第4話 そうだ、結婚しよう

 三久みくが屋敷の異形の民から熱線を向けられた理由は、彼女の妖を引き寄せる体質が影響していたのであった。


「屋敷にいるほとんどの者たちが異形の民だからね。体の半分ぐらいかそれ以上が妖といえる皆の眼には、君がひときわ光って視えるのだろうね」

「……光って見える」


 三久みくは自分の手をにぎってはひらいてを繰り返す。


「いやいや、光って視えるっていうのは例えなんだ。実際には──」

「わ、わかってるわよ!」

「ふふ」


 顔を赤くする彼女に、猪頭は被り物の中で静かに笑みをつくる。それから、掌で炎をつくりだす。緑色で温かそうに揺らめく炎は熱を発しているわけではなかった。


「この炎は妖力という妖の力を可視化したもの。君の体質は体外へ勝手に溢れ出している妖力が呼び水になることで引き起こるものってことね。妖たちは君の妖力が欲しくてたまらないんだ」

「よう、りょくが欲しい……」


 三久みくは頭の中で男の言葉を反芻する。いつの間にか妖が自身に寄り付くようになり、それを利用して家は富や名声を獲得してきた。自分が誰かに必要とされ、家長である父にも町で暮らすみんなにも喜ばれる。誇らしいことであったが、その得体のしれない力を過信した結果が昨夜の大惨事であり、自分の大切なものを全て失うことになった。妖力は人間も妖も欲しがるもの。そんなものを自分が持っていたから惨事は起こってしまったということだ。彼女は途端に胸が締めつけられるような感覚に襲われる。


「……私がいたらあなたも。ここにいる人たちもみんな不幸になるわ」

「ならないよ。僕もみんなも君だって、この国の誰一人だって不幸になんてならないさ」

「どうして、そんな大それたことが言えるわけ? とても恐ろしい蛇が私のことを攫いにきて! 私の故郷も家族も一瞬のうちに全部奪ってったのよ! あんなの誰だって倒せっこないわ!」


 栓がとれたみたいに言葉があふれだした。昨夜のあいまいな記憶がおぼろげなまま断片的によみがえってくる。誰かに助けられたから、この屋敷にいるという状況よりも、漠然としたおおきな恐怖とこれからの人生の孤独さだけが胸のうちを埋めつくす。


 猪頭は小さく体をおりたたむ彼女を悲しげに見つめる。彼女の境遇に対する憐れみか、これから持ち掛けるはずだった交渉ができないことを悟ったからか。だが、彼女のことをこのまま「はい、そうですか」と突き放せるほど冷めた男ではなかった。


「──空木うつぎ 華英かえい。君は?」

「は? なんで今名乗らなきゃいけないのよ」

「いいから。名前は大切なものでしょ」

「……三久みくよ」

「素敵な名前だ」

 

 三久みくは優しい声色に驚いて、吸い寄せられるように顔をあげた。すると、すぐ近くに立膝をつく猪頭の姿があった。


「家名は」

「嫌味なの? もう私しかいないのよ。私ね本当なら今日はとっても優し……殿方の元へ嫁ぐ予定だったんだから!」

「そっか、それじゃあ責任を取るってことで──」


 華英かえい三久みくへ一歩ばかりにじり寄る。表情の変化を感じさせないつくりものの顔が彼女の顔に迫る。それでも、三久みくの胸は不思議と高鳴った。そのまま華英かえいは彼女の右手を優しく取る。


「──僕と結婚しよう」


 プロポーズは突然に。猪頭から突然に。


「ば、ばかじゃないの。私はいま傷心中なの。すぐにはそんな気分にはなれないわ!」

「だよね」

「そうよ。その……気持ちは嬉しいけど、自分でもう一度町に戻ってからじゃないと……」

「帰さないよ」


 華英かえいの声色が暗く、ひときわ低くなる。思わず三久みくは後ずさりしようと試みたが握られた手に力を込められて、その場から動くことができなかった。


「ここがどこの国だかわかる?」

「どこって水の国でしょ。冗談はやめてよ」


 彼女は威勢の良い態度をとったものの、次に彼から告げられることが自分にとって不都合なものであるような気がした。客人のような扱いのせいで雲隠れだったこの場所について。


「ここはだ。水の国とは隣同士で敵同士。帰る方法なんてあると思う?」


 あるわけがなかった。まさか一夜のうちにはるか遠くの隣国へ移動していたなんて信じられる話ではない。こうなると本当に一夜明けただけだという確証もない。だが、彼が嘘をついているようには到底思えないし、自分がどんな立場であるのかをようやく理解できた。


「私が捕虜だから結婚を飲めですって! そんなの絶対に認めないわ! いまここで命が終わったって構わない。兄様たちとこんなにも早い再開になってしまうのは申し訳ないけれど、きっとわかってくれるはずだもの!」


 心と体は反対に動く。頭でわかっていても体がいうことをきかない。絶対に勝てない相手だからといって降伏するなんて、誰よりも立派な兄たちの妹として絶対に許せないことであった。三久みくは手を思いっきり振り解くと立ち上がり、猪頭をにらみつけた。華英かえいはそんな様子の彼女を下からしばらく見上げていると、「ふふっ」と小さく笑い声をあげた。


「なによ。なにもおかしなことは言っていないわ。煮るなり焼くなり好きにしてちょうだい。妖の群れに投げ込むでもいいわ! ふん!」


 華英かえいは、目をつむりながらそっぽを向いては、鼻を鳴らしている彼女を見て、自分の身を挺して守り抜いた彼女の兄の姿を思い出した。おそらく彼も同じように、彼女の底抜けな強がりを愛らしく思っていたに違いない。


自分がもう少し早く「蛇山」へ辿り着いていれば彼のことも、自分がもっと早く町へ辿り着いていれば彼女の家族のことも守れたはずなのだ。そうすれば、きっと彼女は今頃、例の婚約者とやらと一緒に幸せにのどかに暮らしていたはずなのだ。だが、その未来は自分にとってはとても都合が悪いことで、選択肢からこぼれ落ちた過去の話だ。自分には過去のことを苦心する時間も猶予も残されてはいない。したがって彼がとるべき行動は一つであった。


「契約結婚っていうのはどうかな」

「けいやく……」

「そう。君が僕の結婚相手になる代わりに、君の安全を僕が保証する。君が望むのなら、僕の望みを十分に叶えてくれた暁には水の国へだって、どこへだって帰すと約束する」

「ずいぶんと私に利がありすぎる条件のような気がするけれどいいの? それに、水の国に帰れるってどういうことよ、方法なんてあるわけが……」

「僕は火の国の時期王様候補だよ、三番目のね」

「ええぇ!」


 三久みくは信じられなかった。ふざけた猪頭のかぶりものをしている男があの火の国の第三王子だというのだ。確かに言われてみれば燃えるような赤色の髪がかぶりものからはみだしてはいるが、自分に対する言動や態度が想像する火の国の苛烈な雰囲気とはかけ離れているからだ。


「出す条件は二つ。僕の結婚相手として僕に最大限協力すること。それと大事なのが二つ目、僕の秘密を絶対に外部へ漏らさないこと。外部っていうのはここにいる皆も含まれているから」

「秘密っていうのは?」

「それは後々わかると思うから。今は」


 華英かえいはかぶりものの口に人差し指を持ってくる。表情こそわからないが、この動作からは彼の確かな覚悟を三久みくは感じた。


 ──契約結婚。


 そう言われて想像したものよりずっと条件は緩いと感じた。彼に最大限協力することも、秘密を守ることだって、結婚相手としては当然のことである。むしろ敵国に身寄りがない自分が明日を生きるためには、最大級に幸福な選択肢であった。言葉で反抗をしたものの本当に死にたいわけではなかった。兄に助けられた命で誰かの助けになれるのであればそれは立派なことだ。現状水の国に帰るにはそれこそ火の国の王様にでも頼まなければ無理な話ではある。つまり……。


 三久みくは何度か深呼吸をすると、華英かえいに向き直った。


「わかったわ。私、あなた……」

「まずはお試し期間ということで、この屋敷で生活をしてみてよ」

「もーう! あなた、人の決意をなんだと思って! いいわ、絶対にあなたの信用を勝ち取ってみせる。そのかぶりものの下を絶対に拝んで、あなたの方から結婚したいって言わせてやるんだから!」


 三久みくは腕をぶんぶんとさせながら必死に宣言した。そんな彼女の様子に苦笑いの彼は彼女をよそに話を進め始める。


「う、うん。じゃあ身の回りのことは鹿女しかめが引き受けるからよろしくね。──そこにいるんだろ、姿を現すことを許可する」

「はい、我が王に醜体を晒すことをお許しください」


 襖が開け放たれると、華英かえいの元に三久みくの支度をした長身の女が飛んできた。彼女は華英かえいの側で小首を傾げながら跪く。


「そんなことないよ、今日も綺麗だよ」

「……我が王。この身に余るお言葉、光栄でございますう」

「なに? お試し期間だからって私よりも他の女性のことを褒めるわけね!」


 三久みくは強気な言動とは裏腹に綺麗なお辞儀をすると、部屋を後にした。


鹿女しかめ、次の返答だけは無礼を許す。僕は上手くプロポーズできたと思うか」

「は! 我が王にしては上出来だったと思いますう。素直に三久みく様の力になりたいから、変わりに力を貸してほしいと仰ればいいでしょうに。我が王は三久みく様に相当お熱なように見受けら──」

「本当に無礼をする奴がいるか、お前は口が多い。それより早く彼女を追いかけろ。この屋敷に一人では半日ともたないだろう」

「承知」


 鹿女しかめは素早く立ち上がると深々頭を下げて、ぴゅんと姿を消した。


 華英かえいは一人残された部屋で自身の胸に手を当てる。鼓動はいつもよりも少しばかり早く高鳴っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る