第23話 君のいるセカイ
夜の闇の中、月明かりだけを頼りに、俺たちは再び、白い灯台の最上階へと辿り着いた。
部屋の中央では、あの夏と同じように、無数の光の粒子が、星屑のように舞っている。人々の願いと記憶の集合体。この世界の理を歪めてしまった、優しくも、暴走した「意志」。
俺と
手には、俺の半身とも言えるカメラと、たった今撮ってきたばかりの、未来への覚悟を写した一枚の写真。
これが、俺たちの最後の戦いだ。
俺は、一歩、前へ進み出た。
そして、これまで、どんな時も俺と共にいてくれた相棒――愛用のカメラを、光の中心、かつてレンズがあったであろう石の台座の上に、そっと置いた。
俺の指先が、冷たい金属から離れた、その瞬間。
カメラが、淡い光に包まれた。
輪郭が、ゆっくりと滲んでいく。それはまるで、長年の役目を終えた星が、最後の輝きを放つように、穏やかで、そして、どこか誇らしげに見えた。
俺の過去が、妹の
ありがとう。さよならだ。俺の、臆病な目のかわりになってくれた、最高の相棒。
やがて、カメラは完全にその姿を失い、光の粒子となって、「意志」の中へと溶けていった。
次に、灯が、震える手で、二人で撮った「最後の写真」を、同じ場所にそっと置いた。
写真の中の俺たちは、未来だけを見つめて、笑っている。
俺は、光の「意志」に向かって、静かに、しかし、はっきりと語りかけた。
それは、祈りであり、そして、決別のための宣言だった。
「俺は、もう、『灯に生きていてほしい』とは願わない。そんな、神頼みみたいな、無責任な祈りは、もうしない」
光が、応えるように、わずかに揺らめいた。
「俺は、選ぶ。この手で、選び取る。不確かで、明日どうなるかも分からない、運命の定まらない世界を。偶然に満ちた、この世界を」
「そこで、灯と共に、笑ったり、泣いたり、時には喧嘩したりしながら、生きていく。俺が望むのは、そんな、当たり前の未来だ。だから……」
俺は、一度、言葉を切り、隣に立つ灯の手を、強く握った。
「もう、灯を特別扱いするのは、やめてくれ」
「彼女を、ただの、普通の女の子に、戻してくれ……!」
俺の、新しい「覚悟」を受け取って、光の集合体が、これまでで最も強く、眩い輝きを放った。
台座の上の写真が、まるで太陽のように、白く、弾ける。
直後、灯台全体が、温かい光に、優しく包み込まれた。
「……あ」
灯の体が、ふわりと、宙に浮くような感覚に襲われる。
彼女を、がんじがらめに縛り付けていた、世界の「呪い」が、音を立てて、解けていくのが分かった。体が、心が、軽くなっていく。
光の集合体である「意志」が、最後に、俺たちの脳裏に、一つの感情だけを送り込んできた。
それは、言葉にならない、温かくて、穏やかな、「ありがとう」という、感謝の想い。
そして、無数の光の粒子は、まるで役目を終えたかのように、静かに、闇の中へと消えていった。
全ての光が収まった時。
そこには、ただの、静かで、古い廃墟があるだけだった。
もう、不思議なハミングも、壁に映る記憶の断片もない。
嵐は、過ぎ去ったのだ。
◇
季節は巡り、冬が訪れようとしていた。
俺と灯は、ごく普通の高校生として、ごく普通の、穏やかな日常を送っている。
朝、通学路を歩いていると、小さな子供が、派手に石につまずいて転んだ。
「きゃーっ!」
灯が、真っ先に駆け寄る。「大丈夫?」と、優しく子供の膝の砂を払ってやり、絆創膏を貼ってあげる。
子供は、「ありがとう、お姉ちゃん!」と、元気よく走り去っていった。
ただ、それだけのこと。
誰も、不幸にはならない。
もう、彼女の優しさが、世界のどこかで、誰かを傷つけることは、ない。
彼女は、本当に、「普通の女の子」に戻ったのだ。
その当たり前の光景が、俺には、奇跡のように思えた。
放課後。
俺たちは、あの丘の上から、燃えるような夕日を眺めていた。
俺の首に、もうカメラはない。
その代わりに、俺の右手は、灯の左手と、固く、繋がれている。
「ねえ、遥斗くん」
「ん?」
「私、今、すごく幸せだよ」
彼女は、心からの笑顔で、そう言った。
「……俺もだよ」
俺は、彼女の肩を、そっと引き寄せた。
終わらない夏も、世界を歪めた願いも、全ては、遠い過去になった。
僕たちの前には、不確かで、ありふれて、けれど、どこまでも続いていく、まっさらな未来だけが広がっている。
もう、ファインダーなんていらない。
僕が本当に写したかったものは、いつだって、目の前にあったのだから。
それは、美しい光でも、感動的な風景でもない。
ただ一つ。
――君のいるセカイ、そのものだ。
僕たちは、ゆっくりと、丘を下り始めた。
新しい季節へと続く、その道を。
どこまでも、二人で、一緒に。
夏凪のセカイで、君はもう一度瞬く りょあくん @Ryoakun
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