貴女を殺したい。

春斗瀬



 駅前の雑踏の中、私はひとり足を止めた。見上げた夜空が余りにも曇っていたから、墜ちてくる星の欠片すら見逃してしまいそうだと思って。




 記憶にあるのは愛憎だった。

 鈍く光る愛情と、鋭く暗い憎しみ。


 それは海のようでも、青空のようでもあった。溶け合った境界線に滲む、詳らかな必然の結末。私はもう、どちらが海でどちらが空なのか、分からない。




 貴女と出会う前の私は、渇望に揺れていた。蜃気楼ミラージュか、あるいは幽鬼レヴナントか。自分自身の輪郭も曖昧で、この世界に実在しているのか確信が持てないほどだった。現実との遊離はすなわち、魂の遊離と言えるものであって、それ故に私は生きることに空疎な感情ばかりを抱えていた。決して無感情になれないところが殊更苦しくて、一分一秒ごとに地獄へ進んでいる感覚に苛まれていた。


 そこへ貴女はやって来た。何の前触れもなく。


 白く透き通った陶磁のような肌、磨かれた瑪瑙のような黒い瞳、肩の辺りで綺麗に切り揃えられた漆のような髪、薄く紅を引いた薄桃色の唇——貴女という存在を構成する全てが、まるで初めから私の為だけに編み上げられているのではないかと錯覚するほど、理想を形にしたその姿に、私の心はいとも簡単に堕ちていった。


 私と貴女は、確かに惹かれ合っていた。互いの間に引力があるように、何もかもが順調に進んでいた。愛情の矢印は互いにだけ向かっていた。ただ……向かい合っていたのは、それだけじゃなかった。




 貴女を愛していた。けれどそれと同じくらい、貴女を憎んでいた。

 殺してしまいたかった。

 そうだ。私は貴女を殺したかった。




 そしてその感情を持ったのは、私だけではなかった。いま思えば、貴女も私のことを殺したがっていたのだと分かる。あの鋭利な刃先を突き立てるかのような瞳の奥。薄暗い曇り空に紛れて、貴女は確かに殺意を向けてきた。


 幾度も触れ合い、幾度も口付けを交わし、幾度も身体を重ねて、それでも——いや、だからこそ。殺意はより鋭く、重たいものへと変わっていった。


 あぁ、貴女を愛している。愛しているから、殺してしまいたい。何も、自分だけのものにするためだとか、貴女を殺して私も死ぬだとか、そういう話じゃない。ただ純粋に、愛していたから殺したかった。私の——私たちの愛情は、殺意という形でしか表現されない、悲しいエンドロールが待っている映画コメディのようだった。


 私は憶えている。あの肌の白さを。

 私は憶えている。歯を突き立てた時の感触を。

 私は憶えている。「愛してる」と囁いた時の貴女の愉悦の表情を。


 だから私は、今でも探している。

 貴女を、今でも探している。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

貴女を殺したい。 春斗瀬 @haruse_4090

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ