お道化

白川津 中々

◾️

 和子から五千円、「お酒は飲まないでね」と言われ渡されたものだから、私は公園裏にある定食屋へ行き、お豆腐と煮付けと、それから燗をつけてもらいました。


 別にお酒が飲みたいわけではありません。ただ、酔いたい。女の金で生きていかなくてはならない自分が、そうであっても仕事ができない自分が嫌で、酔うしかないのです。額に汗して日々の労働に励み、日当をもらって、そのお金でビールを買って飲み、母子に「今日はどうだったかね」と気を遣った声をかけるような、そんな人間に生まれたくありました。しかしながらどうにも心身軟弱であり、一般的な生き方ができないのです。


「また女の金で酒を飲んでるのか」


 聞こえてきたがなり声は、隣に座っている男でした。

 彼とはよくこのお店で合うのですが、つい口を滑らせてしまい私の素性を明かしてしまって、それからは顔を合わせる度にこうして揶揄ってくるのでした。


「いい身分じゃないか。俺なんてものは、そんな生き方とてもできやしない」


 私は彼の言葉に何も言えません。至極、当然の罵倒だからです。


 けれども彼は私の内心を、働けず、世話を受けて生き、酔わずにはいられない辛苦を知らずに、私の表面だけ切り取って「不労者」の烙印を押し付けて嘲笑するのです。私だってあなたのように健康であれば毎日でも働きに出て、それで得たお金で和子に服でも仕立てて、それで街を歩き、レストランで食事をするくらいの甲斐性を見せるというのに。少なくとも私ならこんな場末の酒場で自分よりも劣っている人間を肴にして「お前は駄目だ」などと当たり前の文句を吐いたりは絶対にしないでしょう。

 とはいえ、それを口にできるような立場でない事は、よく存じております。私には、黙って愛想笑いを浮かべる以外の所作は許されていません。


「ま、働きたくなったらいつでも言いなよ。何処か、口くらいきいてやるから」


 彼はその言葉を最後に勢いよくビールを煽り、それからお茶漬けを流して店を出て行きました。私ももう一献いただいてから、彼とばったり出くわさぬよう慎重に和子の部屋へ帰りました。


「あ、飲んできたんだ」


 部屋に入ると、和子がそう言って出迎えてくれました。私はつい情けなく、年甲斐もなく涙を流して、彼女に抱きつきました。


「どうしたの」


「駄目なんだ僕は、まったく」


 そう呟くと、和子の柔らかい指が、私の髪を撫でました。


「あなたは、それでいいから」


 それでいい。

 その言葉の中には、諦めの他、愛玩の意味も含まれていたでしょう。

 ただ、私は酔ってしまっていたから、そんなものに気付かないふりをして、「君がいないと僕は駄目なんだ」と、あたかも彼女が好みそうな台詞を吐いたのです。そうしなければ、私は路頭に迷っている凍え死んでしまうのだから。


 私はもう、すっかり酔ってしまわなくては、生きていけないのです。お道化を演じるにも、何をするにも……

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