なぜ私は異世界転生ものが書けないのか

伽墨

ファンタジーの設定に引っかかり続ける愚かさについて

 私には異世界転生ものが一生書くことができないだろう。それはいつからか私にかけられている呪いのようなものが大きく作用しているからだ。


 私にかけられている呪いとは、以下のようなものである。

「異世界に転生したのに、何で主人公は何の不自由もなく言語を介したやりとりができるのか。」

「異世界ならば異世界の言語があるはずであり、そこをすっ飛ばして物語が進んでいくことに強い違和感を覚える。」

「言語は文化に根ざして形作られるもの。では、全くの異文化である異世界において、なぜ日本語や英語などが通じることになっているのか。」

 とどのつまり、ファンタジー作品とはいえ、現実世界に根ざした「整合性」が取れるようになっていてくれという空気の読めなさ、それこそが私にかかっている呪いの正体である。これは非常に厄介な呪いだ。気軽に異世界に転生できないどころか、「私の解する言語の上でのみストーリーを描くことが許される」という呪いであり、これは「もうお前は小説を書くのを諦めろ」ともう一人の自分に宣告されているようなものなのである。


 というわけで、私は異世界転生ものを書くことができないのみならず、異世界転生ものを読んでも「それで、言語はどうなってるの」という意味不明なポイントに引っかかり続け、物語が頭に入ってこないのである。そして異世界転生ものを書こうとすると、私の頭の中では「J.R.R.トールキンぐらいに細かく練られた設定」が必須になってしまう。J.R.R.トールキンとはファンタジー小説の金字塔である『指輪物語』の作者だ。一般的には、大ヒット映画『ロード・オブ・ザ・リング』のほうが有名だろうか。ちなみに、トールキンはフィクションのために言語を創造したのではなく、創造した言語にふさわしい物語を後から書いたのだ、という逸話まである。つまりトールキンにとっては言語こそが世界の基礎であったとも言えよう。言語に関する問題を曖昧にしたまま冒険譚を進めることに違和感を覚える私にとって、指輪物語の存在は非常に大きい。

 だから私が異世界を書こうとすると、まず「この世界には何語が存在するか」から始まる。語順はSVOなのかSOVなのか、母音は五つか七つか、敬語体系はあるのか、外来語はどう取り込まれているのか。辞書を作り、音韻表を整え、文法を整備する。結果、物語は一行も進まず、私は異世界の言語学者として机に向かい続けることになる。何なら私は言語学を専門的に学んだことがないので、中途半端な「設定」しか作ることができないなとやる前から諦めているのである。笑えるだろう。


 そして私にかけられた「呪い」は言語に留まらない。次に気になるのは文明全般である。言語があるなら文化があり、文化があるなら食生活がある。異世界のパンは小麦粉から作られるのか?もし小麦がないなら代替は何か?ワインは発酵技術を前提とするが、その技術はどの民族が最初に発明したのか?主人公が「うまい!」と叫ぶ前に、私はその背景にある農業史と交易路を整えねばならない。

 交通やトイレ事情も同じだ。石畳の道路は誰が敷いたのか?馬車の車輪は鉄製か木製か?城の下水道は機能しているのか?これを曖昧にしたまま「勇者、旅立つ」と書いた瞬間、私の心の中で「その旅は衛生的に可能なのか?」という疑問が反乱を起こしてしまう。

 かくして私は、言語から文明へ、文明から制度へと次々に調査を拡大してしまう。気がつけば「異世界転生小説を書く」つもりが、「異世界文明論集」を書いているのだ。主人公はどこへ行ったのか?転生は?冒険は?──そんなものは序章の前に、私のノートの片隅に押しやられてしまう。


 要するに、私にとって異世界転生とは「小説の始まり」ではなく「終わりなき脱線の始まり」なのだ。だから私は一生、異世界転生ものを書くことができない。……いや、待てよ。もし書けるとしたらこうだ。異世界に転生した主人公が、物語を一行も進められず、永遠に語学書と民族誌とインフラ整備計画を執筆し続ける──そんな異世界転生小説なら。読者は誰ひとりついてこないだろうが、少なくとも私は満足できる。そう考えると、私が書くべきジャンルは「異世界転生」ではなく「異世界研究紀行」なのかもしれない。そしてそんなジャンルは、誰も興味がないのである。私でさえ。

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