カンカンカンカンと足音が反響する。

 女は人目を避けて逃げて逃げて、気付けば下水道に来ていた。

 そのままへたり込む。

 帝都の華やいだ光が強ければ強いほど、闇は暗く救いのないものとなっていく。

 帝都は富裕層や長屋に転がり込むことのできた貧民には優しいが、それ以外にはとことん冷たい。

 女は帝都に連れられ、ほとんど身売り同然で料亭で働いていた。料亭で働くというと聞こえがいいが、料亭にやってくる男たちを相手に商売をしなければならなかった。

 行くところなどない。帰るあてなどない。結局女は料亭で働くこと以外、なにもできなかったのである。

 女が世を儚みながら働いている中、料亭で相手をしていた客から求婚された。それを周りは止めた。


「あの男は辞めておいたほうがいい。あれはろくでなしだ」

「あの男は辞めておいたほうがいい。どこそこの店で出禁を食らうほどに守らない約束ばかり繰り返す男だ。あれは信じるほうが馬鹿を見る。やめておいたほうがいい」


 料亭で働く女たちは口酸っぱく女に対して訴えたものの、女はくたびれていた。ここいらで足を洗いたくてしょうがなく、料亭を辞める口実を探していたのだ。

 ああ、やっと辞められる。誰の話も耳を貸さず、喜び勇んで料亭を辞めたが。客は唐突に姿を消してしまった。

 なんでも客は女がいつになったら求婚してくれるのだろうかと擦り寄ったことで嫌気が差し、彼女を料亭から追い出す口実を探していたらしい。

 男と女は布団の中での会話は一切信じてはいけないと言うが、恋の病に冒されたものはそんな忠告に耳を貸すことはまずない。

 あの客の話も耳を貸してはいけない類いのものだった。

 料亭を辞めてしまった以上、次の仕事を探さなければならないが、なかなか上手く仕事に就けなかった。

 料亭の女中と言うと、嫌な顔をされて住み込みの仕事はなかなかできず、女工を雇ってくれそうな町工場に入って働きはじめたが、そこは女中仕事以上に過酷な場であり、食事も粗末で体が痛くて眠ることも困難だ。このままでは死んでしまう。

 とうとう女は逃げ出した。

 女は浅はかで考えなしだったが、世の中からなかったことにされるほどの悪事も働いてはいなかった。ただ、運が悪かっただけだ。

 行くところもない。金もない。明日への展望もない。

もうどうでもいいから、死のうか。死にたくないから逃げ出したはずなのに、もう女はその矛盾に気付かない。

 ひとり今後について試案していたところで、【毒注意】と書かれた瓶がプカプカと流れてきたことに気付いた。

自暴自棄になっている彼女は、躊躇いなく下水に手を伸ばすと、ぬるついた水からその瓶を掬い上げた。

 たしかにその水は禍々しい血のような色をしており、毒だろうと思った。

 女は疲れていた。もう終わらせたいと思って、その瓶の蓋を開けて毒を呷ろうとした、そのときだった。


「力が必要かい?」


 どこからか、低い声がした。


【了】

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帝都地下鉄警備隊 石田空 @soraisida

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