始まりの鍵

春来彩水

序章

 流れる景色を日波はぼーっと眺めていた。

 両親が運転する車は家のある都市部を離れ、高速に乗ると次第に緑が多くなっていった。

 窓ガラスの向こうの山々の緑、晴れ渡る空の青、立ち上る雲の白、全ての色が夏特有の濃さを持ち、目が眩しいほどだ。純粋に美しい景色だと思う。こうしてエアコンの効いた車内から見る分には。この盛る夏では、降りて堪能したいとは思えなかった。

 両親の運転する車はそのうち高速を降りて、田舎道を進んでいく。川に沿って段々と細くなる道を進んでいけば、山間に急に集落が訪れる。その中の一軒が父の実家であった。

 脇道からさらに入り、家へ続く坂道の途中に車を停め、重たいボストンバッグを父と共に下ろす。吸い込んだ空気は思ったよりも蒸し暑くない。やはり山だからかな、そう思いながら父を見上げれば父も同じことを思っていたようだった。

「やっぱり田舎はちょっと涼しいな」

「お父さんもそう思う?」

「うん、湿度が低いのかな」

「茹るような感じがしないよねぇ」

 日波の母も口を挟んでくる。これならぐったりすることもなさそうだと、暑さが苦手な日波はひとりでに安心したのだった。

 家に上がって祖父母と挨拶をし、お小遣いを貰えば、日波はすっかり自由の身だ。とは言っても、田舎では遊びの選択肢も少ない。加えて、日波も高校生になって虫取りや山を駆け回るような子供ではなくなってしまった。なんとなく、来る時につたってきた川に行ってみることにしたのだった。

 川、というか沢という表現が合うその川へ降りてみると、より涼しさが増すようだった。吹く風は柔らかく、せせらぐ音が心地よい。サンダルを脱いで足を浸せば、ひんやりとして気持ちよかった。

「わっ、つめたい」

 適当な石に腰を下ろして足をチャプチャプと動かす。それだけで非日常で、日波は面白かった。沢はよく澄んでいて、少し目を凝らせば、小さな魚やサワガニがいるのが分かる。夢中で見ていると、不意にこちらを呼びかける声がした。

「あれ、君、誰?見ない顔だ」

 驚いて振り返れば、同じくらいの年齢の男の子が立っていた。髪は短くスポーツ刈りで、程よく火に焼けている。手には網を持っていた。

「あ、えっと、」

「どっかの家に帰省?」

「あ、うん、そこの上條の家の」

「あぁ〜〜、上條のじいちゃんちの孫か。じゃあ初めましてじゃないな!久しぶり!確か…日波ちゃんだろ?」

 さらっと出てきた己の名に目をぱちくりとさせる。初めてじゃないということは、昔帰省した時に遊んだことがあるのだろう。少年の顔をまじまじと見る。気の良さそうな丸っとした目、直線的な眉、それからワックスか何かをつけてオシャレにまとめてあるが短くしっかりとした髪質の髪…。そこまで見て、日波は「あっ」と声を出した。

「もしかして、くりぼー!?」

「正解〜!つか、ひでえあだ名」

「あっ、ごめん…ええと」

「俺、本名は快政かいせいっていうからな、覚えてないだろうけど」

 心を読まれているかのように当てられてなんとなく居心地が悪い。

「えっと、快政くん、気づかなくてごめんね…それからあだ名も」

「別に気にしてね〜よ、俺も最初気づかなかったし。ってか帰ってきたんだな」

「うん、今年はね。結構久しぶりな感じする」

 日波はここ数年父方の実家へ来ていなかった。中学受験、中学の部活、そして高校受験、高校一年生の夏は友達と出かけたりと、すっかり足が遠ざかっていた。最後に来たのは小学校五年か四年か。今年は予定もなく、また来年は受験だからと久しぶりに訪れたのだった。

「お盆の間ずっといるのか?」

「うん、その予定」

 足を水に浸しながら答える。クラスメイトではない同級生の男子と話す機会などなかなか無いので、どこか気恥ずかしかったのだ。

「じゃあさ、十五日のお祭り行くだろ?」

「お祭り?」

「覚えてねぇの?毎年やる神社のお祭り」

「あぁ…」

 そういえばそんなお祭りがあった記憶がある。ささやかな屋台と、神社のそばの広場で盆踊りがあったはずだ。

「行くと思う」

「じゃあ俺らと一緒に行こうぜ!俺んとこの弟と、小林んとこのさっちゃんとれーちゃんと行く予定だったからさ」

「ありがとう、そうしよっかな」

 正直“小林んとこのさっちゃんとれーちゃん“は誰か分からなかったが、近所なのだろう。一人で黙々と楽しむよりはマシな気がした。

「お〜い!兄貴!母ちゃんが呼んでる!」

 その時、後ろから声がかかる。見れば快政とよく似たイガグリ頭の少年がこちらを呼んでいる。

「あれ俺の弟。あいつも小さい頃一緒に遊んでるよ。じゃあまたな!」

 快政は勢いよく立ち上がると手を振りながら大股で走っていった。忙しない様子にゆるく手を振る。顔見知りがいて安心するような心地がした。



 それから、数日は退屈することがなかった。快政に誘われて近所の人々とバーベキューをしたり、祖父母と少し遠出をしたり、夏休みを満喫した。バーベキューの際には小林家のさっちゃんとれーちゃんとも顔を合わせることができ、お祭りが楽しみになる。父の地元の人は皆人の良いと日波は感じたが、それは日波の祖父母が近所の人と常日頃から親しくしているからだった。だから、よそ者の日波も身内として扱ってくれるのだ。

 あっという間にお祭りの日がやってきた。日波の祖父は運営側で協力しているらしく、朝から家の中は慌ただしかったが、日波には関係がなく、朝から居間で寝転んでテレビを眺めたり、スマホを流し見したり、祖母が切ってくれたスイカをかじったり、とにかくダラダラと過ごしていた。

 夕方になり、流石に少しはメイクをするかと思い、持ってきたメイクポーチを漁る。日焼け止めとパウダー、軽くアイシャドウとアイラインを引き、まつ毛を上げて、最後に色付きのリップを塗る。よし、これならマシに見えるだろうと日波が鏡の前で頷いたところで、玄関の引き戸がガラリと音を立てた。

「日波〜!お祭り行くぞ〜!」

 快政だ。「今行く!」と大声で返し、日波はネックレスをつけてカバンを手に取り玄関へ急いだ。

「お待たせしました」

「大丈夫!」

 見れば、今日一緒に行く四人は勢揃いしていた。小林家の姉妹は浴衣を着てきちんと髪の毛までまとめていてなんとも涼しげだった。

「すごい、浴衣かわいいね」

「えへ、ありがと〜!おばあちゃんが着せてくれたの」

「俺知ってるぜ、“馬子にも衣装“って言うんだろ」

「快ちゃんサイテー。そんなんだからモテないんだよ」

「うるさ」

 軽快な幼馴染同士の言葉に笑ってしまう。サンダルのストラップを締めて立ち上がれば、早速出発だ。

 道中、快政がふとこちらを向いた。

「おっと忘れるとこだった。はい、これ」

 差し出されたのは可愛らしいビーズのブレスレットだった。

「ありがとう、これは?」

「もう〜快ちゃんが作ったわけじゃないのに。これ私が作ったの」

 れーちゃんが頬を膨らませながら言った。

「みんなでお揃い!」

 そう言うと、四人が笑って腕を目元まで掲げる。四人の腕には日波と同じデザインで色違いのブレスレットが付いていた。

「日波ちゃんはお盆で帰っちゃうから、お祭り行った今日の思い出に作ったの。東京戻っても置いとけるでしょ?」

「嬉しい、ありがとう」

 受け取って腕につければ、オレンジ色の小さなビーズが夕陽に照らされてキラキラと煌めいている。たった数日なのに仲間として受け入れてもらえた気がして嬉しく、胸の底がポカポカと温かい。しかし、それを見つめる快政の目線に日波は気が付かなかった。

「屋台で何食うかな〜」

「俺とりあえず焼きそば」

「私はかき氷かな〜」

 たわいもない会話はごく自然体で、話しやすい。日波はそこで、つい学校では気を張って生きているのかもしれないと気がついたのだった。

 程なくして神社に着く。そこで日波は祖父から一度祖父のいる本部のテントに来るように言われていたのを思い出した。屋台や盆踊りはそばの広場で行われている。本部のテントは境内の中で、境内の方は広場に比べれば閑散としていた。

「ごめん、私おじいちゃんに呼ばれてるんだった。すぐに戻るし、先に行っといて」

「おうー分かった」

 手を振って四人と別れ、日波は山の麓にある神社へと向かった。森に覆われ飲まれてしまうような雰囲気の神社で、木々は鬱蒼としている。境内へ行くためには何十段か階段を登る必要があり、夕方とはいえまだ蒸し暑い夏では、階段はとても鬱陶しいと日波は思わずため息をついてしまった。伝う汗を拭いながらなんとか上がりきる。最後の一段を登りきり、一息ついてから一礼をして鳥居をくぐった。

 境内の中はシン、と静まり返っていた。なんとなく空気が変わった気がして、日波は周囲を見渡した。本殿まで続く参道は薄暗い。

「………?」

 日波は違和感を覚えた。何かがおかしい。静かすぎるのだ。

 先程まで聞こえていた祭囃子の音も、ひぐらしの声もしない。じゃり、と自分が踏みしめた玉砂利の音がいやに響いた。よく見れば祖父のいるはずのお祭りの本部も無かった。

 何が起こっている?日波の背筋をじっとりと汗が滑っていく。そこで引き返せばよかったのだが、その時日波の思考回路には戻るという選択肢が無かった。否、いたのだった。

 異常に対する恐怖を抱えながら、日波は一歩ずつ参道を進んでいく。そう長くない参道はあっという間に歩き切ってしまい日波は社殿を見上げた。

「っ!!!???」

 日波は驚きすぎて、声が出なかった。

 社殿のお賽銭箱の上に先程まではいなかった人が座っているのだ。優雅に腰掛け、足を組んでいる。頬杖をついてこちらを愉快そうに見下ろしていた。

 目を奪われたのはその人物の美貌だった。癖のある髪は長く、黒のように見えて光に照らされた部分は赤や緑、黄金に光っているて、玉虫色のように見える。奔放さを表すように好き好きに跳ねていた。信じられないほど整った面立ちは優美で鼻筋は細く、少し垂れたように見える瞳は長く縁取るまつ毛のせいだった。瞳は黄色や萌葱色、ピンクが混ざった不思議な虹彩で、キラキラと星が瞬くよう。うるおいのある薄桃の唇はこちらの反応を楽しむように弧を描いていた。着流しのようなものを着ているが、ふわふわと重力に逆らって浮いている。

「かみさま…?」

 日波の口から思わず言葉がこぼれ出す。常ならざる存在に彼女が判別できる要素はなく、人智を超えた存在を人は神と表すのだった。

「おっ!せいか〜い!一発で当てるとはいやはや素晴らしいのう!」

 大仰に拍手して見せる。声を聞いて日波は男性だったのかと一人納得する。見た目は非常に中性的で判別がつかなかったのだ。

「えっと、何もこの状況が理解できないのですが…。ここは平谷沢神社のはずですよね」

「そうだよ〜」

「私、おじいちゃんのいるところへ行くつもりでここへ来たのですが、お祭りの大会本部はどこですか」

「あはっ、僕それはわかんないな〜」

 軽薄な口調に苦々しい気持ちになる。この異常の発生源はどう見ても目の前の神と名乗る男だろう。

「まあ、しばらく君のおじいさんとは会えないかな」

 悪びれずそんなことを言うのだ。

「でも、いつもの神社だけどいつもの神社じゃない。あんたのせいでしょ」

「う〜ん、僕のせいだけでもないけど、半分は僕のせいかなぁ」

 ふらふらと明言を避ける男にイライラして日波はじろりと睨んだ。

「僕の探し物を一緒に探してくれたら、おじいさんのところに返してあげるよ」

「はぁ?…嫌と言ったら?」

「君がいいと言うまで押し問答」

 日波は怒り出しそうになる。怒りを鎮めるように息を吐いてから、口を開く。

「はあ、探し物はいったいなんなんです?この神社の中ですか?」

「鍵なんだけどね、ここじゃない場所なんだよね。場所もなんとなくしか分からなくてね」

「神様なのに?」

「神様なのにさ。神様と言っても今はみんなの信仰も薄れて力がなくてね」

「ふーん」

「この通り、哀れな力のない神様を救ってくれないかい?」

 わざとらしく袖で涙を拭う仕草をする。日波は大仰にため息をついた。結局自分が自力でこの異常な空間から脱出することはできないと肌で分かっていたのだ。

「その鍵とやらが見つかったら、ちゃんと返してくださいね」

「もちろんだとも!」

 男はにっこりと笑うとふわっと賽銭箱から飛び降り、日波の前に降り立つ。

「そうだ、お主、名前は?」

「………ヒナ」

 咄嗟に出てきた名は本名ではなく、幼い頃からの友人によく呼ばれていたあだ名だった。なぜあだ名を告げたのかは日波にも分からなかったが、目の前の神は満足したようだった。

「そういうあんたの名前は?」

「僕?そうだなあ、本名は長いから、ヨロズとでも呼んでおくれ」

「ヨロズね、じゃあそのなんとなくわかる場所へ連れてってよ」

「随分と物分かりの良い子だ」

「自分じゃどうしようもないって、悟ってるんですよ」

「ふは、ヒナは賢い子だねぇ。…早速行こうか」

 ヨロズが日波の手を取ると、軽く空気を切るようにもう片方を手を振った。その瞬間まばゆい光が二人を包み、浮遊感を感じる。その眩しさに日波は思わず目を閉じたのだった。

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始まりの鍵 春来彩水 @Saisui_haruki

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