終章
一
バサリ……と鳩が飛ばされる。
歓声が飛び交い、カシャリカシャリとカメラのシャッター音が響き渡る。
日本初の地下鉄開通のオープニングセレモニーは、それはそれは派手に行われたのだ。
鉄道会社の社長や政府高官たちが集まり、テープを切る。
どこから呼んできたのか吹奏楽のプロたちの生演奏が広がり、それを帝都の人々は歓声を上げて見ている。
「皆々様どうぞご覧くださいませ。これが日本初帝都初の地下鉄になります。こちら着工から一〇年経ち、紆余曲折を経ましたが……」
ラジオ局のアナウンサーが朗々と声を上げ、新聞社の記者たちのシャッター音が響く。
その華々しい光景を、九郎は冷めきった顔で警備列で警備をしながら眺めていた。
普段着ている地下鉄警備隊の詰め襟ではなく、鉄道警備隊の詰め襟を着て、地下鉄工事の現状をなにも知らない鉄道警備隊員たちと混ざって、オープニングセレモニーの警備を行っていたのだ。
地下鉄警備隊は、先日完成した際、長い間作業に従事してくれた作業員たちと一緒に合同葬儀を執り行ったところであった。
この場にいる鉄道会社の上層部も、政府高官も誰も参列しないものだった。
表立っては「新聞社に勘付かれたくない」「影狼について報道されたくない」という名目あっての不参加だったのだろうが。
九郎はそこに参列しながら、作業員や地下鉄警備隊員の遺族たちを見ていた。
残された遺族たちは全員くたびれて背中を丸め、しくしく泣いていた。その背中は悲壮感を漂わせながらも、怒りをないまぜにしているのが見て取れた。
彼らは合同葬儀をされたし、遺族年金がもらえるはずだが。
九郎は知っている。影狼との戦闘の最中、激しい負傷が原因で現場を去らなければならなくなった作業員や警備隊員がいたことを。彼らは死んでないが、まるで忘れ去られたかのように、誰も口にしないということを。
九郎は目の前で諦めるしかなかった死傷者たちを、何度も何度も地上にまで連れ帰った。諦めるしかなかっただけで、別に九郎は死傷者に慣れた訳ではあるまい。
このやるせなさは、この合同葬儀に参列した者たちしかわからないだろう。
それ以前に、遺族たちにはどうして家族が死んだのか、どれだけ説明を受けているのかわからないはずだ。
影狼の存在、不自然な負傷。それらについては、この地下で起こったことをつまびらかに明らかにせねばならないことだった。
きっと帝都も日本も、この事件を闇に葬るであろう。
それこそ日本初と呼ばれる事業でたくさんの人が亡くなっても、合同葬儀のことは新聞社もラジオ局のニュースに取り上げない。
いったい何人の作業員が、何人の地下鉄警備隊員が犠牲になったのかわからない戦いだったが、彼らにとっては日本初、帝都初の偉業のほうが大切だったのだから。
(……こんなこと、忘れられる訳がないだろう)
だからこそ、九郎はにこやかに演説をしている鉄道会社の社長に対しても、冷ややかな思いを感じずにはいられなかった。
それでも。
「お父さん、これから地下に鉄道が走るの?」
「そうさ。鉄道でどこにだって行けるようになるんだよ」
「すごい!」
オープニングセレモニーを見に来ているのは、なにも報道記者や鉄道関係者、政府高官だけではない。
帝都で普通に暮らす無辜の民……それこそ九郎が普段出かけているような、地下鉄のために整備されたような町の人々はずっと待ち望んでいたのだ。
彼らはわざわざ影狼が地下道で暴れていたという事実を知る必要はない。
そもそも、そんな人々が知らない内に影狼討伐を終わらせるのが、地下鉄警備隊の使命だったのだから。
帝都を震撼させた影狼の脅威は、表立ってはなにもわからないまま終わりを迎えることとなった。
怪奇小説の中には、真相がわからないまま謎がうやむやになって幕を下ろされることがある。
それこそ影狼はそれら怪奇小説のように、まるで狐に化かされたかのように、忽然と姿を消してしまったのである。
影狼に襲われた人々は、ただ背中に爪を立てられた恐怖と、あの喉を掻きむしった嘶きに、いつになったら脅えずに済むのだろうと考えることになってしまったのである。
九郎はたしかに、帝都の人々を守り切るという達成感を得ることはできたが。
結局帝都に人々の安寧な夜、影狼がまた出るかもしれないという恐怖までは払拭することはできなかったのである。
(だからと言って……本当のことをどうやって言えるんだろう)
あの戦いには意義なんてなかった。
ただ帝都に住んでいた厄介な人間が、厄介な生き物を野に放ってさんざん迷惑をかけられたという話だったのだから。結局なんであんな厄介な人間が帝都の地下に潜伏していたのかだって、九郎はわからず仕舞いだった。
わからないものを、一生懸命瓶に小分けして流し、彼が意思統一を図れないようにすることしか、九郎にはできなかったのだから。
****
地下鉄工事に関連した合同葬儀。
そして地下鉄開通に伴うオープニングセレモニー。
これらを持って地下鉄警備隊の役目も終わり、鉄道警備隊から特別編成された彼らも解散となったのである。
「本当に、あの事件は結局なんだったのかしらねえ……」
当然ながら寄宿舎も解散となり、いつものように大家夫婦は荷物をまとめていた。
本来ならば地下鉄警備隊の関連した影狼に関することも、大家夫婦は聞かされることなのだが、結局ふたりは最後までの事情は知らされることはなかったのである。
影狼はいったいなんだったのか。影狼はいったいどこからやってきていたのか。結局彼らはいなくなったのか。まだいるのか。
この辺りは帝都で暮らす人々と同じくらいの情報しか持ち合わせていなかった。
この夫婦は次の寄宿舎で新人警備隊員の面倒を見なければならないため、寄宿舎住まいの警備隊員たちの引っ越しの手伝いを終えてから、次の任地へと赴くのだが。
その中で九郎は、「失礼します」とふたりに挨拶に来た。
着物に袴を合わせた普段着であり、背中に風呂敷を担いでいる。どう考えても身軽が姿であった。
「あら、九郎くん。もう荷物まとめ終えたの?」
「自分は元々荷物はほとんど持っていませんでしたから。本当に長いこと月子さんを預かってくださりありがとうございました」
「いいのよ。新しい娘ができたみたいで楽しかったからねえ。そういえば、結局は月子ちゃんの素性もわからず終いだったわねえ。身元はっきりしなかったんでしょう?」
「いえ。いいんです」
そう九郎はきっぱりと言った。
少なくとも、九郎は月子の正体を知っているが、それを今後誰にも言うことはない。
月子は月子で、このところは大家妻に習い、ずいぶんと裁縫や料理が上手くなった。裁縫は簡単な繕いならばできるようになったし、料理は元々大家の妻が料理が得意で、大男たちの朝夕の食事を賄ってきた腕前である。それを習った彼女の腕は、食堂を回すに匹敵する腕前となっていた。
この分ならば、生活には全く困らないだろう。
九郎は元々鉄道警備隊員なため、次の任地が定められたのである。
交渉の結果、月子と住むために次の寄宿舎は夫婦用のところとなった……原に頭を下げた上で月子の戸籍をつくる手伝いをし、こうして九郎が月子の伴侶としてふたりで次の任地に引っ越すこととなったのである。
原は九郎が月子を離さないのに苦笑していたが、了承してくれた。
「そう……月子さんと連れ添うのね。気を付けてね。だって、忽然と姿を消しただけで、影狼はなんだったのか、結局わからないままでしょう?」
「はい……」
「影狼の正体について、あなたが頑なに話したがらなかったけれど、相当まずいものだったのでしょう?」
「……はい」
原は九郎が影狼の正体を特定したことを薄々勘付いているようだったが、それを上層部に上げることはなかった。
「まあ、そうね……影狼の調査についての人員補充。最初から最後まで認めてくれなかったんだもの。あの一連の出来事の真相を、表立って知られるのは上層部は嫌だったのかもしれないわね」
原のひと言に、九郎は押し黙った。
元々鉄道会社の上層部は、影狼はあくまで駆除対象。野犬やねずみが湧いて工事に支障が出るから殺しているという感覚だから、影狼の正体を知ろうが知るまいがどうでもいいと判断するだろうが。
政府高官は帝都地下で不老不死の研究が行われていたことについて、本当になにも知らなかったのか怪しい。
帝都に赴任してきて帝都の歴史も土地勘も怪しい九郎たちが帝都地下の鍾乳洞を全く知らないのはまだわかるが、帝都を治めているはずの、それも江戸幕府から政治権限を取り上げて政府を立ち上げたはずの政府高官が、本当に地下に存在していた鍾乳洞を知らないのかは怪しいのである。
かつてまことしやかに都市伝説として流れていた、江戸幕府の財宝。
それがあの男が言っていた錬金術に連なるものだとしたら。
もしも錬金術で不老不死の研究が進み、その成果として月子が完成したと知られたら、きっと大変なことになる。
(学者が皆、あの男みたいな思考だとは思わないが……これはもう俺の中だけに留めたほうがいいだろう。月子さんがまた、訳のわからないまま影狼に狙われたり、分解されたりするのはまっぴらだ)
おそらくは、原に言ってもなにがなんだかわからないだろうが、彼女が報告を上げた医師たちが万が一にもほむんくるすや月子に興味を示し、赤い水を探しに行ったら取り返しが付かなくなる。
あの男は不老じゃないだけで死なないのだから、大変なことになる……おまけに人間がいちからつくれる技術なんて見つかった日には、悪用されるのが目に見えているのだから。
こうして原には了承してもらい、月子と一緒に鉄道へと向かった。
月子は大家妻がお別れにと買ってくれたワンピースを着ている。
白いワンピースに白い帽子は洒落ていて、モガというほど最先端でもないが、いつも以上に垢ぬけていた。髪を耳隠しになるように巻いてあるのも愛らしい。
切符を通して駅に入ると、そこには列車に乗り込む人たちが絶え間なく通り過ぎ、九郎も切符の番号を確認しながら「月子さん」と鉄道に乗り込むことにした。
「それじゃあ、忘れ物はありませんか?」
「ない、くろさん。行きましょう」
「はい」
月子は相変わらず無邪気に笑いながらも、ときおり遠い目をしていた。
彼女からしてみれば、帝都の地下で産み落とされたのだから、かつて地元以外の土地を全く知らなかった九郎と同じく、帝都以外の場所を知らない。
なにも知らないからこそ、帝都から離れるのが不安で仕方がないのだろう。それは田舎から上京してきた九郎も持っていた郷愁の念だ。
そう思いながら、九郎は口を開いた。
「月子さんは見たことがないかもしれませんが、田舎は不便なことも多いですが、悪いことばかりじゃありませんよ」
「はい?」
月子は目をパチンとさせる。それに九郎は微笑んだ。
ふたりは座席に座ると、荷物を膝の上に乗せつつ、窓の外を見た。
帝都のごった返したような人の波。帝都から離れれば、その人波も幾分か落ち着くだろう。それを眺めながら、九郎は続けた。
「俺の住んでいた田舎では、しょっちゅう猪が畑を荒らしたんで、そのたびに山の付近に罠を仕掛けて仕留めるんです。そしてそれを皆で捌いて食べるんですよ」
「食べるんですか?」
月子は驚いたように目をパチパチとさせる。
思えば帝都は東西南北から様々な食材が流れてくるが、魚より大きなものを捌くなんて文化は当然ながらない。
大きな家では今でも庭で飼っている鶏を締めて出す文化はあるのだが、細い長屋通りでは鶏を飼う文化さえないのだから、知らないことはわからないことだろうと、九郎は考えた。
それが面白くなり、九郎は手振り身振りで説明を繰り出す。
「ええ。猪は焼いて食べると美味いですし、鍋にしても美味い。帝都には牛鍋がありましたけど、あれみたいに甘くして野菜と一緒に煮るんです。美味いですよ」
「天丼と、どちらがおいしいですか?」
そういえば。彼女に初めて食べさせたのは天丼だったなと、九郎は思い返した。
「あまり順番を決めたことはないですが。天丼と同じくらい美味いですよ」
「おいしい……わたし、猪は料理したことがないです」
大家の妻から料理を習っていた月子だが、さすがに売ってないものを使っての料理はしたことがなかった。それに思わず九郎は噴き出した。
「猪も猟師が捌いてくれますから、肉だけもらって使えばいいと思いますよ。たまに熊も出ますから、熊が出たら皆で頑張って殺して食べますね」
「食べるんですか?」
「死活問題ですから。夏になったら蛍狩り、秋になったら秋祭り。春は山桜を見ながらやっと春が来たと喜びますね」
「冬は?」
「冬の間は結構大変ですよ。秋の間にうんと薪と炭を買い込んでおかないといけませんから。あんまり田舎が過ぎると瓦斯も通ってないので、炭で火を熾して生活するんです」
九郎が手振り身振りで話をしている間に、ガタン、と振動で揺れた。
列車が走りはじめたのである。
窓の景色が動いていく様に、月子は驚いて窓にへばりついた。
「くろさん、景色が動いてる! 町が走ってる!」
「月子さん、走ってるのは列車であって、景色じゃありませんよ」
「すごい! すごい! 景色が絵みたい!」
どれだけ頭がよくなっても、どれだけ感情表現が豊かになっても、彼女は見たことも経験したことのないものについては童子のように喜び、窓に貼り付いて喜んだ。
窓を開けてもっと景色を見ようとするのに、九郎は慌てて彼女を止めた。
「駄目ですよ。身を乗り出したら、石炭の煙を浴びて顔が真っ黒になってしまいます」
「そうなの?」
「そうです!」
それに月子は少しだけにんまりと笑った。
「それはとっても面白そうね」
九郎は何度も何度も九郎の隙を見ては身を乗り出そうとする月子を、必死で止めることとなったのだった。
片や田舎で過ごして上京した青年。片や外国からやってきた錬金術師によって生み出された生き物。
どちらも帝都の地下しか知らず、大きなことを知らないままだった。
大きくなにかを変えられた訳ではない。大きく世を動かしたとも考えられない。
ただ帝都の夜を守った。そのことだけは、誇ってもいい出来事である。
全ては帝都の地下道しか知らない話だが。
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