第5話 私は彼の婚約相手よ、仮のね

 鹿女しかめは主から再び三久みくの世話係としての命を受けてから、すぐさま彼女の後を追った。三久みくの位置は目を凝らさずとも彼女の妖力を視ればはっきりとわかる。むしろ見逃す方がむずかしい。


どうして、彼女が桃色の着物で目元を包帯で隠していることが特徴である、給仕係たちの休憩部屋にいるのかは疑問であったが、おそらく客室へ戻ろうとして道に迷ったであろうことだけはわかった。綺麗にみがかれた廊下を早歩きで通り抜けて休憩部屋へと向かう。そして、襖を手早く開けた途端に広がる光景をみて思った。彼女が自分抜きでは半日ともたないとは、我が王にしてはだいぶゆるい目測であるということ。


 三久みくは部屋を出たあと、鹿女しかめにつれられてきた道を辿って客室に帰ろうとしたが見事に迷った。人の行き交いが忙しく向けられる視線も好意的なものではないので、逃げるようにして進んでいたらわからなくなったのだ。彼女が廊下をとぼとぼと歩いていると、目元を包帯で隠した小柄な少女と大柄な少女に遭遇した。


「迷い子、発見。変顔」

「あら、それは大変ですわ。声をかけて私たちで保護しなきゃいけませんね」


 三久みくは微妙に芝居がかった二人の態度が気に入らなかったので、ふんとそっぽを向くと無視して歩き続けた。すると、なぜか体が浮いた。思わず気の抜けた声が出る。


「聴取」

「私たちの質問に答えるだけです。大人しくついてきてもらいますね」

「はやく、下へ降ろしなさいよ。後でどうなっても知らないんだから! 第一あなたたちに答えることな──」


 次の瞬間、ふわりと浮いた体は自分よりもあおきい体格の少女の元へと飛んでいく。彼女によってがっちりと雑に横抱きにされた後は、彼女たちの休憩部屋へとそのまま連れ込まれた。


 部屋にはたくさんの少女たちと同じ桃色の着物で目元を包帯で隠した女性たちがいたが、三久みくを助けようとするものは一人もいないどころか、みんなが三久みくへの聴取に協力的であった。取り囲むように三人の様子を見ているようだ。妖力を用いた念力によって体の自由を奪われた彼女に二人組は問いかける。


「何者? 大広間の謁見、主人と親し気」

「それもそうなんだけど、その奇妙な妖力と白髪……にしては。なんだかちんちくりんだよね。まさか他所からの客人だったり?」

「あのねぇ、二人で意見を合わせなさいよ。何が聞きたいのかさっぱり、私の方が聞きたいことだらけよ。まずは名前く──」

「主人、関係性」


 片言な言葉で問い詰めてくる方が小柄な少女。彼女は三久みくの方へさらに詰め寄る。自分と屋敷の主人すなわち華英かえいとの関係性。別に隠す必要もないと思った。早くそれを言って、連れ込まれたことをなかったことにしてあげる方が彼女たちのためにもなるはずだ。


「私は彼の婚約相手よ、仮のね」


 何か悪いことがあるかとでも言いたげに三久みくは自信満々に答えてみせた。しかし、何かまずい選択であることはすぐにわかった。そのひとことをきっかけに部屋の空気が変わったのを肌で感じたからだ。


とりまきらの包帯で隠れて見えないはずの眼の圧。向けられた視線が鋭く攻撃的になった。それでも三久みくは恐怖を表に出さないように必死にこらえた。あくまで自分は華英かえいの婚約相手候補だという毅然とした態度を装う。さきほどの巨漢の視線の方が恐ろしかったし、白大蛇の方がよほど恐ろしかった。それらに比べれば彼女らの嫉妬を多分に含んだ視線など可愛いものであった。


 ただ、休憩部屋には今にも妖力やら武力を用いた実力行使が行われそうな雰囲気がただよっているので、これから何をされるのかと身構えてはいたが、小柄な少女による妖力での拘束が急に解かれたので、思わず三久みくは倒れ込んだ。それと同時に襖が開け放たれると、部屋にいた女性たちが一斉に姿勢を低くして頭を深くさげた。部屋の真ん中で一人ぽつんとする彼女は起き上がると襖の方を向いた。視線の先には重そうな右側を庇うように小首を傾げる女性がいた。見知った顔に思わず顔は綻びをみせた。


三久みく様、方向音痴にもほどがありますよお。はやくこちらへ来てください。お化粧も大変なことになっていますので、すぐに客室へ行きますう」

「なぜ、私には名前も教えてくれなかったあなたのいうことを聞かなきゃならないわけ」


 三久みくは遅れてやってきた鹿女しかめに対して悪態をつきつつも、着実に彼女の元へと歩みを進めている。


わたくしめの名前など取るにたらないものですう。あれでもこれでもお好きに呼びになってください」

「そう。おかしいわね、華英かえいさんに名前を呼ばれたあなたはとても嬉しそうに見えたのだけど?」

「……それは、耳がいたいお話ですう。──それでは失礼します」


 彼女の元へゆっくりとした歩みでたどり着いた三久みくはやさしく姫抱きにされる。休憩部屋を後にする彼女に身を任せた。


鹿って、ずいぶんと偉い立場なのね。あなたが訪れたとき、あの子たち声すらあげなかったわ」


 鹿女しかめは目を見開いた。好きに呼べと自分で言ったものの、想像以上にくだけた呼びかたが彼女の口から飛び出してきたことに驚いたのである。ただ、わるい気はしなかったので、そのまま受けいれることにした。


「偉いなんてことは断じてありませんよお。この屋敷で偉いのが主のみだというのは、みなの共通見解。私めが三久みく様の世話役というのは、単に炊事や洗濯などができない間抜け者だからですう。給仕らが頭を下げたのも、私めの忌々しく穢らわしい姿が恐れられ嫌われているだけでしょう」


 鹿女しかめの人間離れした長身とおおきな頭上の物体を見れば、彼女が細やかな役割分担や狭い場所での作業が向かないことは一目瞭然であった。


「自己肯定感がおそろしく低いわね。結婚相手候補である、たいせつな私の側にいることを任されているわけだから、それだけ信頼されているってことよ」

「はあ。そんなこともないと思いますよお」


 腕の中できゃっきゃとはしゃぐ彼女は自分のことを褒めるのだが、主が自分を彼女の側においたのは信頼や位などといった曖昧なものではなく、一つの明確な理由があるように思えた。ただ、その理由はひどく憂鬱なものなのでできれば言いたくないし、主張する場面にも出会いたくないものであった。さいににらみつけられ、給仕役の彼女たちにいびられそうになったのにも関わらず、前向きな三久みくのことを見ていると、憂鬱な理由が発揮される場面は遠からず来るのだろうとも思う。


「あの子たち、罰せられたりしないわよね。鹿ちゃんってお屋敷の子たちの注意とか教育とかも担当しているわけ?」

「たんとう……。安心してくださいそういう類のものはありません。私たちは基本的には主の道具であり、与えられた役割を果たす手足になることが使命ですから。主のためになることをやる、主のためにならないことはやらない。それ以上も以下もございませんよお」

「なんだか熱いのか冷たいのかわからないわね」

「ですが……一つ申し上げるのであれば、この屋敷にいる女性はみな主の奥方様を常に狙っていることを念頭においた方がよろしいかと。私め以外」

「なにそれ! 華英かえいさんってどれほどの色男なの!」


 色男としてみているかどうかは鹿女しかめにはわからなかった。しかし、自分も含めてこの屋敷にいる者たち、忌み子として皆から虐げられてきた者らにとって華英かえいという存在がどれほど光であったか、彼という光をより強める一番の影になりたいかは自分も痛く苦しいほどにわかる。彼を一番に支える奥方様という立場が、自分にとって一番の影としての価値を見出したのなら自分だって。いや、それだけはないのでしょう。


 ぼんやりしながら進んでいると、客室までたどり着いた。気がつくと腕の中の少女は寝息を立てていたので、そっと寝台へとおろす。


「私めは三久みく様を応援しておりますので、どうかこのまま主の元へ送り届けてもいいのですが。あなた様はそれを許さないでしょうねえ」


 まだ、三久みくと関わって間もないが彼女は主にも自分にもそれ以外にも、なにか新しい風を吹き込んでくれるのだという予感がする。彼女に自分がおそろしいかを尋ねたときの返答も、態度も、謝罪も、全てが頭にべったりと張りついている。あのとき、自分が主に感じた光と似たものを彼女から感じてしまったのだから、それはそれは仕方がないことなのだろう。


 鹿女しかめは小首をかしげると、彼女が次に目覚めたときに、ことが上手くいくよう準備に取りかかるのであった。まずは自分にもつくれる握り飯でも用意しようかと客室を後にした。

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身寄りなき乙女の秘密の契約 シンシア @syndy_ataru

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