最終話 エピローグ

「おはようございます、仁奈様」

「おはよう、長篠くん」


 朝、長篠くんが起こしに来るのも、これが何度目だろう。

 こんな日常も、もうすっかり慣れた……と言いたいところだけど、本当はまだ全然だ。

 毎朝長篠くんの顔を見る度、ドキッとしてしまう。

 けどそれが、私の日常。長篠くんがそばにいるのも、ドキドキさせられるのも、なくてはならないものみたいになっている。


「仁奈様、どうかされましたか?」


 学校に向かう途中、私の視線に気づいた長篠くんが聞いてくる。

 けど、長篠くんにドキドキしてましたなんて言えないよ。


「えっと……この前の執事コースの試験。もしかしたら、もっとうまくできたかもって思って」


 咄嗟に出てきたのは、執事コースの試験の話。


 あれがあったのが、今から数日前。

 三階から雨樋を伝って降りるって無茶をした後、免除もできたテーブルマナーとダンスの試験をあえて受けたけど、実はその結果は、なんとも微妙なものだった。

 別に、特別ひどい失敗をしたわけじゃないんだよ。ただ、特別よかったってわけでもない。ごくごく普通の評価だった。


「あんなにやるぞって意気込んだんだから、もっといい結果を出したかったな」


 実は、自分ではかなりうまくできたと思ってたんだけど、そんなに甘くはなかったみたい。

 私としては、けっこう不満。だけど、それを聞いた長篠くんは、なぜか笑ってた。


「少し前から練習をはじめてそこまでできたのですから、十分頑張りましたよ」

「そうかな?」

「ええ。ずっと見てきた俺が保証します。それに……」


 そこまで言ったところで、長篠くんは一度言葉を切って、より一層笑顔を浮かべる。

 な、なに?


「俺は、仁奈様と一緒に踊れて、仁奈様をエスコートできて、楽しかったですよ」

「ふぇっ!?」


 な、なに言ってるの? まるっきり初心者の私に何から何まで教えた長篠くんは、すっごく大変だったと思うんだけど。

 だけど、実際そう語る長篠くんは、とても楽しそう。

 すると長篠くん。なぜか急にスマホを取り出し、画面を表示する。

 そこには長篠くんが、それに、ドレスを着て一緒に踊る私の姿が映し出されていた。


「ど、どうしたの、それ!?」

「試験の様子は映像として記録されていて、希望すればもらえるようになっているのですよ。試験の最後に、先生から言われたはずですけど」


 そうだっけ? その時は試験をやりきったこともあって放心状態で、先生の話なんて全然頭に入ってなかったよ。


「っていうか長篠くん。その映像貰ってたの!?」

「もちろん。仁奈様の頑張った証ですから。俺の宝物です」


 ニッコリ笑う長篠くん。まさか、その映像何度も見返したりしてないよね?

 もしそうなら、すっごく恥ずかしいんだけど! 


「仁奈様は、どうでしたか?」

「わ、私!?」

「はい。試験に出ると決めて、たくさん努力して、実際にやってみて、どう思いましたか?」

「それは……」


 言われて、考えてみる。

 本番ではやっぱり緊張したし、汚れたドレスで踊るなんて変なことにもなった。

 だけど、楽しかったかどうかって聞かれたら、答えは決まってる。


「うん。私も、楽しかったよ」


 こんな風に思えるのも、きっと、ダンスの相手が長篠くんだったから。

 長篠くんと一緒だから頑張れたし、大変なことだって楽しいと思うことができた。


 長篠くんは、どうなんだろう。

 私をエスコートできて楽しかったって言ってるし、少しでも同じ気持ちでいてくれたら嬉しいな。


「私、長篠くんのロードとして胸を張れるよう、これからも頑張るから」


 前に樋口さんが言っていたけど、専属執事の契約は、執事コースの試験の後なら解除することができる。

 だけど私も長篠くんも、これからもお互いのロードと執事としてやっていきたかった。


 もちろんそれは、簡単なことじゃない。

 執事コースの試験はこれからも定期的にあって、その中にはロードである私が協力しなきゃいけないものもたくさんあるらしい。

 きっとそのどれもが、お嬢様でもなんでもない私にとっては未知のもの。

 それでも、長篠くんと一緒に頑張っていきたかった。


「期待していますよ、我がロード。あなたの執事になれて、光栄です」


 もう一度、長篠くんがニコリと笑う。それを見て、ドキッと心臓が高鳴る。


 まただ。

 実は最近、長篠くんと一緒にいると、こんな風にドキドキすることが何度もあるの。

 この気持ちはなんなのか。実は薄々感づいてる。

 ただ、今はまだ、長篠くんには絶対に秘密にしようって決めてるの。


 なぜかって?

 だって、その……執事と主って、恋愛してもいいのかわかんないから。


 長篠くんと一緒にいて、色々助けてもらって、試験に向けてたくさん練習した。

 そうしているうちに、胸の奥で芽生えた恋心。

 この気持ちがどうなるか。いつか伝える日がくるのかは、まだわからない。

 だけど今は、生まれたばかりのこの想いを、大事にしていきたかった。


 そうだ。さっき長篠くんが見せてくれた、試験の映像。お願いして、私のスマホにも送ってもらおう。

 長篠くんと、好きな人と初めて挑んだ試験の記録は、きっと私にとっても宝物になる気がした。


 ~完~

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執事な彼の主になりました!? 無月兄(無月夢) @tukuyomimutuki

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