第15話 初キス 初調理

 入江さんを伴った初の東かがわ釣り遠征は大漁で終わった。


 傾きかけた夕陽に向かって走る帰途の車内の揺れと心地よい疲労感の中で、助手席の彼女はウトウトと船を漕ぎ出した。


 信号待ちの度にあどけなく無防備な横顔をチラ見してしまう。あろう事か信号が青に変わったのにも気付かず、後方のダンプからクラクション鳴らされてしまう。

 うん、チラ見のレベルは超えてた。後ろのドライバーさんゴメンナサイ。


「食いしん坊が寝てる間に買い物行っとくか」


 最寄りのスーパーに入り、食材やドリンク類の買い出しをする。入江さんが美味しそうにキスの天ぷらを頬張る姿を想像するだけで自然と頬が緩む。


 車に戻るタイミングでちょうど入江さんが目覚めた。


「や、ゴメン。完全に寝てた」


 眼鏡をずらして寝ぼけ眼を擦りながら伸びをする様子は猫にしか見えない。


「あ、買い物してくれてたんだね。ありがとう。いくらだった?私払うよー」


「いえいえ!お買い得野菜と飲み物くらいなんで別にお金いいですよ!」


 財布を取り出しかけた入江さんを制しながら言ってみるものの、


「ダメダメ!湊くんは釣りの餌代やら、ガソリン代やら掛かってるんだから、ここはお姉さんに支払わせなさい!」


 彼女は控えめな胸をドンと叩きながら、こういう時だけお姉さんぶってずるい。でもここは申し出を素直に受けておくのに限るだろう。


「(長い付き合いになりそうだもん。お金の事はちゃんとしとかないと!)」


「ん?何か言いました?」


「なんも言ってないよ!さ、早く帰ってお料理タイムだー!」


◇ ◇ ◇


「それにしても大漁だね」


 帰宅した俺たちはクーラーボックスからキスを取り出して流水で洗う。大小合わせて30匹くらいは釣れたようだ。


「どうでしょう?練習がてら入江さんも一緒にキス捌きますか?」


何事も経験だ。


「うん!私もやる!いつも湊くんに作って貰ってるばかりだもんね。ちょっと着替えてくるね」


 着替え?別にそのままの格好でおかしくないと思うのだが。


「へへん、お待たせ⭐︎」


 見ると猫のイラスト付きエプロン姿の入江さんが現れた。すでに腕まくりをしてやる気は充分のようだ。


 タテヨコナナメどこから見ても調理実習の女子中学生にしか見えないが、ここは世界平和のためにも黙っておこう。


「まぁ、入江さん準備のいい事で」


「湊くん反応薄っ!! もっとなんかあるでしょ!?に、新妻みたいとか……。新婚の裸エプロンは正義とか……言わせないでよ!恥ずかしい」


 赤面して俯くくらいなら言わなけりゃ良いのに。恐るべし妄想族。


「まず俺が手本見せますから安全第一で捌きますよー!」


研ぎ上げた自慢の出刃包丁で作業にかかる。


「まずキスの鱗を落とします。尾から頭に向けて包丁の先端を使ってガリガリやります。表が終わったら裏側も同様にしますよ」


「この辺はカサゴの時と変わらないねー」


「そんなに硬い鱗でも無いので軽くやれば落ちますよ!」


 俺は手早く包丁を動かすと白銀の鱗はみるみるうちに取れていく。


「次は胸ビレの辺りに刃を入れて頭を落とし、腹を割いてワタを取り出して腹の奥まで丁寧に洗います」


「OK牧場!私もやってみる!」


 入江さんはぎこちない手つきではあるものの、一匹ずつ丁寧に確実に捌いていく。


「上手ですよー。初めてとはとても思えませんね。洗い終わったらキッチンペーパーでこうやって水気を拭き取ってください」


 広げたキッチンペーパーの真ん中にキスを置いて水滴を吸い出していく。


「簡単簡単♩」


「入江さん、ここからが本番ですぜ?」


「ちょマ……?ほとんど終わってるじゃんよ」


「いいえ。今の状況を結婚式のお祝いスピーチで例えると『本日はお日柄も良く〜』ってあたりですよ」


「めっちゃ最初じゃん!!!身内ウケしかしないお笑いエピソードとか、三つの袋の話とか終わった後かと思ってたよ!」


「これは手厳しい。ところで三つの袋って【給料袋】と【堪忍袋】とあと何でしたっけ?」


「ん〜?【金◯袋】?」


 何か丸い物をを手のひらに乗せ包み込むように揉みながら、何かの棒をわきわきと上下運動するような動作はやめて欲しい。


「今日一番の難所、キスの背開きにかかりますよ!」


「湊くん、今日朝から晩まで難所ばっかりじゃね?!」


ぷくーっと膨れるフグの顔芸も見慣れてきた。


「良く見ててくださいね。切り落とした頭側から背ビレに沿って包丁の先、約一センチを使って切れ込みを入れます」


「ん、いきなりバサっとは切らないんだ?」


「少しでも食べられる部分を増やしたいので手間かけます」


「あ、納得」


 入江さんも更にぎこちない手つきではあるが、同じ様に切っていく。


「いま切った切れ込みから、中骨に届くように刃先を入れて骨を切って行きます。刃先にゾリゾリっとした感覚があれば上手く出来てますよー。切れたら身を開いて裏返して、もう片方もお願いします」


「おぉ!料理番組で見たのと同じだ。それらしい感じになってきたね」


「中骨が身から切り離せたら、尾のところで中骨を切り落とします」


ゴリっと中骨を切り落としてメイン工程は終わりだ。


「出来たー!さぁどんどん捌いていこう!」


「ちょい待ち入江さん。食感を良くするために簡単に仕上げ処理しますよ!」


「ええっ!?まだ続きが?もう出来てるじゃん」


「想像してみてください。身は美味しいけど小骨が当たって食感の悪いキスの天ぷらを」


「うん、それは勿体ないね。画竜点睛を欠いてはダメだ」


「まず腹骨を刃先で削ぎ落とします。あとは背ビレと臀ビレをキッチンハサミで切り落とします。最後に鱗残りがないかもう一度確認したら完成ですよ!」


「天ぷらって下処理にかなりの手間掛かってるんだねぇ……今まで何も考えずにバクバク食べてた自分が恥ずかしいよ。トホホ」


「まぁまぁ、自分でやって初めて分かることもありますから。さぁ、沢山釣った分を全部捌いちゃいましょう」


この後お互いの鳴る腹の虫を笑いながら、小一時間かけてキスを捌いた。


ようやく天ぷら油の加熱開始だ。

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田舎の堤防で釣りをしてたら、年上のお姉さんに釣られてしまった おにへい @Onihey2008

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