夏休み、文学少女とこっそりハメ外しました。
五月雨恋
夏休み、文学少女とこっそりハメ外しました。
熱気と強烈な日差しに、思わず目を細めた。
南半球の空は、日本で見慣れたそれよりもひときわ濃く、どこまでも透き通った青をしている。耳に飛び込んでくるのは甲高い鳥の声。乾いた空気の中に、ほんのり甘い匂いが混じっていた。
シドニー空港に降り立った瞬間、俺――朝霧昴は思った。
「……うわ、空が違ぇ」
3週間の短期留学プログラム。
世界各国の学生が集まるグループ研修で、初日は語学学校での顔合わせと簡単なツアー。人付き合いは苦手じゃないが、新しい人間関係となるとやっぱり緊張する。
各国の学生が入り乱れるオリエンテーションの場で、ふと見知った顔を見つけた。――出発前の説明会でも自己紹介していた子だ。
そのときのことを思い出す。日本人同士で簡単に自己紹介をした場面。
「白浜書院大学・文学部の時任志帆です。好きな作家は三島由紀夫と江國香織です」
落ち着いた声。黒髪ストレートロングに、ぴたりと揃った前髪。黒の七分丈シャツにゆるめのデニムパンツという地味な服装なのに、背筋をすっと伸ばす姿が妙に絵になる。
THE文学少女――そんな印象だった。なぜ覚えているかって?
……胸が意外と大きかったからだ。正直すまん。
そして今の彼女は、説明会のときの服装にニットを重ねただけ。やっぱり地味な文学少女だな、とか、服のバリエーション少なそうだな、とか、余計なことを考えてしまう。
ふと目が合った。とっさに会釈を返す。――しまった、日本人だとバレるやつ。
アホなことを考えながら、もう一度視線を戻したとき。
ほんの少しだけ、“可愛いかも”と思ってしまった。
……夏の魔力ってやつだ。
* * *
翌日からのフィールドワーク。観光地めぐりの班分けで、偶然にも俺と彼女は同じグループになった。
昨日と同じ服装に、今日は緑のニットを重ねている。……色が変わっただけじゃねぇか。
歩きながら横に並んだタイミングで、試しに英語で声をかけてみる。
「Hey, do you wanna go together?」
彼女がぎょっとして、妙にカタカナ発音で返す。
「……イ、イエス」
俺は笑いをこらえて肩をすくめた。
「英語じゃないと研修にならないしな。縛りプレイだと思ってくれ」
「……いきなり英語だったから、実は日本人じゃないのかなって思った」
「カタカナ英語で返ってきたからな。やっぱ日本人なんだなって思った」
彼女はむっとして眼鏡をくいっと押し上げる。
「え、いきなりディスるの?」
「え、文学少女なのに“ディス”とか言うの?」
二人して思わず吹き出してしまう。
少しの沈黙を挟んで、彼女が口を開いた。
「……というか」
「ん?」
「なんで英語の発音そんな良いの?」
「高校時代に映画で鍛えた。英語字幕で観る縛りしてたら、なんか身についた」
「ストイックだね……。私はご覧の通り、発音クソです」
「いや、十分上手いって。正直、カタカナ英語が刺さった」
「バカにしてる?」
彼女は目を細めて、ジト目を向けてくる。
「いや、ギャップがいいなって。よろしくな、志帆」
「え、なんで名前知ってるの?てか、いきなり呼び捨て??見た目通りチャラくない?」
「自己紹介したじゃん。呼び捨ての方が海外っぽいし、俺はチャラくないぞ」
「……ほんとかなぁ」
そんなやり取りのあと、ふざけて英語っぽいイントネーションで呼び合ってみた。
「スバルー!」
「シホー!」
笑い声を上げながら、俺たちは異国の街を歩いた。
* * *
滞在5日目。
午後から自由行動になったその日、グループで訪れたボンダイ・ビーチは、観光客で賑わっていた。
白い砂浜の向こうに広がる海は、どこまでも青く、波が砕けるたびに光を散らしている。
志帆は白いワンピースの裾を押さえながら、潮風に髪を揺らして叫んだ。
「なんか、凄く“夏”って感じがする!!」
「見た目とは正反対に寒いけどな」
「風も強いし……とてもじゃないけど泳げないね」
「分かっちゃいたけど、やっぱ少し残念だな」
吹きつける風が顔にまとわりつき、砂混じりの潮の匂いが鼻をかすめる。皮膚を撫でる冷たさに目を細めながら、俺は言葉を続けた。
「でも、こうやって海見てるだけでテンション上がる」
「分かる。あとさ、英語で話すと、ちょっと大胆になれる気がするのよね」
「性格が引っ張られる、みたいな」
「そう、それ!日本だと地味系な私なのにっ!!」
志帆はピョンと跳ねるように身体を揺らし、大きく手を広げて笑った。その仕草がいつもより無邪気に見えて、胸が少しざわつく。
「じゃあさ、この夏くらい、ハメ外してみる?」
俺の言葉に、志帆は小さく唇をすぼめ、考えるふりをしてから、いたずらっぽく目を細めた。
「……うん。ハメ外しちゃおっかなー?」
「おっしゃ任せとけ。ハメ外すのは得意だ!」
「じゃあ、教えてもらおうかな?チャラ男くん?」
「……ノリノリすぎないか?文学少女」
「いまさらでしょ」
志帆はそう言ってビーチサンダルを脱ぎ、砂浜に素足を滑らせる。熱を帯びた砂に触れた途端、「冷たっ」と軽く跳ねて笑った。
その笑顔に、また胸の奥がざわめいた。
* * *
その夜、俺はホテルの部屋でベッドに寝転がりながら、天井のファンを見つめていた。
静かに回るブレードの音に、海風の残り香がまだ部屋に漂っている。
なんとなくMen at Work の "Down Under"のイントロを口笛で吹いてみる。
曲全体はあんまり知らないんだけど、あの笛のとこだけ知ってるんだよなぁ……。
オーストラリアじゃ、このフレーズさえ知ってりゃ大体仲良くなれる――ような気がする。
スマホが鳴った。
俺はグイっと身体を反転させて画面をチェックする。
志帆『あのさ、そっち行ってもいい?』
俺は『いいよ』と短く返して脚を天井へ伸ばし、反動をつけて起き上がった。
同時にノックの音が響く。
そっとドアを開けると、白のカーディガンに薄手のロングスカートを揺らした志帆が立っていた。
その顔には、少しの緊張と、ほんの少しの期待がにじんでいる。……もう待ってたのかよ。
「……こんばんは」
「おう。……入る?」
「うん」
志帆は言葉少なに部屋へ入り、サンダルを脱ぐ仕草さえ慎ましく、それでいて妙に色っぽかった。
「男の子の部屋に行くとか、初めてなんだよ、私」
「……俺も女の子が来るのは初めて」
「……うそつき」
笑いながら振り返った彼女の目は、焚き火のように揺れていて、それでいて強い光を宿していた。
「だって落ち着いてるもん。こういう時は、ちょっとくらい緊張してるフリしてよ」
そう言ってソファの縁に腰をかけ、スカートの端を整える。
俺も一人分のスペースを空けて隣に腰かけた。
「いや、ちゃんと緊張してるぞ?」
「ふーん。……じゃあ、私が少し近づいたら?」
――そう言いながら、彼女の膝が俺の膝に触れた。
距離が縮まり、互いの呼吸がやけに大きく響く。沈黙を破ったのは志帆だった。
「……今夜、何が起きても“事故”ってことにしよっか」
「なんだそれ?」
「“あくまで事故”。そういうことにしておけば、後で後悔しても笑って済ませられるでしょ?」
どういう言い訳なんだろう、と一瞬思ったが、あえて触れなかった。
代わりに冗談を返す。
「じゃあ――正面衝突から始めようか」
「……なにそれ?」
志帆が首をかしげた瞬間、俺はそのまま彼女の唇を奪った。
触れるだけのキスじゃない。
ゆっくりと、深く、確かめ合うように。
驚いたように見開かれた瞳が、やがて静かに閉じていく。
細く柔らかな指先が、俺のシャツの裾をそっと掴んだ。
「ん……ふ、ぅ……」
唇がわずかに開いた隙に、舌を差し入れる。
最初は戸惑いながらも、志帆の舌がぎこちなく応えてきた。
呼吸は乱れ、熱が重なり、空気が甘く溶けていく。
「……やば、かも……」
唇を離したあと、志帆が頬を赤らめながら呟く。
「ん?」
「私、生まれて初めての事故で……複雑骨折みたいな感じ」
「終わったら、立てなくなるかもしれないしな」
「……ばか」
顔をそむけつつ、志帆は俺の胸を軽く叩く。
その手を引いて、ベッドへと場所を移した。
「……怖い?」
問いかけに、志帆は小さく首を振る。
「……ちょっとだけ。でも、本当に怖いのは……この後のことかも」
「後悔するかもしれないって?」
「違う。……忘れられなくなるかもしれないって」
その一言に、胸の奥がざわめく。
“事故”では済まない何かが、この先にあるのかもしれない。
言葉も、約束も、未来もないまま静かな夜を焦がしていく。
あるのは、今この瞬間のぬくもりだけ。
そして――
夏の夜は、静かに幕を下ろしていく。
* * *
翌朝。
目を覚ますと、遠くで水の流れる音がした。寝ぼけ眼をこすりながらそちらを見ると、志帆がひょっこりと顔を出す。
「おはよ……」
そう言って身体を起こすと、タオルを巻いた志帆が、クリップで軽くまとめていた髪をほどきながら微笑んだ。
「おはよう。いやー……ハメを、外してしまいましたな」
「いや、昨日からずっとそれ言ってるけど、誰に向けて?」
「真面目な娘だと信じて疑わない、日本の両親に」
「やめろって……俺の胃が痛くなる」
「でも父親が知ったら、きっと寝込むよ。“短期留学”で得たモノが“男”だったなんて言えない」
「文学的にボカせばいいだろ」
「そうだなぁ……『私は短期留学先で、同い年の男の子と、朝日を見ました』」
「いや、それもう余計アウトだわ」
志帆はクスクス笑いながら、まだ少し乱れた髪をゴムでまとめた。
肩にかかったマーメイドヘアが、朝の光に濡れて見える。
「じゃあ、やっぱり英語かな?どう言えばいい?」
「んー……そうだな。――We composed a symphony with our bodies last night.」
「……え? シンフォニー??」
「そう。“昨夜、私たちは身体で交響曲を奏でました”」
「ぶっ……あははははは!」
志帆は堪えきれず、眼鏡を押さえながら笑い転げた。
肩を震わせながら、「それ、余計ヤバいやつでしょ!」と涙目になっている。
昨夜よりもずっと無邪気な笑い声に、俺もつられて笑った。
* * *
滞在も半ばを過ぎた頃。
夜の自由時間、俺たちは二人、ベッドに並んでゴロゴロしていた。
志帆がコツンと額をぶつけてきて、ふいに聞いてくる。
「ねえ、彼女とかいるの?」
「今はいないよ。大学は高等教育機関だからな。勉学に励んでる」
志帆はゴロンと身体を反転させ、じとっと睨みつけてくる。
「励んでるのは女遊びじゃなくて?」
「国境を越えても、異国で励んでおります」
「私は同郷の女ですけど?」
「……たしかに」
そんな軽口を叩き合いながら、志帆は俺の腕を枕にしてスマホを取り出す。
画面には彼女のSNS。
《竜馬がゆく読了。》
《夏目漱石全集、再読スタート》
本の表紙ばかりが並んでいて、思わず笑ってしまう。
「これ、私のSNSなんだけどさ。この流れで“ベッドの2ショット”載せたら、バズると思わない?」
「やめとけ」
「だめかー」
そう言いながらインカメを起動する志帆。
俺は思わず彼女の身体をぐっと引き寄せ、レンズに顔を寄せた。
シャッターが切れた瞬間、画面に映ったのは――頬が触れ合う距離で笑い合う、どこからどう見ても“恋人”な一枚。
「……会心の一枚だね」
志帆が小さく息をのんで呟く。
「で、これにコメントつけるなら……何がいいと思う?」
「そうだな……“男、ゲットだぜ!”」
「アウトだぁ~~~!!」
志帆は枕に顔を埋めて、声を上げて笑った。
俺もつられて笑いながら、彼女の肩に額を寄せる。
笑い声と鼓動が混ざり合い、夜はひときわ甘く更けていった。
* * *
やがて最終日前夜がやってきた。
互いの部屋を行き来する“文化”がすっかり定着してしまった俺たちは、まるで付き合っているカップルのように、当たり前のように並んでいた。
「……ねえ」
「ん?」
「帰ったら……普通の大学生に戻るんだよね、私たち」
「そうだな」
窓の外に広がるシドニーの夜景を眺めながら、短く答える。
「少し、寂しいね」
「ああ。けどまあ……物語の終わりってのは、いつも寂しいもんだろ」
志帆はきょとんとした顔をして、それからイタズラっぽく笑った。
ぐっと顔を寄せてきて、唇を重ね――囁くように問いかけてくる。
「ね。この物語に名前をつけてみたんだけど」
「……どんな?」
窓から吹き込む風が潮の香りを運んでくる。
夜景に照らされた志帆の横顔を、きっと俺は一生忘れない。
「――『夏休み、文学少女とこっそりハメ外しました。』」
「なんで主人公が俺なんだよ」
「君の“女遊びシリーズ”の一冊だから?」
「シリーズ化すんなよ」
俺は言葉の代わりに志帆を抱きしめる。
何とも言えない気持ちに蓋をして、せめてこの夏の魔法が、もう少しだけ続くようにと願いながら。
* * *
そして、帰国から数ヶ月後――。
大学の学園祭で、友達づてに紹介された志帆は、ほんの一瞬だけ目を伏せてから、微笑んだ。
「……はじめまして。
あの夏のことなど、何ひとつ無かったように。
でも、あの夜を知っているのは俺と彼女だけだ。
「……人気が出ると、続刊が出るらしいな」
「え?」
「いや、なんでも」
口元を緩めて、俺も笑った。
「――こちらこそ、はじめまして。
夏休み、文学少女とこっそりハメ外しました。 五月雨恋 @samidareren
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