第19話 練習の成果を

 血相変えて叫んでいた樋口さんは、それからすぐに部屋の中へと引っ込む。

 と思ったら、間もなくして、建物の角から姿を現し、こっちに向かって駆けてきた。

 どうやら、引っ込んですぐにこっちに向かってやってきたみたい。

 執事コースの先生も一緒だ。


 やってきた樋口さんは、地面に座り込んでる私と、足に結んであるドレスのスカートを見て、何が起きたかだいたい察したみたいだった。


「まさか、自力で三階から降りようとしたんですの!? いくらなんでも無茶苦茶すぎますわ!」


 そ、それは、私もそう思う。これしかないって思って無我夢中でやったけど、長篠くんがやってこなかったら、今ごろ大ケガしてたかも。

 でも、そもそも私を閉じ込めた樋口さんがそんなこと言う資格ってあるの?


 だけど、なぜだろう。今の樋口さんは顔を真っ青にしていて、本気で心配しているように見える。

 とても、私や樋口くんを困らせようとして罠にかけた人と同じには思えなかった。


「こんなことになるとは。この試験、見直した方がいいかもな」


 そう言ったのは、樋口さんと一緒にやってきた執事コースの先生。

 これには、長篠くんも怪訝な顔をする。


「試験って、どういうことですか? どうして先生がここにいるんです?」

「ええと、それは……」


 長篠くんの質問に、一瞬答えにくそうにする先生。だけど、すぐに観念したように言う。


「実は、ロードである水瀬さんが試験に来られなくなるのも、君に脅迫めいたメッセージが届くのも、全部試験の一貫なのだよ。それなりの立場にいる者には、良からぬ輩が寄ってくることもあるし、場合によっては誘拐などの危険もある。急に危機的状況に陥った時、適切な判断ができるかどうかを見るつもりだったんだ」


 えっ? そうなの!?!?

 私はもちろん、長篠くんもこれは予想外だったみたいで、目を丸くしていた。


「試験の内容は、実技に面接。それに、ロード役の生徒と共に行うものだけではないのですか?」

「それは、表向きの発表だよ。本校の執事試験では、時々通常のものとは別に、不測の事態を起こして行動を見るという、特別試験を行うことがあるんだ。対策されるのを避けるため、いつどの生徒に向けて行うかは完全にランダムになっているが、今回それに選ばれた中の一組が君たちだったというわけだ」


 そうなんだ。

 告げられた内容があまりに衝撃すぎて、まだついていけないんだけど。

 頭を抱えながら、樋口さんの方を向く。


「じゃあ、樋口さんがやったことって……」

「試験を手伝ってほしいと、先生に頼まれたのですわ」

「私と長篠くんの専属執事の契約を解除させるってのは? 私のかわりに、自分が長篠くんのロードになるってのは?」

「あなたを閉じ込めるのに説得力を持たせるための方便ですわ。確かに、長篠くんをわたくしの執事にできたらと妄想することは多々ありますが、ロードへの忠誠心を簡単に捨て去る長篠くんというのは解釈違いですわ。だいたい、おかしいと思いませんでしたの? 外からだけ鍵をかけられる部屋なん普通はありませんし、あなたを閉じ込めたって長篠に知られたら、私の執事になんてなってなってくれるはずがないではありませんか」

「だってそれは、色々な方法を考えてるって……」

「あんなことをしておきながらどうにかできる方法なんて、本気であると思っていましたの?」

「…………」


 思ってません。

 それじゃあ私は、ずっとそんな無茶な嘘を信じて大慌てになってたんだ。

 真相を知って、一気に体から力が抜けていく。


 で、でも、聞きたいことはまだ終わらない。

 これが試験だっていうなら、一番大事なことがまだ残ってる。


「あの。それじゃあ、試験の結果はいったいどうなるんですか?」


 さっき長篠くんが試験を辞退したって聞いた時は、なんとかやり直しさせてもらえないかって思ったけど、これも試験の一部なら、そもそも失格になんてなってないはず。

 ただ、試験そのものがうまくいったかっていうと、さっぱりわからない。


 すると先生は、難しそうにうーんと唸る。


「そうだね。まず、彼が試験を即辞退したことは、自らの成績よりも主の身を優先させたとして、評価に値する」

「当然です。執事たるもの、いざという時主を守ろうとしなくてどうするんです」


 迷いなく言う長篠くんに胸が熱くなる。

 実は、長篠くんが試験を辞退したって聞いた時、すごくショックだったけど、そうまでして助けにきてくれたってのは、すごく嬉しかった。


「水瀬さんのいる場所をある程度特定できたのもプラス評価です。居場所を特定するためのヒントはさりげなく与えていたのですが、決して見落とすことはありませんでした。ただ……」


 そこまで言ったところで、先生が急に声を落とす。

 これまでは良い評価ばかりだったけど、急に不安になってくる。


「水瀬さんが窓から外に出て下まで降りようとしたのは、大変危険な行為です。こんなことをするとは、我々も想定外でした」


 うっ……

 危険だってのは、本当にその通り。ということは、私のせいで評価が良くない結果になってしまうの?

 恐る恐る次の言葉を待っていると、そこで大きくため息をついた。


「とはいえ、これはこうなることを予期していなかった我々にも責任があります。注意はさせていただきますが、試験の成績とは無関係となるよう、私からも掛け合いましょう」


 えっ?

 うまり、それって……


「試験そのものの評価は、期待していいですよ」

「本当ですか!」


 ようやく聞きたい言葉が出てきて、思わず声をあげる。

 けどその直後、今度は長篠くんの声が飛ぶ。


「仁奈様。俺の成績よりも、まずは自分の身を気にしてください。さっきも言われた通り、もうあんな危険なことはおやめください」

「────はい」


 そうでした。きっと長篠くんだってすごく心配しただろうし、そこはしっかり反省しないと。

 けど、項垂れた私を見て、長篠くんはさらに続けた。


「ですが、あんなことまでしてどうにかしようと思ってくれたのは、嬉しかったです。ありがとうございます」


 そうして、深々と頭を下げる。

 それだけで、さっきまでシュントしていたのに一気に嬉しくなるんだから、我ながら単純だ。


 するとそこで、執事コースの先生が、改めて口を開く。


「そこは、私も最も評価した点です。執事と主にとって一番大事なのは、いかに強い絆で結ばれているか。あなたたちには、既にそれができているよつですね。これからも、あなた達の絆が続いていくことを願っていますよ」


 先生からもそう言われて、ますます嬉しい気持ちが広がっていく。

 絆なんて言われるとなんだか少し照れくさいけど、長篠くんとの間に確かな繋がりがあると思うと、胸が暖かくなっていくような気がした。


「それはそうとですね。あと少しで、ロード役の生徒も参加して行われる、テーブルマナーとダンスの試験時間となるのですが」

「えっ!?」


 言われて気づく。

 そうだ。今ので試験は一段落ついたようなきになってたけど、まだそれが残ってたんだ!

 ただ、そこから先生は、さらにこう付け加えた。


「ただし、先ほどの特別試験を受けた人たちは、こちらの試験は免除することも可能となっています」

「そ、そうなんですか?」

「はい。特別試験における精神的な疲労を考慮しての措置なので、受けなくても大きく成績が下がることはありません。どうされますか?」


 そう言われて、私も長篠くんも顔を見合わせる。

 受けても受けなくても大して変わらないなら、免除してもらった方がいいのかもしれない。

 少なくとも、長篠くんはそう思ったようだった。


「さっきあんなことをしたばかりです。今は、休まれた方がいのではないでしょうか」


 そうだよね。雨樋を伝って三階から降りるなんて無茶やって、心も体もクタクタだ。さらに、着ているドレスにはシワができて、所々汚れてる。天野先輩、本当にごめんなさい!


 けど、なぜだろう。そんな状態なのに、出てきた言葉はこれだった。


「あ、あのね。長篠くんさえよければだけど、受けてみてもいいかな?」

「それは……」


 長篠くんはすぐにでも私を休ませたいようで、すぐには返事をしてくれない。

 もちろん私だって、休みたいって気持ちはある。けどそれ以上に、やってみたいって思いの方が強かった。


「長篠くんと一緒に練習した成果を見せたいの。ダメかな?」


 試験を受けなくても、成績にはあまり関係ないかもしれない。こんな状態で受けても、失敗するかもしれない。

 だけどそれでも、今まで練習してきた成果を見せることなく終わってしまうのは、すごくもったいない気がした。


 長篠くんはどうだろう。成績に関係ないなら、あるいは、私を休ませるのを優先させるために、やめようって言う?

 すると、ほんの少しだけ困ったように笑い、それから本当の笑顔になっていく。


「俺としては、すぐにでも休んでほしいのですが、主の意思は汲み取らなくては」

「じゃあ……」

「行きましょう。これまでの練習の成果、見せてください」


 それから、私に向かって手を差し伸べてくる。

 その手を掴むと、私もめいっぱいの笑顔を見せる。


「ありがとう、長篠くん」


 そうと決まれば、早速試験のある部屋に向かわなきゃ。

 相変わらず疲れはあるし、どれだけ上手くできるかなんてわからない。それでも、やるって決めたんだ。

 こんなこと、少し前の私なら、考えもしなかったかもしれない。

 だけど今なら、長篠くんと一緒なら、どんなことだって挑戦していける気がした。

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