ひとり朗読劇がすごい

声優ヲタクのヨガ講師 こた

声優としての挑戦-1人朗読劇-

私が愛してやまない声優の福山潤さん。

今までは、「自分がやりたいことというより、こいつにやらせてみようと思ってもらった仕事をなんでもやりたい」というスタンスで、幅広く活動されてきた印象でした。

いつも楽しそうで、サービス精神とユーモアたっぷりでいて、その奥に職人気質で誰よりも真面目な横顔が伺えました。


普段はそんな真面目な顔は笑いで煙に巻く福山さんが、初めての自身のプロジェクトを語った時、鳥肌がたちました。

あぁ、なんか、いよいよなんだな

こちらまで背筋が伸びる思いでした。


ひとり朗読劇。

いちファンとしては、ひとりでやるなんて福山さんらしいなとクスリ。

朗読劇を何度もご一緒している作家、岡本貴也氏の書き下ろし作品で、タイトルは『作家、46歳、独身』。


朗読劇自体、福山さんファンになって初めて触れた世界でした。宝塚ファンだった経験を持つ私は、初めは台本を持ったまま演技されるのは没入できるかな?と思っていましたが、朗読劇は声優さんの真骨頂、これは観に行かなければと足を踏み入れて4年。

さまざまな作品を拝見し何となく“様子”は分かってきました、


90分ひとりで物語を紡ぐ。

福山さんだし、めっちゃ喋るんだろうな

何役くらいするのかな

ととても楽しみにしていました。

東京3日間5公演、翌週大阪3日間5公演、全10公演。

京都に住む私は大阪全通、5公演分のチケットを取りました。


作品は副題に「とあるダメ作家の一日」とあり、結構な人数が出てくるらしいという前情報を得て、本当に楽しみにその日を迎えました。


開演のベルが鳴り、こちらにもわずかに緊張感が広がる中、カップを片手に福山さんが下手から現れました。


舞台ツラを進み正面で立ち止まって、カップのコーヒーを飲む。

そのまま上手側からステージ中央に置かれたデスクに座る。

ここまで無言の福山さんに、私たちは引き付けられ全集中で第一声を待つ。


いつもの肘をついて指を絡ませるポーズをとるとおもむろに

「あのね」

と語り始める。

この「あのね」で全ての準備が整い、そのまま90分福山さんの言葉に全ての意識は持っていかれる事になるのです。


手に台本はなく、セットのデスクに置かれたパソコンに台本が入っていてとても自然にそれを読んでいる姿に、上手いこと考えたなーなんて偉そうに思いながら、福山さんの語るストーリーの波に翻弄されていきました。

いやほんと、この主人公の作家が本当にダメなやつで、独りよがりで自分勝手で女癖が悪い。

自業自得だ!などと心の中で悪態をつき、終わったあとも福山さんファンのお友達と

クズやったな〜

と笑っていました。


ただ90分独りっきりで全力でお芝居する、それも何役もやる、それもえげつない量の言葉数に感情を全力で乗せて。

その圧倒的な熱量と超人的な所業に、やっぱりうちの推しはすごい!となぜか誇らしい気持ちで帰りました。


2日目、昼の部。

「あのね」から始まるその物語が、昨日と少し違って見えてきました。

後半、まさに佳境。

主人公の妻の語りがあるのですが、このどうしようもない夫、もう離婚しようと決めたのにグズグズ言ってる夫に、まさに三行半をつき付けるのですが、その感情の表現がまさに「見事」でした。

初めは呆れてあぁやっぱりね、と嘲笑するように語り始め、話しているうちにどんどん感情が昂って、涙が溢れてくる。

そんなんじゃなかったでしょ、なんで分からないの。

怒り、悲しみ、もどかしさ。

でも間違いなく、その人を愛し、大切に思っていたからこその感情。

その気持ちに涙がこぼれました。

同情でも共感でもなく、ただその感情の波に共鳴したような感覚でした。


夜の部では、その妻の思いがさらに鮮明に感じ取れ、その後何も言えずとぼとぼと帰る主人公を、もう情けは見せられない妻に代わって、励ますような気持ちが芽生えました。


3日目、最終日。

昼の部ではさらに全体像を見渡すような感覚になりました。

「現在」である最初だけでなく、回想から戻ってきたラストシーンで、あぁこの人はこんな1日を経て、ちゃんと自分の糧に消化できたんだなと思うと、なんとも言えないホッとした気持ちになりました。


もがいて七転八倒して、かっこ悪くすがって、それでも何一つ思ったような救いは現れなくて、こんなに辛いことが1日に重なる?!ってくらいどん底に落ちた日。

生きていたらそんな日が人生に1度や2度、大なり小なりある。

そんな日でもちゃんと1日は終わり、また新しい1日がやってくる。

「現在」に戻った時のとびきりの笑顔が、そんな日々を重ねてきたんだなと感じさせ、

なんか、良かったね

と涙が出てきました。


最終日大千穐楽。

東京から10公演、いよいよ最後の公演。

なんとなく緊張感をもって席に着きました。

ここまで回を増すごとに、アドリブや演出の手直しが入っているのか、ここ笑えるところってところの笑い声は大きくなり、ここ女性からみてひどくゲスいところはうんざりするほどゲスく、パニクって意味不明なことをまくし立てるところは福山さんの早回しの技術はこのためか?!っと思うほど、うわ言をまくしたてていきました。


さて最終公演。もうあとのことは気にしなくていい。

きっと今までで最大の全力でかかってくるに違いない。


「あのね」


余分な緊張も力みも、一瞬にして忘れてまた福山さんの語りに吸い込まれていきました。

あっという間の時間。ストーリーは覚えてしまっているので、あぁもうすぐ終わっちゃう、終わって欲しくないと脳裏をよぎりながら、ストーリーに注視していきました。


朗読劇って不思議なもので、演者の方がその役に合わせた衣装を着てはいるものの、演劇のように全身で演技する訳では無いし、今回のように何役もされる場合は年齢、性別を超えることもあります。

ただその声を聞くことで、頭にその状況を思い浮かばせ、その瞬間瞬間、カメラがスイッチするように今喋ってるその人を見ている気持ちになります。

物語を見る上で、なんの引っ掛かりもありません。

こんな表現方法があるのかと驚くと共に、福山さんもよく仰る「声の説得力」とはこういうことか、と深く納得してしまいました。


大千穐楽公演後、鳴り止まぬカーテンコールで「幸せです!」と笑った福山さんの笑顔に涙が溢れました。

こうして、ダメな作家のとある最低な一日を見守り、推しの全力の挑戦に立ち会うことが出来ました。


私はなんて幸せなんだ!!

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ひとり朗読劇がすごい 声優ヲタクのヨガ講師 こた @kota1126

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