トンネルの中は涼しかった。輻射熱の影響でしばらくすると汗はひいていた。思っていたよりも長いトンネルだった。最初は、出口の光さえ見えず、対向車も追い越す自動車もなかった為、自分から出る音と虫の声以外聞こえなかった。チリチリとまわる車輪の音、リュックサックの中で波打つ水筒の音、ハァハァと繰り返す自分の息。今、この世の全ての音が自分から生まれていた。ほんの数分間だったが、自分と世界が隔離され、完全な一人ぼっちになってしまったようだった。

 出口が遠くに小さく見え始めるまで、自転車を漕ぐのをやめられなかった。多分その時に自転車を止めたら、大冒険へのロマンよりも、孤独の恐怖が追い抜き、引き返したくなっていただろう。トンネルを抜けるには、そのまま前へ進むしか自分には選択肢がなかった。遠くに見えていた小さい光の点が、徐々に大きくなり、やがて向こうの景色が見えてきた。

 トンネルを抜けると、再び、重たい日差しがのしかかる。体感温度もかなり上がったので、汗が噴き出すのも時間の問題だろう。山の中なので、木々の枝で太陽が遮られるようなところもあったが、多くはその間をすり抜け、灼けるような暑さで太陽が身体を焦がすのだった。しばらく行くと山を登りきる前に急なカーブになり下り坂に変わった。

 肝心の炭鉱の廃線跡は、トンネルを抜ければ、すぐのようなことをじいさんは言っていたが、途中で降りて入っていけるようなところも、分かれ道も見当たらなかった。

 ほとんど行き当たりばったりの出発で、廃線跡までの事をまるで考えていなかったのは、とんだ間抜けだったと今は思う。あとでわかることだが、田舎の老人のいうの“すぐ”や“近く”が、都会育ちの子供が想像するそれとは、感覚がまるで違うことも誤算だった。

 そして、とうとう廃線跡を見つける前に大きな道に出てしまった。今いる場所は、何もない田舎だと思っていた祖母の家のあるところよりも、さらに何も無いところのように感じた。目の前には山々の緑、虫の声、川の音、まばらにあるいくつかの民家や何かの古い建物だけだった。目の前はT字路で小さい橋を隔てて、川と平行に道路が走っている。どちらに行けばいいのか完全に迷ってしまった。右左のどちらかしか今のところ道は無い。そして、そのどちらを選ぶかで、この冒険の目的が達成できなくなってしまう気がした。

 あたりを見回し、手がかりを探したが何も見つからなかった。一度、休んで落ち着こうと思い、自転車を降りた。ここに来るまで小一時間かかっただろうか。夢中で走ったので、のどがカラカラだった。

 ちょうど橋を渡った左側に、ボロいバスの停留所の小屋を見つけた。今も使われているのか、昔使われていたのかはわからなかったが、何とか座れそうなベンチと日よけ程度の屋根がついていた。自分はとりあえず、その小屋の横に自転車をもたせかけ、ところどころ壊れているボロいベンチに腰掛けた。リュックから水筒を取り出し、一口、また一口と飲んだ。氷はまだ溶けていなかったので、のどや内臓に冷たい水が染み入るようだった。ここで飲みきってしまうのは危ないと思ったので、我慢するのは辛かったが、湿らす程度で終わらせた。

 空には、途方に暮れた自分を笑うように、大きな入道雲がもくもくと浮かんでいた。


さて、次はどうしたものかと思案していたその時、左方の近くの山で何かがキラリと光ったような気がした。


 気のせいかと思ったその光りはどうやら、一定の間隔で光っているのは間違いなかった。短い間隔で光ったと思ったら、消え、今度は少し長く光ったりを繰り返す。しばらく見ていたが、それは何度も同じ間隔で、同じリズムで繰り返されていた。それには何か法則性がありそうだった。そう、こんなとき、自分に思い当たることは一つしかなかった。


 モールス信号だ。


 当時、戦争映画やスパイ映画が好きで、テレビのロードショーでよく見ていた。そのような映画には、何かの暗号か合言葉、それに、モールス信号でやりとりする場面が沢山あった。主人公の頭の良さを見せつけたり、絶体絶命のピンチを救う手助けになるそれらの技巧は、自分にはとてもクールに思えていた。見たあとは大抵影響されて、自分にしかわからない暗号を考えたり、友達と秘密の合言葉を作って遊んでいた。

 ある時、父親が無線を趣味としていたことがあったのを知り、是非にと頼んで、和文のモールス信号の早見表を作ってもらったことがあった。その時は、父親も子どもと接点が出来たのを喜んで、かっこいい早見表を作ってくれた。そして、それは中学生になり、クラスの女子にバカにされて、恥ずかしくなってやめるまで、自分で作った“冒険ノート”というものに、クリップで一緒に挟んで愛用していた。そのノートには他にも、宝のありかを書いた空想の地図や、自分で考えた動植物の詳細が書いてあった。どこで仕入れたのかわからない、忍者のまことしやかな知識などの情報も入っていた。なんの根拠のない情報もあったし、中には本当のことも書いてあったりもした。それは、自己満足だけで編集された自分だけのノートだった。そして、その中にあった正しい情報の一つが、父親の書いたモールス信号早見表だった。

 その時分、冒険ノートは大事にしていたので、祖母の家に来るときに、リュックの中に宿題と一緒に持ってきていた。宿題は取り出し、机にほったらかしていたが、冒険ノートは運が良ければそのままお弁当と水筒が入っているリュックにいれっぱなしのはずだ。ノートは誰にも見られたくないので、そのまま入れていたような気もした。それを思い出すと、自分は急いでリュックを覗き込んだ。


ビンゴだった。


肝心の冒険ノートは背中側にピッタリ張り付くように入っていた。汗で少し湿っぽいノートを取り出し、すぐにクリップで挟んでいた早見表を開いた。そして、早見表を頼りに、光のモールス信号を解読することにした。光が消えないうちに解読しないとわからなくなってしまう。焦らないようにできる限り急ぐしかなかった。呼吸は少し浅くなり、指はわずかに震えていた。まだ、止めないでくれと心の中で願った。幸い解読するまで信号は消えなかったし、どうやら日本語で打ってきているらしいことだけはわかった。


−−−−(ツーツーツーツー)

−−−−(ツーツーツーツー)

−−・−(ツーツートンツー)

・−−・(トンツーツートン)

−−−(ツーツーツー)

・−(トンツー)

・−−・(トンツーツートン)


どうやら、これの繰り返しらしい。

これが終わる度に少しの間が空いて再び同じフレーズがくるようだった。そして、焦って読み間違えぬよう、ひと文字ひと文字早見表で指を差しながら確認した。そして全ての文字の解読が終わり文字を繋げてみると、


こ−−−−

こ−−−−

ま−−・−

で・−−・

お−−−

い・−

で・−−・


そう、

“ここまでおいで”

と打っていたのだった。


 誰かを呼んでいるのだろうか、ただのいたずらだろうか。色々と考えた。心の中はもう、そこへ向かいたいとも感じていたが、もちろん廃線跡のことも忘れてはいなかった。

しかし、見つかるかわからない廃線跡を探すよりも今日は信号の方へ向かった方が良いような気がした。

その、信号が誰に向けているのかわからなかったが、ひどく心が惹きつけられてしまったのだった。


取り合えずなんだったのか、誰かいるのか何があるのかだけでも、確かめに行こう。

そう心に決めて冒険ノートをリュックにしまい。水をもう一口飲んで自転車にまたがった。

途方に暮れていた自分に再度冒険の目的ができたのだった。

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