そうめんでいいから

かたなかひろしげ

女禍

「もう。私がいないとシンゴは本当だめなんだから」


 俺は最近、強引に言い寄ってくる麻里佳に、ほとほと困っていた。

 非常に束縛が強い女で、俺が他の女と話しているのを見れば、その女を睨みつけるのはまだマシな方。機嫌が悪い日であれば、無理矢理割って入って話を遮る、なんてことも日常茶飯事。しかもそれをまるで悪びれてもいない様子に、俺は最近恐怖すら覚えていた。


 そこで俺はそんな麻里佳と別れるために、一計を案じた。

 この連休の旅行で、同じキャンバスのA子を誘う。麻里佳を抜きで。


 それで彼女に愛想を尽かされれば良いのだ。別れ話も受け入れてくれないのだから、もう他の女と付き合ってみせるしかない。追い詰められた俺はそう考えていた。


 A子には事情を話し、彼女との当てつけに旅行に付き合ってくれないか? 費用は全部出すし、別に自由行動でいい、麻里佳に見せる証拠として記念写真ぐらいは一緒に撮って欲しい、と相談した。


 A子は麻里佳とも古い顔見知りである。恐らくそれ程親しい仲ではないはずだ。

 だが、そんな彼女に、麻里佳との関係性を天秤にかけるような真似をさせて申し訳ないが、もう麻里佳には本当に困り果てていることを包み隠さず全て伝えて、今回の別れるための作戦の妥当性について、俺は強弁した。


 するとA子は顔のパーツすべてを直線にしたような表情で、不承不承やってもいいと答えてくれた。乗り気でないのかな、とも心配したが、後日、旅行前に麻里佳にシチューを食べさせる話を相談したところ、あんたは何食べるの?夏だしそうめんでも食べたら?と、そうめんと、そうめんつゆを手渡してくれた。案外乗り気のようで助かる。


 当然麻里佳はついてこようとするに違いない。物理的に逃げて撒いてもいいが、後で荒れて面倒なことになりそうだ。

 ひとしきり悩んだ俺は、ひとつ罠を仕掛けることにした。麻里佳を家に招いて、下剤入の飯、麻里佳の好きなシチューを喰わせて、腹を下している隙に旅行に行く。我ながらひどい外道っぷりであるが、押しが強い麻里佳には、これが一番角が立たないように思えた。


 とはいえ、それには理由がある。

 前科があるのだ、彼女に。

 俺は以前、麻里佳に傷んだ肉を故意に食わされてたあげく、入院したのだ。しかし麻里佳は傷んだ肉を故意に喰わせたことは隠し、俺に献身的な介抱をしてくれた。すべては打算だったのだろう。

 俺の快癒後、麻里佳が仕組んだ話だというのに、してやったりと満面の笑顔で種明かしをする彼女に、俺は恐怖した。その態度には少しの悪びれもないのだ。


***


 後日俺は自宅で、彼女の好きなシチューを作り、それに下剤を仕込んだ。勿論、俺がやられた時と同じように、麻里佳を苦しめようとは思っていない。これは復讐ではない、旅行に行けなくなる程度でいいのだ。


 彼女は程なく、一人暮らしの俺のアパートにやってきた。これも毎日のことだ。彼女は俺が大学から帰ってくる大体の時間を既に抑えていた。


 「シチュー作っといた。どうせ昼まだだろ?食べてけよ」


 俺はいつものように自然なふりをして、彼女にシチューを勧めた。時々俺は手料理を作るので、違和感は無いはずだ。少しの手の震えは、手を強く握ることで誤魔化した。

 

 「そうめんでいいから」


 突然彼女は、世間で最近バズった男のようなことを言い出した。


 困った。そうめんには下剤を仕込んでいない。というか茹でてもいない。そもそもこの会話の流れに、一体どこからそうめんが割って入ったというのか。さてはA子からそうめんを貰ったところを、どこかで見られていたのだろうか。

 なにはともあれ、このままそうめんを食べられては困ってしまう。なんとかシチューを食べてもらわなくては。


 みればやけにシチューを勧めた俺を、麻里佳は疑っているようだ。

 そりゃあそうだ。なにせ当たり前のように、人に毒を盛る女である。自分が以前にやった手口なのだから、警戒するのは当たり前だ。


 しかし仮にこのまま付き合いを続けていくにしても、常にお互い毒を盛られる心配をしなければいけないのは、ストレスだと思うのだが、麻里佳は気にならないのだろうか。

 A子に先日毒を盛られた話をしたところ、彼女も余り驚かずに、目的のためならなんでもする子、っているからね。優先度の問題だと思うよ。と平然な顔をしていたことを、ふと思い出した。思ったより女というのは、怖い生き物なのかもしれない。


 慌てて俺は、「じゃあべつに食べなくていいよ」と、取り繕った。


 返す言葉で、「そうめんでいいから」、と麻里佳は詰め寄ってきた。

 どうしたんだ、そうめん教団にでも入信したのかお前。


 ここはもうシチューを食べさせるのは諦めて、誤魔化し切るしかない。仕方なく俺はそうめんを茹でると、テーブルの上に準備をした。べつに重労働では無い。


***


 翌朝目がさめると、俺は病院のベッドの上だった。

 麻里佳が土産に買ってきたコーヒーを、こりもせず不用意に呑んでしまった俺は、そのコーヒーに用量以上に盛られた幻覚剤により、突然気絶してしまったらしい。


 結局、俺が下剤入りのシチューを食べさせよう、などと呑気なことを考えている間に、彼女は先回りをして、俺にまた毒を盛り、旅行を阻止しようとしていたのだ。


 あの日、俺が気絶した隣で満足そうにそうめんを食べた麻里佳は、自身が突然の腹痛に襲われ、たまらず救急車を呼んだ。そこから室内で気絶していた俺に対する薬物反応と、腹痛で悶絶していた麻里佳自身にも薬物反応が出たため、警察に連絡が回った。警察が言うには、彼女に事情聴取をしたいが、いまだ意識不明だという。


 しかし話がおかしい。あのそうめんは何も毒が盛られていなかったはずだ。

 麻里佳もそれを確信して「そうめんでいい」と言ったはずなのだ。


 ───後日、俺の部屋から回収されたそうめんからは劇薬が検出された。


 俺の証言により、A子がそうめんと、つゆの両方に劇薬を仕込んだことが判明し、送検されたと聞いた。直接話を聞くことは出来ていないが、証言によると、俺と旅行に行きたくなかったらしい。だしに使われるのなんてまっぴらだ、と。


 証言内容は幾つか教えてもらい、彼女の内心に衝撃を受けたが、そんな中でも、この話が一番俺には堪えている。


「───前にも麻里佳には毒を盛っちゃいなよ、って言ったんですよ。それで彼女もうまくいってたのに、あの男はなにが不満だったんですかね?」

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