4.



 白く照りつける太陽。後頸部がめらめらと焼かれてゆく。

じいじい、ぐわんぐわんと、四方から蝉の声がスコールみたいに取り囲む。

これだから夏は嫌いなんだ。


苛立ちに任せて、アスファルトの道路を強く蹴ったが、洒落た革靴の底をすり減らしただけだった。




 ひかりのアパートから逃げ出すのは、簡単だった。仕事の電話が入ったことにすればそれで済んだ。

玄関のドアが閉まる瞬間、ひかりはただ静かに微笑んでいた。



 歩く速度はどんどん早くなり、殆ど走っていた。

もつれる足に躓き、人にぶつかりながら、どんどん、どんどん速くなっていく。もう自分では止められなくなっていた。


白い光は、皮膚に鋭く針で刺すような痛みを伴って、俺を照らした。ぼたぼたと、きりもなく汗は流れる。目の前が暗くなり、澱んだ沼の水面のように、ゆるやかに世界がぼやけてゆく。





 俺はひかりから逃げた。

あのテープ。一体どこまで俺を追ってくるのだろう。


「‥‥冗談じゃない。」


右手で乱暴に額の汗を拭う。

冗談じゃ、ない。




 信号が赤になり、俺は転げそうになりながら、ようやく止まった。

ぜえぜえと、肩で息をする。

ふと、すぐ右横にコンビニがあることに気がついた。途端に焼ききれんばかりに喉が渇き始めた。

俺は甘い花の香りに誘われた蝶のように、ふらふらとコンビニに吸い込まれていく。


 自動ドアをくぐると、強い冷気が頬を打った。目を閉じて、さらさらと透明な冷たさを味わう。


いらっしゃいませえ。

間延びしたアルバイトの声が、俺の何かをほどいた。

急に涙が溢れてきて、慌ててペットボトルコーナーに駆け寄った。


深呼吸して、目の前にあったサイダーを手に取る。掌で、それはしゅわしゅわと清流のように甘く清潔に踊る。舌の上で、楽しげにぱちぱちと弾ける。

思わずごくりと喉を鳴らす。

足早に会計を済ませて、また走るようにして店を出た。




 我慢できずに、歩道でサイダーをがぶがぶと飲む。なんだか10年ぶりに飲み物を飲んだ気分だった。


ひとしきりサイダーを飲むと、キャップを閉めて、鞄に放り込む。ふと、うまくペットボトルが入らないことに気がついた。


‥‥?

近くにあったベンチに座り、鞄の中身を一つ一つ取り出す。

手帳、携帯、キシリトールガム。そこまで取り出して俺は固まる。

鞄の底には、カセットテープが静かに座っていた。俺の様子を伺うみたいに。



じいじいじい。

蝉の声に、閉じ込められた。


黒く息づくそれから、目を逸らせない。


「‥‥冗談じゃ、ない。」


声は驚くほど、か細く掠れていた。







 あの日、テープが俺の手から離れたのは、仕方のないことだった。



 「中澤、授業に関係ないものは持ってくるな。」


ぺしりと頭を教科書で叩かれる。

驚いて顔を上げると、担任が流れるようにテープを取り上げた。


「あ、それは‥‥。」


慌てて声を上げるが、担任はポケットに入れてしまう。


「これは先生が預かるからな。」


俺がいけなかった。

テープを鞄にしまうのが怖かったのだ。それで、机の上に置いたままにしていた。


やがて終業のチャイムがなり、担任は教室から出ていった。

俺は机に縫い付けられたみたいに、一歩も動くことができなかった。



 担任が行方不明になったことを知らされたのは、沙月がいなくなって8日目のホームルームでのことだった。


俺は机の下で拳を握りしめて、震えてしまうのを必死で我慢した。

もう、テープと失踪が無関係とは、到底思えなかった。

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