このキャベツ宇宙の片隅で

帆多 丁

キャベツ開闢

 キャベツはささやかに無限となった。

 ささやかに無限というのはつまりむしってもむしってもどういうわけか無くならない程度のささやかさであって、そうとは知らずに無限キャベツをマルエツで購入したなか満郎みつろう二十九歳は不思議だなあと思いながらも大切に、キャベツと豚肉をミルフィーユ仕立てに煮込んだり、豚バラ肉で回鍋肉ホイコーロウにしたり、時には豚ひき肉でロールキャベツにしたりとささやかな無限を謳歌して三年、無限キャベツ(おつまみ)に出会った。

 酒を飲む習慣のなかった田中満郎三十二歳であったが、憎からず思う皆川結みなかわゆい二十九歳と居酒屋へ行くこととなり、歳の割に初々しさ漂う飲み会にて皆川チョイスの無限キャベツに箸をつけたのである。

 まるで恋のようだった。これは運命なのかもしれない。うわー僕出会っちゃったかもと無限キャベツ(おつまみ)に感動する田中の姿に皆川は手を叩いて笑った。世の中におつまみで感動する三十代もあったものかと皆川もまた多少なりとも感動を覚えたし、無限キャベツ(おつまみ)を注文したのも自分が美味しいと思うものを気に入ってくれたら嬉しいという気持ちがあったから、田中方面への好感はむしろ上がった。

 しかしここで田中の発した次の言葉については、タイミングが早すぎると思った。


 皆川さん、じつは僕の家にも無限のキャベツがあるんですよ。見に来ませんか?


 いやいや田中さん口説き文句にしては独特過ぎですしいちかい一品いっぴんで口説くのは気が早すぎですよ。生あとふたつ。かんぱーい。すみません塩辛じゃがバターと明太卵焼き。生搾りレモンサワー。え、田中さんレモン搾ってみたいの? あっは! 大学一年じゃないんだからさぁ。あ、絞るの上手いんですね。ほら飲んで田中氏。すみませんホッピー。タコカラ。ホッピーなかください。飲めよ田中ぁ。すみませんホッピー中。中。外。中。中。

 そうして皆川は田中の家で無限キャベツ(ささやか)に出会うこととなったし、無限キャベツ(ささやか)は無限キャベツ(おつまみ)として生まれ変わることとなった。

 皆川もいい感じに出来上がっていたから無限キャベツの無限っぷりを簡単に受け入れたし、無限キャベツで無限キャベツを作ってみようという下らない思いつきを実行してげらげらと笑い合えるぐらいに二人は打ち解けていた。しかし忘れてはいけない。無限キャベツ(おつまみ)の無限とは無限に酒が飲めるという意味の無限であると。

 無限キャベツで作られた無限キャベツは覚醒した。

 我こそ真の無限キャベツである。塩昆布も、ごま油も、我を形作る者みな無限である。無限に飲ませるための無限である。

 こうして持ち帰った一パックの缶ビールはあっという間に消滅した。

 酒に慣れている皆川も慣れていないはずの田中もまだまだいけるぜと強気の構え。目の前には無限に供給される無限キャベツ。こんなこともあろうかと田中が買っておいた一升瓶の準備の良さに爆笑した皆川は爆笑ついでに思いつき、ちょっとやめてよーという田中の制止を振り切って小さじ一杯の日本酒を無限キャベツに振りかけてみた。

 無限キャベツは奮い立った。我を形作る者みな無限であるから、この日本酒もまた無限である。無限に食され、無限に飲ませることのできる無限キャベツはこの宇宙を置いても我を置いて他になし。ああしかし哀しいかな、人間の胃袋は有限なのだ。我が無限に耐えられず、いつか悲劇的な結末を迎えるだろう。私を愛した田中も、田中を愛そうと思った皆川もいずれ膨満とした死を迎えるのだ!


 ――それは違うぞ!!


 力強い叫びを無限キャベツは聞いた。田中や皆川の食道から噴門へさしかかるあたりだった。無限キャベツの意識はそれぞれにつながっているので、それぞれを同時に体験することができた。

 噴門ふんもんが開く。胃袋への扉が開く


 ――俺達は宇宙だ!!!


 宇宙、宇宙よ!! と歓喜に震え、無限キャベツは虚無の空間へと絶え間なく流れ込んだ。

 そうしてそれぞれの宇宙に散らばった無限キャベツの断片は長い時間をかけて集まっていく。

 宇宙においてはどんなに小さなかけらであっても、それぞれに引き合おうとする力が働く。引力に従って無限キャベツはやがて星を作り、引力に従って星は周り、引力のもたらす圧力と熱でごま油の星は光り、塩昆布は海を作り、白ごまから生命が産まれた。

 宇宙の片隅で生命は子を成し、生きて、死んでいった。生命たちは、どこか別の宇宙に自分の片割れを置いてきたような仄かな喪失感を抱えながら、それぞれ田中宇宙や皆川宇宙を生きていた。

 そんな宇宙の片隅の星のさらに片隅で、望遠鏡を片手に夜空をのぞく者がいる。

 片割れのない喪失感は、見えない同胞を求める心となって少年や少女を動かす。

 だって宇宙に命が私たちだけなんて、寂しすぎるとおもわない?

 そんな思いを抱えた少女のひとりは、名前をステラ・アリプソという。

 宇宙の向こうから呼ばれている気がするんだ。だから行ってみたいんだ。

 そんな思いを抱えた少年のひとりは、名前をチソン・タカモリという。

 少年少女は長じて超星間航行船を開発し、研究者として同船に乗り込んだ。目指すは宇宙の果て。光の速さで膨張を続けるこの世界の周縁である。ステラとチソン、それぞれの宇宙で暮らす二人を乗せ、船は引かれ合うように進んでいく。長い時間、閉鎖的な環境、のしかかる孤独、しかし高まる予感。

 この船で宇宙を行く船乗りの誰もが感じていた。船が進めば進むほど、今まで片時も胸を離れなかった喪失感が埋まっていく。

 そうして目的地、つまり宇宙の果てへと到達したとき、目前に壁が現れた。

 宇宙の果ては壁であった。

 計測器類は壁の果てしなさを示していたし。肉眼でも、星のある方とない方、という極めてシンプルな見分けが可能だった。

 ステラとチソンは、それぞれの船のクルーと意見をかわした。どうやら我々の宇宙は無限と思えるほど巨大な袋の形をしているようだと。

 その情報はふるさとに持ち帰るべきだった。しかし、胸に抱えた喪失感はあと一步で完全に埋まるように思え、その希望は強い衝動となって、船のクルーにある決断をもたらした。

 壁があるなら破ればいい。この船は人の到達しうる、さらにその向こうへ行くための船ではなかったか。

 生きるか死ぬかではないのだ。行くか行かぬかなのだ。

 もし我々がこの壁を破れなくても、いつか誰かが到達してくれる。そして命あるものの胸にくこの喪失感を埋めてくれる。

 エンジンが最大に開かれた。膨張する宇宙の壁を抜けるべく船は超光速で前進した。

 ステラとチソン、それぞれの船が宇宙の果てに船首をめり込ませたのは、田中・皆川両宇宙の発生から数えて同時であった。


 田中・皆川宇宙「いったーい!」


 大縮小ビッグクランチが始まる。

 ビッグバンによる膨張を終えた宇宙は、縮小し、その全てを内包する球となるのが運命だ。その大縮小を、二隻の宇宙船が引き起こしたのだった。

 宇宙が無限に縮小されていく。

 胃壁への刺激で自らが何だったかを思い出したふたつの胃袋はにわかに収縮し、内に抱えた宇宙を十二指腸へと送り出した。

 宇宙が、宇宙が来ます! 同胞はらからよ宇宙が!! というのが十二指腸の発した最後の信号となった。

 ステラの宇宙が、チソンの宇宙がそれぞれに消化管を駆け下る。

 縮小された宇宙クランチド・ユニバースの輝きが田中、皆川の人体ミクロコスモスを内側から覆い尽くす。

 肝臓「…………」

 小腸「ぬああああああ!!」

 大腸「おほおおおおおお!!!」

 アルマゲドンの如く奮い立つ消化器官たちの声を遠くに聞きながら、直腸は静かにその時を待った。

 これまで何度門を開け、旅人を送り出して来ただろうか。はじめのうちは一人で門を開けられず、外からの助けを借りたこともあった。初めて一人で開門できた時が懐かしく思えた。

 暴徒の如く押し寄せる旅人たちを前に固く門を閉ざし、罵詈雑言を受けながら門を守り抜くのは辛かった。

 なかなか旅立てない臆病者をなだめすかし、安心させ、優しく送り出したこともあった。

 だが今、宇宙がやってくるという。

 具体的な指令はない。

 直腸はしばし考え、やがて決心した。

 縮小した宇宙の運命は、ビッグバンによって再び宇宙となることだ。

 ならばかける言葉は決まっているではないか。

 扉に手をかけた。

 宇宙がやってくる。縮小宇宙の輝きに灼かれながら叫ぶ。


 直腸「開闢かいびゃああああああく!!!!!!!!


 ユニバース!!

 ユニバース!!!

 ユニは「ひとつの」を表し、バースはバースを表す!!


 いまビッグバンを起こしたふたつの宇宙は重なりあって、田中の家から宇宙に満ちる。

 田中宇宙、皆川宇宙、そして田中・皆川の二人の暮らした宇宙は引かれ合い、融合し、さらなる開闢を見せる。

 光の中で皆川は爆笑し、田中は照れ笑いを浮かべてキャベツを切り、ステラとチソンが巡り合う。そんな様子が確かにあった。


 そうして産まれた新たな宇宙は無限とも思える時間の後に超縮小スーパークランチを迎え、膨大な圧力でもって熱球となり、膨大な時間をかけて冷えてかたまり、それらを内包する上位宇宙(鈴木)の片隅の星の片隅の国の片隅のマルエツに陳列された。

 今そのささやかな無限キャベツを手に取った高森たかもりそん二十五歳は。

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