ふわふわパンケーキとイチゴミルク

鴻上ヒロ

いつか、いつかと。

 ふわふわとしたパンケーキに、押しつぶされる。ぐえーと声を出そうとするけれど、声は出なかった。代わりに出たのは、ぷぎゅっという声にならない音。悲鳴にしてはすごくチープで間抜けだけど、それもそうだ。

 潰されたのは僕じゃなくて、押すと音が鳴るタイプの人形なんだから。


「ねえねえ、ねえねえねえねえ!」


 夢見心地の僕に、煩い言葉がかけられた。なんだろうと思って目を開けて顔を上げるも、誰もいない。耳に刺さったままのイヤホンから、声が聞こえる。


「起きて! 朝だよ!」

「……朝やなかやろ」


 言ってからチラリとパソコンの右下を見てみると、時間は午前2時だった。まだ夜中だ。通話中に、寝てしまったらしい。

 通話相手の光沙の吐息が聞こえた。


「あのねえ、人の相談中に寝るもんじゃないよ?」

「昨日は僕に相談しながら寝たくせに」

「あれはあれ、これはこれなのだ」

「ばり考えて長文で回答したのに、いっちょん返答なかときの僕の気持ちを考えたことあると?」

「それはごめんやん」


 イヤホンから、パンッと破裂音が聞こえた。手を合わせて謝ったのだろう。

 僕は再びデスクに腕を敷いて、その上に突っ伏した。マッサージ屋の顔だけが穴にハマる枕のようで、この体勢はとても落ち着く。


「で、なんの相談やったっけ」

「男! 男の相談!」

「あー……」


 思い出した。恋愛相談じゃなく、男関係の相談だった。恋愛感情とか関係なしに、体の関係を持っていて遊んだり性的な意味で食べたりする男が何人かいるものの、恋愛感情を持たれて面倒くさいという相談だった。

 思い出しただけで、ため息が出そうになるのをぐっと堪えて、僕は次の言葉を待つ。


「君はどう思う? 切るべきかな?」

「切るべきなんじゃないの? そう聞く時点で」


 何かしらの感情を残していて、切りたくないという気持ちが少しでもあるのなら、切るべきかどうかを相談するということにはならないはずだ。それに、僕としては切ってもらったほうが都合がいい。

 いや、都合の話じゃないか。気分がいいんだ。


「だけどさあ、この二人を切るとね? もう相手いないんだよー、食べたいときに食べられる男がさあ!」

「知らんがな」

「溜まったときはどうしたらいいんだー!」

「一人で発散すればいいんじゃないでしょうか、普通はみんなそげな風にしとうとよ」


 光沙がうーんうーんと唸り始めた。

 僕は、こんなどうしようもない性欲魔神とも言える子のことが、これまたどうしようもなく好きらしい。付き合い自体はもう4年ほど経つが、基本ネットの付き合いで、個別に連絡先を交換したのが去年のことになる。

 連絡先を交換した途端、彼女は下ネタ、いやシモの話をするようになった。はっちゃけたのだろうし、気を許してくれているのだろう。最初は僕もゲラゲラ笑っていたのだけれど、好きだと自覚した途端、そうした話を聞くことに胸が苦しくなるようになった。

 恋愛感情というのは、とにかく不便なものだと思う。


 まだ、現実世界で会えてもいない。それほど遠くに住んでいるわけではないらしいので、相手から会おうと思えば会えるというようなことを何度か言われたことがあるが、誘われたのともまた違う感じがした。

 それに、僕から誘う勇気が出ない。


 かつて、警戒心が高く人付き合いが苦手だと言った僕自身の言葉が、足かせになっているのだ。ふわふわのパンケーキに、首を絞められ続けている。


「よし! 切ったった!」


 報告してきた君の弾むような声色に心が弾んだけれど、どうせまた来月頃には新しく食べる男を仕入れているのだろう。前にも、こんなことがあった。彼女は繋がりを持つことを、面倒だと思うタイプの人間らしい。

 僕と似たところがあるけれど、僕は繋がりを持つのが面倒だから増やさないという選択を取っている。彼女は、切って繋いでを繰り返すという選択を取っているのかもしれない。

 極端だけど、どちらも本質は似ている気がする。


 思わず、深い溜め息が出た。


「幸せ逃げるよー?」

「僕の幸せは逃げすぎて、部屋ん床に散乱しとうごた」

「ま、あれだね、長く続いている君がいるから安心だね」

「何が安心なんだよ」

「んー? 寂しくはならないから」


 その甘い声色に、僕の胸はいつも絞め付けられる。首を絞めているパンケーキに、甘い甘いメープルシロップがかかったみたいに、首元がベタつくような奇妙な感覚に襲われた。


「愛してるよー」

「はいはい、僕も大好きばい」


 言いながら、またため息が出た。


 僕は一旦ミュートにして立ち上がって、冷蔵庫を開ける。中にあるのは、甘いイチゴミルクだけ。残った最後の一本を掴んで、冷蔵庫の扉を開けっ放しにしたまま、イチゴミルクの封を切った。

 そのまま口に流し込むと、酸味が全て消えたかのような甘みと強いミルクの香りが口中に充満した。


 僕の恋心や嫉妬心など、甘みにかき消されたいちごの酸味のようなものだろう。

 ふっと苦笑いしながら、僕は冷蔵庫の扉を閉め、また彼女との通話に戻っていった。酸味を甘さでかき消すために。僕を絞め付け、押しつぶそうとしているパンケーキにもっとたっぷりのメープルシロップをかけるために。


 いつか、いつかと、そこから脱せられる日を夢に見て。

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ふわふわパンケーキとイチゴミルク 鴻上ヒロ @asamesikaijumedamayaki

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