が高く神経質そうな顔をしている。


「俺たちはそういうんじゃないです。図書委員で、放課後によく図書室で本を読んでいただけです。」


わざと戸惑った表情と声色で話した。少年らしく、純朴そうに。


「へえ。2人きりで図書室で。」


「誰の目も届かない所で、何を読んでいたのかな?」


こいつらも行方不明になればいいのに。

どす黒くなり始めた感情をなんとか飲み込んで、なんでもないような顔で話す。


「いつも他に生徒がいたので、別に2人きりじゃないです。

俺たちは何でも読んでいました。沙月は純文学が好きで、俺はエンタメが好きで、お互いに好きなものを読んでいました。」


へえ、具体的には何を読んでいたのかな?作品名は言える?

ところで須藤千鶴さんとは親しかったのかな?写真で見るとこの子も綺麗な子だよね。話したこともないの?でも君から好意はあったんじゃないかな?可愛い子だもんね。

君は担任の吉田淳先生とは何かトラブルはあったのかな?何もないの?へえ、本当に?

7月2日の17時から19時、どこで何をしていたか教えてくれるかな?


俺は警察からの質問に、できるだけ困惑の色を浮かべて、少年らしく無邪気に、でも丁寧に答え続けた。何度も、何度も。

言い方を変えて、彼らは同じことを幾度も聞き続けた。




 「ご協力ありがとう。また何か思い出したことがあったら教えてね。」


中年の刑事が腕を組み替え、ゆったりと微笑む。まだ視線は鋭い。

俺は頭の中で舌打ちした。

腹が空いてぐらぐらと苛立ち、疲労で体が泥のように重い。

時刻は17時。警察署に来てからすでに3時間経っていた。


「気をつけて帰ってね。」


若い刑事がドアまで送ってくれた。方時も俺から目を離さない。

疑っているのが、表情に分かりやすく出ている。口の中でこっそり、わからないよう舌打ちした。







 テープを始末する事にした。

はじめから、こうすれば良かったのだ。


本来ならひかりに連絡してテープを返すべきなのかもしれない。

でも、もう決めてしまった。



 仕事が終わってから実行する事にしたので、時刻は既に20時を過ぎていた。夜になったというのに気温は一向に下がらず、表に出るとじっとりと汗ばんだ。

邪魔が入らないよう、スマホの電源を切り、ポケットに押し込む。

暗闇の公園は不気味だ。遠くで蝉の声が聞こえたかと思うと、次の瞬間耳元で聞こえたりした。

俺は静かにガムを噛み締めた。



 かちり。オレンジの美しい火が細く灯り、手元が明るく照らされる。

あらかじめ用意したバケツに水をたっぷりと汲んでおき、新聞紙を丸めて地べたに放った。細い光をゆっくりと近づける。暫くすると、新聞紙はゆったりと白く煙を吐き出し始めた。

やがてオレンジの炎が大きくなり、どんどん熱くなる。


頃合いだ。

俺はビニールの手提げからテープを指で摘んで、炎に放った。

テープに貼られた「聞くな」の文字が瞬時に四方からオレンジに覆われる。メラメラと炎は更に大きくなる。

鼻をつく生き物を焼いたような異臭に、一瞬怖気付くが、水をかけることはしない。

俺の周り一帯が昼のように明るくなり、羽虫がきりもなく集まり始めた。



 何度も、何度も新聞紙を投入する。

だらりと、汗が目に入る。鋭く突き刺すような痛みに耐えて、炎を睨み続けた。

少しでも目を離すと、何か恐ろしいことが起きる。そんな気がして1ミリも目を逸らすことができなかったのだ。


どれくらい経っただろう。

蝉の声は彼方へ遠ざかり、俺と炎だけの暗闇に閉じ込められてしまった。


やがて炎は弱々しく燻り始めたので、水をかける。

黒い燃えかすを全て拾い集めて、きちんとゴミ箱に捨てた。


これで大丈夫。

なんだか清々しい気分になり、帰りにコンビニでバニラアイスを買って帰った。

一仕事終えた後はバニラアイスに限る。口の中でふわりと甘くほどけてゆく。身体の中の澱も、ひかりもテープも、緩やかにほどけて遥か遠くへ流れてゆく。

俺は微笑んだ。

あぁ、早く食べたい。

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