第5話 人形たちよ、どうか幸せな夢を.5

 ドラゴンの気まぐれで起きた大事件。あれから、一週間ほどが経った。


 結論から言うと、私は役人たちからこっぴどく叱られた。理由は言わずもがな、避難勧告を完全に無視して勝手な救助活動、並びに消火活動を行ったからだ。


 今振り返っても、どうして自分があんなだいそれた真似をしてしまったのか、説明がつかない。あえて言葉にするのであれば…思い込み、だろうか?


 ともあれ、そんな理屈を役人が聞き入れてくれるはずもなく…彼らの叱責は、およそ一時間に渡り続いた。


 そして今日、再び役人たちがやって来る。大事な人形の半分以上を失い、死を覚悟させられるほどの想いをしてまで守った、この人形屋に。


 私はできるだけいつもと同じように一日を過ごそうと思って、人形やぬいぐるみを編んでいた。


 指先から流し込む魔力は、一週間前の自分がするよりもずっと深く、縫い目の奥へと浸透し、彼らの胸の中心に火を灯す。


 世界誕生の光に包まれた人形は楽しそうにはしゃぎながら、自分に名前を付けてほしい、と祈った。だが私は、苦笑しながら、それをするのは私ではないよ、と伝えた。買い手が現れたとき、真の意味で彼がこの世に生まれ出ずることができるよう、名前はつけないと決めていた。


 やがて、お店の扉が叩かれた。返事をすれば、ベルの音と共に役人と――それから、カミラやその父が入ってきた。


「おはようございます」と私は深く頭を下げる。そうすれば、役人たちも深く頭を下げる。カミラたちもそれに続いた。


「開店前からすまないね、グレイジャー・ステイリーさん」


 先頭の老紳士が柔和な笑みと共にそう語りかけてくる。私は彼を知っていた。彼は何を隠そう、この市の市長だ。


「いいえ、市長自らご足労頂きまして、大変光栄でございます」


 三日前から用意していた言葉をゆっくりと頭の中で反芻しながら、口に出す。それでも声はやはり震えた。


 こういうのは、苦手だ。


「いや、なに。君は数多くの市民を救い、建物を火災から守った小さな英雄だ。君を表彰せずに誰を表彰するというのだろう」


 芝居がかったふうに両手を広げる市長に、心の中では、『天城さんとか、ですかね』と返す。無論、そこまでの勇気は持ち合わせていないから、私は市長の遠慮がちな抱擁を受けて、市民勲章を受け取った。


「ありがたく頂戴します」


「うむ。君の勇気に敬意を表するよ」


 長居するつもりはないらしい市長のありきたりな感謝の言葉を頂戴した私は、彼らが出て行ってもなお、店に残り続けるカミラとその父へ視線を投げる。


 カミラはどこかツンとした面持ちで私を睨んでいたのだが、ややあって、父親に小声で何かを伝えた。


 彼女のお父さんは少し驚いている様子だったが、たいした時間も置かず頷くと、私に目礼してからお店の外に出て行った。


(一体、何をしに来たんだろう)


 本当にカミラの父は何もせず帰っていった。だが、もちろんカミラ自身は違う。


「……良かったわね」


 ぼそり、とそっぽを向いてぼやくカミラ。未だがらがらに空いている商品棚を見て嫌味を言っているのかと思い、私は彼女を見る眼差しを険しくした。


「何が?」


「何が、って…」


 意地の悪い態度を覚悟していた私に対し、カミラはどこかバツが悪そうだった。


「怪我がなくてよ」


「え?」予想だにしない言葉に私は目を丸くする。「誰に?」


 こちらの的外れな応答を耳にしたカミラはすぐに顔を歪めた。心なしか顔が紅潮しているが、苛立ちによるものだと私は自然と判断した。


「あんた、なんでこんなことも分からないの?――あんたによ!あんた!グレイジャー・ステイリー!」


 私がカミラの言葉を理解し終える前に、突然、彼女が私を抱きしめる。


 その力の強さといったらなかったのだが、後々考えれば、彼女なりの照れ臭さがそこから感じ取れたのかもしれない。とはいえ、そのときの私は、嫌味な昔馴染みの突拍子もない行動に面食らうばかりだった。


「助けてくれて、ありがと、グレイジャー」


 ちゅっ、とわけの分からないタイミングで頬に触れるだけの口づけを落とされる。挨拶のタイミングではないし、そもそも私とカミラはそういう親しい挨拶が必要な間柄ではないから、ますます意味が分からない。


 カミラは私から身を離すと、混乱を隠せない私に対し、安心したような、残念がるような顔を向けてきたのだが、そのうち、片眉をひそめて苛立ちを露わにするとこう告げた。


「感謝しなさい。お馬鹿なグレイジャーのために、パパにお願いしてあげたわ。『消火活動から救助活動まで、なんでもござれの町の英雄たち』を売り出してあげてって」


「え、ほ、本当?」


 カミラの父が私が作った人形を売り出してくれるなら心強い。きっと、売り上げは今の倍以上に伸びるだろう。


「ま、まぁ?売れるならなんでも利用するのが商人だから?」


 私はカミラの言葉を無視してぺこり、と頭を下げる。


「ありがとう、カミラ」


「べ、別に、あんたのためじゃないわよ!お金のためよ、お金!」


「え…?さっきと言ってることが違う――」


「うるさいわねっ!いいのよ!」


 カミラは不機嫌そうに顔をしかめると、私の呼びかけを無視してお店から出て行った。


 私はカミラにキスされた頬になんとなく触れながら、年々性格がねじ曲がり、意志疎通が難しくなっていく昔馴染みに小首を傾げるのだった。




 表彰を受けた次の日から、お店は嘘みたいに忙しくなった。だから、表の看板を『クローズ』に変えてカウンターでコーヒーを飲んでいる中で出入り口のベルが鳴ったとき、本音を言うと、勘弁してくれ、と思った。


 しかし、ドアの隙間から覗いた顔は、私がここ最近、ずうっと待ち望んでいた顔だったから、ぱぁっと私の表情が明るくなった。


「天城さん!」


「よぉ、グレイジャー。二週間ぶりだな」


 天城は染めているらしい金髪を左右に揺らすと、中に入ってもいいか、と尋ねてきた。無論、私は大歓迎で彼女を通した。


 天城とは、あの事件の日以降、顔を合わせていなかった。聞いた話では、また管理官の命令を無視して行動していた天城を追い回す役人たちから逃げおおせていたらしかった。


「天城、久しぶり!」とオリバーも楽しそうに彼女へ飛びつく。


「おう。元気だな、英雄」


「へへ、てれるなぁ」


 オリバーが天城の胸のふくらみに飛びついたとき、なんだかとても悪いことをしているような気がしたが、それを咎めるより先に彼女が口を開いた。


「初めて会ったときとは、まるで別人だな」


 最初、私は天城の言った言葉は、半分ほど焦げ目がついたオリバーに向けられたものだと思った。彼女の少し寂しそうな眼差しが、オリバーに注がれていたからだ。


 だが、すぐにそうではないことが分かった。顔を上げた天城は、あまりに真っすぐに私を見据えていたのだ。


「いい面してる。自信のある人間の面だ」


「そ、そうですか?」


 急に褒められて照れ臭くなった私は、赤面をごまかすみたいに軽く笑ったのだが、天城は一貫して真面目な顔で続ける。


「ああ、お前はもう、自分のことを自分で決められる」


 すっと、天城の手が私の頭に乗せられる。その思っていた以上に大きな手が、私の髪を何度も撫でたとき、全身に鳥肌が立った。


 ぞくぞくとする感覚。悪寒ではない。嫌なわけがない。むしろ、嬉しかった。彼女に褒められて、充足を感じていた。


「あ、ありがとう…ございます」


「ははっ、ずっと思ってたがよぉ、なんで敬語なんだ?グレイジャーは私より年上なんだよな?」


「え、あ…」


「普通に話してくれよ。私が偉そうに見えんだろ」


「…は、い。あ、いや、うん…」


 気軽に返事をするだけなのに、私の心は踊る。天城との関係性が近づいた気がして、多幸感を覚えた。


 天城は不慣れな様子の私に、「まぁ、おいおいでいいよ」とシニカルに微笑むと、そっと乗せていた手を離した。


 その名残惜しさから、私は寂しさを覚える。それで、こんなことを尋ねたのだ。


「あの、今頃になってあれなんです――なんだけど、天城さ――天城は、どうして、人形を買うわけでもないのに私の店に来たの?」


「あ?あー…」


 天城は目を丸くしたかと、どこか遠くを見るような目をして窓の外へと視線を移した。その郷愁を思わせる態度から、聞かなければよかっただろうか、と私が後悔しかけているところで天城が口を開いた。


「たいしたことじゃねぇ。向こうにいたときの癖みたいなもんだ」


「向こう?癖?」


「あぁ。元の世界にいたときのことだよ」


「へー…」


 私は曖昧な呟きを漏らしながら、天城の整った横顔を見つめる。


 正直に言って、興味があった。だけど、深入りされたくない話題であるならば、そうするべきじゃないことも分かっていた。


 すると、私の逡巡もよそに――あぁ、いや、きっと私の逡巡が反映された結果だろう。未だに天城の体にぶら下がっていたオリバーが躊躇なく尋ねる。


「ねぇねぇ、癖ってなぁに?」


「ちょっと、オリバー!失礼でしょ」


 天城は叱られているオリバーを笑って撫でると、「構わねぇよ」とフォローしたうえで、「つまんねぇ話になるが、聞くか?」と前髪を払った。


 もしかすると、私の内心など透けて見えたのかもしれない。もうここまできたら、と私は素直に天城の提案に乗った。


 天城はカウンターにオリバーを戻すと、椅子を引き、私に自分の隣にかけるよう促した。どちらが店主か分からないやり取りだが、嬉しさが勝った。


「よく妹に買って来てたんだよ。向こうにいた頃にな」


「妹がいたの?」


「ああ。いつもベッドの上で退屈そうだった妹に、私なりに、姉らしいことを少しはしてやろうと思ってな」


「そう、なんだ…。それは、その、心配?だよね」


 なんて言ってあげればいいのかも分からなかったから、当たり障りのない言葉しか口にできない。そんな自分が情けない。


 天城はこちらに気を遣わせないためか、やけに明るい表情を浮かべて口を開く。


「大丈夫だよ。あいつは私と違って出来がよかった。私がいなくなっても、さぞ家族に可愛がられるだろうさ」


 その言葉には、表情とは裏腹の物悲しさが隠れてしまっているような気がして、私はきゅっと胸の前で手を重ね、彼女の心寂しさに勝手な同情を覚えた。その一方で、私は酷く自分勝手な考えに支配されて不安も覚えた。


 その考えというのが、妹への贈り物を用意する必要のなくなった天城は、そのうち、この人形屋を訪れなくなるのではないか、というものだった。


 それは嫌だった。絶対に。


「お、お店、来なくなったり、しないよね」


 だからだろう。私はそんなことを口走っていた。


「あ?なんで、んなことを…」


 天城は一瞬、私がどうしてそんなことを口にしたかを理解できなかったようだが、ややあって、ニヤリと頬を緩めると、首を傾げてこう尋ねる。


「――グレイジャー、お前はどうしてほしいんだ?」


 その問いに、私はかあっと赤面する。こちらの気持ちが透けて見えているだろうことくらい、予測できたからである。


「え、えぇ…私は…」


 言いたいこと、言えないこと。たくさんある。まだ上手く言語化できていない気持ちだって…。


 でも…。


 それでも、行動すること、変わろうとすることが大事だって、この人から学んだから。


 私は、下から覗き上げるようにして天城を見つめる。勘違いとは思うが、彼女の頬も赤らんでいるような気がした。


「――…天城には、私に会いに来てほしい、かなぁ」


 なんだか、恥ずかしいことを言った気がすると気付いたのは、天城が目を丸くしてから、その赤くなった顔を自分の手で覆い、黙り込んでからだった。

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