終電の向こう側
しらかわ由理
終電の向こう側
私の名前は美咲。
昔からちょっと人とは違うものが見える体質だった。
子どもの頃、誰もいない公園のブランコが勝手に揺れているのを見たり、
夜道でふと誰かの気配を感じたり。霊感体質ってやつだ。
怖いこともあるけど、慣れてしまえば日常の一部になる。
最近は忙しくて、そんなことに意識を向ける余裕もなかった。
都内の小さな広告代理店で働く私は、毎日残業でクタクタだった。
今日も、終電間際まで会社にいた。
その日は10月の冷たい風が吹く夜だった。
仕事を終えて、駅のホームで終電を待っていた。
時計は23時50分。
ホームには私以外に数人しかいない。
疲れ果てて、ぼんやりと電光掲示板を見つめていたら
突然アナウンスが流れた。
「人身事故のため、運転を見合わせております」
その言葉に、胸がざわついた。
人身事故……霊感体質のせいか、そういう話を聞くといつも嫌な感じがする。
どこかで、誰かの悲しみや怒りが渦巻いている気がして落ち着かない。
やっと電車が来たのは、0時を過ぎた頃。
ガラガラの車内に乗り込むと、冷たい空気が肌を刺した。
『電車の中って、いつもこんなに寒かったっけ?』
シートに座って、スマホを手に取った。
しかし、電波が悪いのか、画面が固まる。
仕方なく窓の外を眺めた。
真っ暗なトンネルの壁しか見えない。
反射する自分の顔がなんだかやけに青白く見えて、ゾクッとした。
電車が動き出してしばらくすると妙なことに気付く。
次の駅に停まるはずなのに、電車が止まらない。
アナウンスもない。
ただ、ガタンガタンと音を立てて、ひたすら走り続ける。
おかしいな、と車内を見回した。
他に乗客は誰もいない。
さっき、ホームで一緒だった人たちも、いつの間にか消えている。
心臓がドクンと鳴った。
「え、なにこれ…?」
立ち上がって、ドアの近くに行ってみた。
『次の駅に着いたら、すぐ降りよう』
そう思ったのに、電車は駅を通過した。
ホームの明かりが一瞬見えたけど、まるでスローモーションみたいに
ゆっくりと通り過ぎていく。
ドアのボタンを押しても、反応がない。
窓を叩いてみたけど、誰もいないホームに音が響くだけ。
パニックになりそうだった。
その時、車内の電気がチカチカっと点滅した。
まるで古い蛍光灯が切れそうになるみたいに明かりが不安定になる。
そして、背筋に冷たいものが走った。
誰かが……いる。
私の後ろに、誰かが立っている気がする。
振り返るのが怖かったけど、意を決してゆっくり首を動かした。
そこには、黒い影のようなものがいた。
人型だけど、顔がない。
いや、顔があるはずなのに、目も鼻も口も、何も見えない。
ただ、黒いもやがそこに漂っているみたいだった。
それは、じっと私を見つめている。
いや、見つめられているというより、吸い込まれそうだった。
体が動かない。
足が地面に縫い付けられたみたいに、動けない。
「やめて……やめて……」
小さな声で呟いたけど、声がかすれる。
影が一歩近づいてくる。
電車の揺れに合わせて、ふらふらと、でも確実に近づいてくる。
その瞬間、頭の中に、ドロドロとした感情が流れ込んできた。
怒り、悲しみ、絶望。
まるで、その影の感情が私の中に入ってくるみたいだった。
「死にたい」
「誰も助けてくれない」
「ここにいて」
そんな言葉が、頭の中で響く。
私の意思じゃない。なのに、頭から離れない。
『いやだ! 降りたい!』
叫ぼうとしても声にならない。
影がさらに近づいてくる。
もう、目の前。
黒い靄が私の顔を覆うように広がる。
息ができない。心臓が締め付けられるように痛い。
その時、ふっとどこかで聞き覚えのある声がした。
「美咲、目を閉じて」
優しい、でも力強い声。姉の声だ。私の姉、彩花。
3年前、病気で亡くなった姉の声。
信じられないけど、その声には逆らえなかった。
私は目を閉じる。
すると、急に体が重くなった。
まるで、深い海の底に沈むみたいに、意識が遠のいていく。
影の気配も、電車の音も、全部が遠ざかる。
最後に、姉の声がまた聞こえた。
「大丈夫、私がいるから」
ふと気がついたら、私は電車のシートに座って眠っていた。
車内は静かで普通の電車の匂いがした。
窓の外を見るとホームの明かり。
電光掲示板には「終点」の文字。
私の最寄り駅じゃない。
知らない駅だった。
でも、さっきの黒い影はいない。
車内には私一人。
アナウンスが流れて「終点です、ご降車ください」と機械的な声が響く。
フラフラと立ち上がってホームに降りた。
駅の名前は「月見ヶ丘」。
こんな駅、聞いたことがない。
時計を見ると、朝の5時。
電波はまだ圏外だったけど、なぜか安心感があった。
姉の声が、まだ耳に残っている。
ホームのベンチに座って、頭を整理しようとした。
さっきの黒い影は何だったんだろう?
あの電車は、どこに私を連れて行こうとしたんだろう?
ふと、ホームの端に目をやるとそこに白い服を着た女の人が立っていた。
長い髪、華奢な体。姉にそっくりだ。
振り返ったその顔は、やっぱり姉だった。
微笑んで、こっちを見ている。
だけどすぐにふっと消えた。
幻覚だったのかもしれない。
でも、私には分かる。
あれは姉だ。姉だった。
姉が、彩花が、私を守ってくれたんだ。
無人駅だった月見ヶ丘駅に来た電車に乗り
なんとか始発で最寄り駅に戻った。
家に着いたのは、朝の7時過ぎ。
シャワーを浴びて、ベッドに倒れ込んだ。
けど、すぐにベッドに横になりながら実家に電話をかけた。
母さんに、姉の仏壇にお参りしたいって伝えて
週末、実家に帰ることになった。
実家に着くと、仏壇の前に座って、姉の写真を見た。
笑顔の姉。
昔から、私が何かで悩むと、いつもそばにいてくれた。
病気で入院してからも、電話で「美咲は長生きしてね」って笑ってたっけ。
手を合わせて、目を閉じた。
「お姉ちゃん、ありがとう。あの夜、助けてくれて」
そう呟くと、なんだか温かい風が部屋を通り抜けた気がした。
仏壇に姉が大好きだったビールを供えた。
「いつも発泡酒じゃなくて
ちゃんとしたビールじゃなきゃダメ!ってうるさかったよね」
笑いながら、姉の写真の隣に缶ビールを置く。
そしたら、ふふっと、姉の笑い声が聞こえた気がした。
ほんの一瞬だけど、部屋の空気が軽くなった。
あの夜のことは、今でもはっきり覚えている。
黒い影の恐怖、止まらない電車。
でも、姉がいたから、私は無事に帰ってこれた。
あの影は、きっと人身事故で亡くなった誰かの怨霊だったのかもしれない。
でも、姉の優しい力が、私をその怨念から引き戻してくれたんだ。
今でも電車に乗るときは少しドキドキする。
でも、手帳に挟んだ姉と笑い合った昔の写真を見つめているとなんだか安心できる。
姉は、彩花は、今でも私のそばにいてくれる。
それだけで私は前に進んでいける。
終電の向こう側 しらかわ由理 @46yuri
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます