新しい明日
辻井豊
新しい明日
神崎玲於奈の足もとには暗黒の宙が広がっている。
黒一色の視界の真ん中に浮かんでいるのは青い三日月だ。
玲於奈は思う。できればあそこに降りたくはない。何もかもが地球にそっくりなあの星、テラ・セカンドに。
そんなふうに玲於奈が青い星を見つめていると背後で電子音が鳴った。ドアの開く音がする。
「やっぱりここにいたのね」
星崎桂子の声だ。彼女は玲於奈の命の恩人であり、この船、超光速恒星間宇宙船、ライトスター7のたった一人の乗員だった。
展望室の微小重力環境の中、玲於奈の傍らにふわりと着地した桂子は言う。
「そろそろどうするか決めなきゃいけない」
玲於奈は訊く。
「向こうからはなんて?」
「言語の解析はまだ完全じゃない。中央電算機構によると、近いうちに宇宙船による接触があるらしい」
「宇宙船?」
「地上からこの高軌道まで直接やってくるつもりだと思う、たぶん」
「テラ・セカンドってそこまで進んでるんですか?」
「おそらくね」
玲於奈は桂子の表情をうかがう。彼女は足もとの舷窓に視線を向けていた。少し困ったようなその顔。長いまつげと神秘的な色をたたえた瞳。玲於奈は決心した。昨日、中央電算機構から聞いたばかりのことを問いただそうと。玲於奈は恐る恐る切り出す。
「桂子さん……」
「なに?」
桂子の視線が玲於奈を向いた。玲於奈は彼女の目を見つめて言う。
「桂子さんには、いえ、桂子さんと、桂子さんを送り出してくれたみなさんには感謝しています」
「いきなりどうしたの?」
「中央電算機構から聞きました。桂子さんがわたしを助け出してくれるまでの出来事、何が起きたのか」
「そう……」
「木星圏の人たちはどうなったのかもわからない、でも桂子さんは来てくれた」
玲於奈はあえた人たちと呼んだ。桂子は言う。
「それがわたしたちアンドロイドの使命だから。でもね、きっとみんな生きてるよ。心配しないで」
予想していた通りの答えだった。だから玲於奈は言ってみる。
「戻りませんか? 木星圏に」
「無理よ」
桂子は即座に否定した。
「どうして? 転移はできるんでしょう?」
玲於奈が問い詰めると桂子はますます困ったような表情を浮かべる。
「中央電算機構に訊いたのね?」
「はい」
「転移に必要な燃料はある。でも転移した先で衛星軌道に安定するには今の船の速度じゃ足りないの。転移すると、それで得た位置エネルギーに相当する運動エネルギーをこの船は失う。今のままだと木星か、さもなければ太陽に落ちるしかない。主機を動かして速度を調整するために必要な燃料も推進剤ももう無いの」
桂子の説明に玲於奈は身体の両側でこぶしを握る。
「昨日、中央電算機構と議論しました」
思わず言葉に力が入ってしまった。そんな玲於奈の様子を見てか桂子はうつむき、ため息を吐く。
「ちゃんと寝てって言ってるのに……」
「ごめんなさい……」
玲於奈が謝ると桂子は真っ直ぐに見つめてきた。
「それで?」
玲於奈は昨日の議論で得た知識をできるだけ正確に伝える。
「航行中の観測によれば、太陽系とここ、ソル・セカンド系の中間に大質量の連星系があるそうです」
その指摘を桂子はあっさりと認める。
「うん、あるよ」
玲於奈はここぞとたたみかける。
「その連星系でスイングバイすればどうです? 加速できる。余った速度は木星の高層大気で――」
言い終わらないうちに桂子が言葉を被せてくる。
「それは可能だけど……」
目を伏せて語尾を濁す。玲於奈は続きをうながす。
「だけど?」
足もとからこの星系の主星、ソル・セカンドの光が射した。すぐにオートシェードが働く。桂子が弱々しくつぶやく。
「考えさせて……」
即答を避ける桂子に玲於奈は言ってしまう。
「桂子さんは知ってたんですよね? 帰れると知ってた。でも黙ってた。帰るのが怖かったから。帰ってもし、みんな死んでたら――」
そこまで言ったとき、桂子が背を向けた。この部屋から出てゆくつもりなのだ。玲於奈は桂子の正面に回り込もうと床を蹴る。だが微小重力環境ではうまくいかない。態勢を崩してしまう。玲於奈はとっさに手を伸ばす。その手を桂子につかまれた。引き起こされる。桂子と向かい合う形になった。そして気づく。彼女の瞳からあふれる涙に。言ってはいけないことに触れてしまった。玲於奈は一瞬後悔する。だが、その後悔をねじ伏せて言う。
「黙ってたんですよね……」
「そうよ……」
玲於奈から視線を外して桂子は言う。
「帰っても誰も生き残ってはいないかもしれない。宇宙船建造基地も、木星市も破壊されているかもしれない。そして地球は全球凍結している。そんなところにあなたを連れて帰ることはできない……ごめんなさい……頭を冷やしてくる」
そう言い残し、桂子は展望室から出て行った。
一人きりになった玲於奈は回想する。
今から二百五十年以上前、全球凍結した地球から脱出してきた人間を乗せて、世代交代型恒星間宇宙船「明日」が、木星圏を出発していった。恒星間移民が目的だった。しかし出発してからわずか十八年で「明日」は崩壊してしまう。度重なる星間物質との衝突に船体が耐えられなくなったのだ。
目的を果たせず、崩壊してしまった「明日」だが、運よく一人の少女が脱出に成功する。その少女こそが「明日」では女子高生として生活していた神崎玲於奈だった。玲於奈は進んだ異星文明による救助に望みを託し、冷凍睡眠装置で眠り続けることを選ぶ。脱出船の速度は〇・一光速。「明日」が崩壊した時点での速度をそのまま維持していた。
そうして玲於奈が恒星間空間を漂流し始めてから二百二十七年が経過する。そこに救助がやって来た。その救いの手こそ、木星圏に都市を築くまでになったアンドロイドの建造した船、超光速恒星間宇宙船、ライトスター7だったのだ。
ライトスター7は木星圏を発進し、四年をかけて〇・一光速にまで加速した。そして、鏡像転移駆動と呼ばれる超光速航法で玲於奈の眠る脱出船に追いついた。
脱出船とのランデブーを果たしたライトスター7のたった一人の乗員、パイロットの星崎桂子は玲於奈の救出に成功する。
その後、ライトスター7は一挙に百光年近くを跳躍、ソル・セカンド星系近傍にやってきた。そこから四年をかけて減速し、ソル・セカンド星系の第三惑星、テラ・セカンドの衛星軌道に入ったのだった。
ライトスター7の航海は片道切符だった。世代交代型恒星間宇宙船「明日」が、テラ・セカンドへの移民を目的として航海していたからだ。
もっとも、ライトスター7に往復できる能力があったとして、帰る場所などすでに無いのだった。後にしてきた恒星間宇宙船建造基地は、何万年かに一度発生するという木星嵐のプラズマによって破壊されているだろうからだ。そして地球は全球凍結している。
だが、恒星間移民の目的地だったテラ・セカンドにも玲於奈たちは降りるに降りられない状況になっていた。地球とうり二つの星、テラ・セカンドには生命が存在していた。そればかりか人工衛星を打ち上げるほどに発達した文明があったのだ。
ライトスター7がテラ・セカンドの衛星軌道に姿を現してからすでに一年が経過している。発進時には二百八十億トンを超えた超光速の巨船も、今は二百万トンに満たない。玲於奈と桂子は選択を迫られていた。
*
玲於奈は歩いていた。足下から前方、彼方に続く道だけが見えている。周囲には何も見えない。
どれくらい歩いたのだろうか、立ち止まっている人影に気づいた。玲於奈はその人影にゆっくりと近づいてゆく。
「姉さん」
あと数歩ですれ違う。そこまで近づいたとき声がした。玲於奈は足を止める。声の主の顔が見えた。妹の伊於奈だった。
「待っていたわ」
伊於奈が言った。玲於奈は訊く。
「待っていた?」
「そうよ」
「ここはどこ?」
「姉さんの夢の中」
「何をしているの?」
「姉さんに伝えたいことがあるの」
玲於奈は胸の詰まる思いだった。わたしを助けてくれた伊於奈はもういない。今、目の前にいる伊於奈は自分の作りだした幻なのだ。その幻の伊於奈が口を開く。
「姉さんは帰る。地球に」
「地球に?」
「そう。全てはそこから始まる――」
伊於奈がそう言い終わるや否や、彼女の全身が光り輝いた。その光の中から何かが大量にあふれ出してくる。奔流となって玲於奈を押し流す。目が覚める直前、玲於奈は伊於奈の声を聞いたような気がした。
「……ここは姉さんたちのいるべき場所じゃない……地球には姉さんたちが必要なの……」
*
玲於奈は船の展望室にいた。眼下にはびっしりと光点に覆われたテラ・セカンドの夜半球が見ている。電子音が鳴った。背後でドアが開く。
「待った?」
桂子が入って来た。ふわりと玲於奈の正面に着地する。玲於奈は話しかける。
「夢を見ました」
「夢? 夢の話しがしたくて呼び出したの?」
少し不満そうな桂子に玲於奈は言う。
「夢の中に妹が出てきました。地球に帰れと言いました。桂子さんも同じような夢を見てはいませんか?」
玲於奈は桂子の反応をうかがう。はたして、桂子は目を伏せた。
「見たんですね?」
「見たわ……」
桂子は答えた。やっぱりかと玲於奈は思った。選択を迫られている、あの夢にはそう感じさせるものがあった。ひょっとしたら、昨日、展望室でした会話のせいかもしれない。だったら桂子も同じような夢を見ている可能性がある。玲於奈はそう考えたのだ。桂子が続ける。
「妹が出てきた……地球に帰れと言っていた……」
「妹?」
玲於奈は驚いた。桂子には妹がいたのだ。うつむいたままの彼女の表情は硬い。玲於奈は質問を変える。
「どうして同じような夢を見たんだと思いますか?」
「……昨日、あなたとそんな話しをしたから、かな……」
語尾が消える。ちょうどそのとき、電子音が鳴り、二人の頭上から声が降って来た。
「今から四時間ほど前、本船に対するアクセスがあった」
低く落ち着いた声。この船の中央電算機構だ。
「どうしてその時に知らせないの?」
天井のカメラに向けて桂子が問うた。
「記録が書き換えられていた。先ほどそれを復元した」
玲於奈の見つめる先で桂子の表情が険しくなる。
「まさかテラ・セカンドが……」
「その可能性は無視できる。彼らにそのような技術はないと推定される」
「じゃあ誰が……」
「不明」
玲於奈と桂子は顔を見合わせる。電子音が鳴った。中央電算機構が言う。
「記録をさらに復元した。二人の部屋の催眠音波発生装置に操作された形跡がある」
声にならない驚きが展望室を満たした。
*
衝撃的な出来事から二時間が経過した。玲於奈と桂子は重力区画のラウンジでくつろいでいた。緊急時こそ食べなきゃだめだと桂子が言ったせいで、二人とも食欲がないのに無理やり軽食を詰め込んだのだった。食器を片付けてきた玲於奈はソファーにもたれ掛かっている桂子に話しかける。
「中央電算機構は分析を打ち切りました」
「そうね」
「どうしてでしょうか?」
「彼の言う通りよ」
「分析する材料がもう無い?」
「そう」
桂子の不機嫌な様子に玲於奈は思わず謝ってしまう。
「すいません……」
「どうして謝るの?」
「怒られているような気がして……」
「そうね、怒っている。でもあなたに対してじゃない。ごめんなさい」
「いえ……」
「わたしは結局何もできていない」
「そんなことはないです。桂子さんがいなければ、わたしはここにいなかった」
「でも、テラ・セカンドには降りることができていない。ここが目的地だったのに」
桂子がそう言ったとき、天井のスピーカーから電子音が鳴った。続いて人工音声が告げる。
「テラ・セカンドから宇宙船が発進した。本船の軌道と交差する可能性がある」
桂子の顔つきが変わった。天井のカメラを見上げて言う。
「交差予想時刻は?」
「今から百十七分後」
「わかった」
「軌道を変更するか?」
「いえ」
「了解した」
視線を降ろした桂子は玲於奈に指示する。
「操縦室に入る。あなたはバックシートに座って。何もする必要は無い。あそこが一番安全だから。トイレは今のうちに済ませておいて」
桂子がラウンジから駆け出してゆく。声をかける暇も無かった。
*
「テラ・セカンドの宇宙船が接近中。本船までの距離五十四キロメートル。相対速度は分速一キロメートル」
操縦室に人工音声が響く。バックシートに身体を固定した玲於奈は前席越しにメインディスプレイを注視する。ここに座ってから一時間ほどが経っていた。計器が静かな作動音をたてている中、前席に座る桂子が話しかけてくる。
「こんなときになんだけど」
玲於奈は先をうながす。
「どうぞ」
「さっきのことだけど、まだ何もわからない」
申し訳なさそうに桂子が言った。玲於奈はラウンジでの会話を思い出す。
今から三時間ほど前、玲於奈と桂子の部屋に設置されている催眠音波発生装置に外部から操作された形跡が見つかった。それを発見した船の中央電算機構は、情報が足りないとして早々に分析を打ち切った。そのことで桂子は自分自身を責めているように見えた。だから玲於奈は言う。
「まだ三時間しか経ってないです」
「三時間も、よ。あれだけ明確な痕跡を残しながら、何もわからないなんてありえない」
そうか、三時間も、なのか。
崩壊する世代交代型恒星間宇宙船「明日」から脱出した玲於奈は脱出船の冷凍睡眠装置で眠りながら宇宙を漂流していた。そこから助け出されたのは今から五年前のことだ。しかし、冷凍睡眠から目覚めたのはつい一週間前のことで、二日前には桂子からテラ・セカンドの現状について説明を受けたばかりだった。事態はめまぐるしく変わってゆく。
桂子はいろいろなことを玲於奈に説明しなかった。代わりに説明してくれたのが、この船の中央電算機構だった。木星圏の崩壊もその説明の中で聞かされていた。
数万年に一度発生するという木星嵐によって、アンドロイドの築いた都市や基地が崩壊してゆく中、桂子の操縦するライトスター7は発進した。桂子はどんな気持ちだったのだろう。彼女には妹がいたのだ。他にも家族がいたかもしれない。そんな家族を、仲間を、桂子は置き去りにしてきていた。崩壊する木星圏に。
「玲於奈?」
考え込んでいた玲於奈に桂子が声をかけてきた。
「興味無いの?」
「あ、いえ、そんなことないです……」
そう、興味が無いわけじゃない。むしろ大きな関心事だ。だが玲於奈の心は今、別のところにあるのだった。ほんの少しのきっかけで玲於奈の心は揺れ動く。
玲於奈の妹はアンドロイドだった。その妹、伊於奈の献身的な助けによって、玲於奈は崩壊する世代交代型恒星間宇宙船「明日」から脱出することができた。そして今度は同じくアンドロイドの桂子によって、漂流する脱出船から助け出された。その桂子は崩壊の危機に瀕した木星圏からやってきたのだ。どうして彼女たちはそこまでしてくれるのだろうか。自分や、自分の家族を犠牲にしてまで、どうして……
「そっけないのね」
また考え込んでしまっていた玲於奈に桂子が言った。
「すいません……」
「謝ることじゃないけど」
二人がそんな会話をしていたそのとき、電子音が鳴った。続いて人工音声が告げる。
「宇宙船が何かを放出した。放出された物体の大きさはほぼ一立方メートル。相対速度は分速一キロメートル。宇宙船は軌道を変更。加速中」
「加速中?」
桂子が訊くと、人工音声が答える。
「加速中」
「予想進路は?」
「メインディスプレイに投影する」
正面の表示が切り替わる。
「テラ・セカンドから来た宇宙船はおよそ三十分後に本船の右舷側十キロメートルを通過し、衛星、ルナ・セカンド方向に進むとみられる」
玲於奈はメインディスプレイに目をやった。小さな緑色の点が本船、ライトスター7だ。その点に接近し、そして遠ざかる赤い曲線が描かれている。
「本船の針路このまま」
桂子が中央電算機構に指示した。人工音声が答える。
「了解。針路このまま」
「宇宙船の最接近後、距離が二十キロメートルまで開いたらドローンを出して放出された物体をスキャンする。その結果、危険がなさそうなら回収する」
「了解」
一時間後、ライトスター7はテラ・セカンドの宇宙船から放出された物体の回収に成功する。玲於奈と桂子の二人は隔離区画でその内容物と対面した。
*
厚い鉛ガラスの向こうでマジックハンドが支えている金属板を桂子が説明する。
「一番右の金属板に描かれているのはおそらく周期表ね」
玲於奈はうなずく。
「確かにそう見えますね」
「その隣はDNAの二重螺旋構造の模式図だと思う」
「それもわかります。なんとなくですけど」
「そうね。なんとなくわかるよね。だけどその左、これは……何だろう?」
桂子が首をかしげた。三枚目の金属板には記号らしきものが添えられた点刻が一面に散らばっている。それが何か、玲於奈にもわからない。二人とも黙り込んでしまう。電子音が鳴った。天井から人工音声が指摘する。
「恒星図だと思われる」
中央電算機構の声だ。桂子が問う。
「恒星図?」
「そうだ。中央の天体は太陽だと思われる」
「太陽? ソル・セカンド?」
「違う。太陽だ。太陽系の主星」
「太陽!」
「えっ!」
桂子が声をあげた。玲於奈も。人工音声はさらに続ける。
「周期表は地球人類と同様の思考をする文明圏のものなら同じ形になる。周期表からは、それを作った文明圏で使われている元素記号を知ることが出来る。DNAの模式図に描かれている構造は、地球の生命と同じものだ。恒星図には恒星のスペクトル型が書かれており、それで中心の星が太陽だと知れる」
簡潔な説明だった。玲於奈は訊く。
「それで、この三つの金属板は何を意味しているのですか?」
「おそらく、テラ・セカンドの文明種たちは、自分たちの起源が太陽系にあると考えている。我々にそれを示したと言うことは、我々が、彼らの起源について何か答えを持っていると考えた可能性がある」
「どうしてそんなことを考えたのでしょう?」
「不完全ながら、これまでの通信内容から推定すると、彼らに伝わる言い伝えのようなものがあるらしい」
「言い伝え?」
今度は桂子が訊いた。人工音声が答える。
「彼らから受け取った音声通信の中には予言と推定される単語が頻出する」
「予言、ね……」
「彼らはそれに何らかの根拠を見出だしていると思われる」
「根拠って?」
「不明、情報が不足している」
そこで玲於奈は訊く。
「テラ・セカンドの生命の起源は太陽系なんですか?」
「不明」
「テラ・セカンドに降りて、あそこで暮らしていけますか?」
「不明」
「テラ・セカンドの人たちはわたしたちを受け入れてくれるの?」
「不明」
「不明? 不明って?」
無機質な回答に玲於奈は感情の高ぶりを抑えきれなくなってきた。冷凍睡眠から目覚めて以来、ずっと感じていた焦燥感に火が着いたのだ。玲於奈は手すりを叩いてまくしたてる。
「不明ってなに? なんなの不明って? 教えて! わたしはどうしたらいいの!」
手すりを握りしめ、肩で息をする玲於奈の背中に桂子の手が触れる。
「吐き出しなさい、玲於奈……」
桂子の言葉に玲於奈は言葉を絞り出す。
「……つらい……誰もいない……どうしたらいいかわからない……」
玲於奈は両手で顔を覆う。
「……帰りたい……」
感情があふれた。涙が止まらない。戻りたい。「明日」に。その思いが玲於奈の全てを押し流した。
*
玲於奈はベッドの中にいる自分に気づいた。
「目が覚めた?」
桂子がベッドサイドからのぞき込んでいる。
「桂子さん……わたし……?」
「気を失っていたのよ」
玲於奈は桂子の手を借りて半身を起こす。桂子が言う。
「木星圏に戻ることにしたわ。軌道計算も済んでる」
「いいんですか……?」
「あと四回は転移する燃料がある」
「……すいません……」
「いいのよ。やっぱり降りたくないよね。恐竜人間の星には」
そうなのだった。傍受したり、送られてきたりした膨大な映像信号の中にはテラ・セカンドの文明種の姿を映したものが幾つもあった。その映像を見る限り、彼らの姿は地球人類と変わらないように見えた。しかし同時に、何かが違う、そう強烈に思わせる違和感もあったのだ。映像を分析した中央電算機構は言った。テラ・セカンドの人類は地球の恐竜に相当する生物から進化した可能性があると。玲於奈は訊く。
「……あれはどうしました?」
「あれ?」
「回収した金属板です」
「ああ、あれね。全部に赤丸をつけて放り出しておいた。テラ・セカンドに落ちる前に回収されるでしょう」
「ふっ」
玲於奈は笑う。それは悲しい笑いだった。桂子が慌てた様子で訂正する。
「ちゃんと元の箱に戻してテラ・セカンドを周回する軌道にのせました」
「そうですか、よかった」
桂子が肩をすくめる。
「損な性格ね、あなた」
「わたしたちの進化はわたしたちの責任じゃないから」
「それがわかっているから苦しいのね」
「はい」
玲於奈はなんだかすっきりした気分だった。テラ・セカンドのことを聞いて以来、ずっと胸につかえていた焦りは消えていた。
「じゃあ、二十七時間後に木星圏に向けて出発するよ? それでいい?」
「はい」
玲於奈は微笑んだ。久しぶりにそうしたような気がした。
*
玲於奈と桂子はライトスター7の操縦室にいた。玲於奈がバックシートに身体を固定してから十数分が経っている。前席のパイロットシートには桂子が座っていて発進シーケンスに取り組んでいた。
メインディスプレイを見つめる玲於奈はそこに浮かぶ青い半月、テラ・セカンドに思う。この星とはもうお別れなのだろうか。二度と来ることは無いのだろうか。
電子音が鳴った。メインディスプレイの映像が漆黒の闇に変わる。ディスプレイ下部のテキスト表示から、この映像が船の正面の宇宙空間であることがわかる。操縦室内では中央電算機構が今回の航路について最後の説明を続けていた。
「確認する。本船は転移開始七秒後にソル・セカンド星系と太陽系の中間点にある大質量連星系に出現する。そこで四分七秒間自由落下する。連星系の重力場を介して必要な運動量と運動エネルギーを得た後、木星圏へ転移する。質問はあるか?」
玲於奈は訊く。
「Gとかは感じたりしないんですか?」
「無い。連星系からは十分に離れているので潮汐力も無視できる」
「潮汐力?」
その質問には桂子が答えた。
「強い重力場源に近づき過ぎたり、近づいた物体が大き過ぎたりすると、重力場の不均一さから来る力が働くの。場合によっては重力場源に近づいた物体が破壊されたりする」
中央電算機構が言う。
「概ね正しい説明だ」
「お褒めに預かり光栄ですよ」
「あえて言うなら、つけ加えるべき点が一つある。不均一さは重力場の本質であり、完全に均一な重力場は存在しない」
「ああっ、もうっ!」
そんなやり取りに玲於奈はクスっと笑ってしまう。
「やな感じ――」
「他意はないです」
「そうかなあ――」
そこに中央電算機構が割り込む。
「転移開始五分前。開口部の閉鎖を確認」
ただちに桂子が復唱する。
「開口部の閉鎖を確認」
桂子と中央電算機構がこなす転移シーケンスを玲於奈は固唾を呑んで見守る。
「転移開始二分前。鏡像転移駆動装置始動」
「鏡像転移駆動装置始動」
桂子が玲於奈に訊いてくる。
「大丈夫? あと六分後には木星圏よ」
「大丈夫です」
言葉とは裏腹に玲於奈の緊張は高まっていた。いよいよ帰ることが出来る。太陽系に。
中央電算機構がカウントダウンを開始する。
「転移開始一分前、五十八、五十七、五十六……」
「いくよっ、玲於奈」
「はい」
「……四、三、二、転移開始」
「転移開始」
その瞬間、メインディスプレイに青白く輝く二つの塊りが現れた。それがぐんぐんと近づいて来る。
「転移終了。自由落下中」
「了解」
中央電算機構と桂子がやりとりをしている。玲於奈はサイドバーを握っていた手にぬめりを感じた。びっしょりと汗をかいていたのだ。
「玲於奈、気分は?」
「大丈夫です」
「もうすぐ木星圏だからね」
「はい」
玲於奈は桂子の声に妙な張りを感じた。そうか、彼女にとって木星圏への転移は現実と向き合うことを意味しているのだ。相当な覚悟を持ってのぞんでいるに違いない。
玲於奈はメインディスプレイの映像を注視する。そこに映っている二つの光の塊りは動いていないように見えた。実際にはものすごい速さで互いの周りを回っているはずだ。その運動量と運動エネルギーのほんの一部を重力場を介して得る。それがスイングバイという航法だった。
「転移開始一分前、五十八、五十七、五十六……」
中央電算機構が再びカウントダウンを開始した。いよいよだ。この転移が終われば木星圏に到着する。玲於奈はサイドバーを握る手に力を込めた。
「……四、三、二、転移開始」
「転移開始」
メインディスプレイに縞模様のガス惑星が映し出された。それが急速に近づいてくる。そして……
「転移終了」
中央電算機構が宣言した。続いて現状を説明する。
「本船は木星の赤道上空二十一万四千四百七十六キロメートルに出現した。軌道速度は真東へ向けて毎秒二十一・二八キロメートルのほぼ円軌道」
操縦席が計器の作動音だけになった。誰も口を開かない。メインディスプレイには穴だらけになった巨大な円筒が映し出されている。
「木星市が……」
桂子の擦れた声が聞こえた。
*
「全帯域をスキャン」
桂子が言った。中央電算機構が答える。
「スキャン中」
「ドローンを出して。木星市に派遣して」
「了解」
桂子の声は極めて冷静に聞こえた。でも玲於奈にはわかった。彼女の心は今、震えている。
「桂子さん……」
「少し黙ってて」
「でも……」
「黙ってて!」
玲於奈は何も言えなくなった。故郷の残骸を目にして冷静になれと言う方が無理なのだ。
「ごめん……」
桂子がぼそりと言った。
木星圏に転移してから一時間が経過した。中央電算機構が報告する。
「通信は検知できない。木星市に多数の遺体を確認した」
玲於奈は訊く。
「収容できないの」
「全ての収容はできない」
桂子が言う。
「いいのよ……」
「桂子さん……」
「こうなるとわかってた……でも約束したの……また会うって……約束したの……」
桂子の押し殺した泣き声が聞こえる。
「原型をとどめている施設がある」
中央電算機構が言った。桂子の嗚咽が止まる。
「どこ?」
「恒星間宇宙船建造基地の補給施設が原型をとどめている」
桂子が落胆した溜息を吐いた。玲於奈は訊く。
「そこに避難した人たちが?」
「その可能性はない」
「どうして?」
桂子が説明する。
「補給施設は燃料を保管するために高い内圧に耐える構造になっている。宇宙塵対策で装甲もされている。だけど、ただそれだけよ。避難に使える施設じゃない……」
「そう……なんですか……」
気まずい。玲於奈がそう感じたとき、前席で姿勢を正す気配が伝わって来た。咳払いを一つして桂子が言う。
「補給施設に燃料は残ってる?」
「現在確認中」
「レーザー通信は?」
「ドローンを派遣中……コンタクト、システムが生きている。燃料残存量僅少」
「補給は可能なのね?」
「可能」
「じゃあ補給をお願い。わたしたちは休むから」
「了解した」
あとを中央電算機構に任せて、玲於奈と桂子は操縦室を出た。
*
ラウンジのソファーで眠っている桂子のそばで玲於奈は頬杖をついていた。木星圏に到着し、操縦室を出て以来、いつもはきびきびしていた桂子の動きがとても緩慢になっている。
わたしならどうしただろうと玲於奈は思う。崩壊してしまった「明日」の残骸を目にしたら、桂子と同じ反応を示すだろうか。玲於奈にはわからない。
幼い頃から自分は他の人と違っていた。もっとも、これまで玲於奈が出会って来た人たちはみんなアンドロイドだった。玲於奈の周りに人間は一人もいなかったのだ。クラスメートも。そして家族も……
「姉さん」
突然、背後から声がした。玲於奈は立ち上がって振り向く。そこには妹、伊於奈の姿あった。伊於奈が言う。
「姉さんは素直になったわ」
「えっ?」
「自分に素直になった」
「そんなこと……」
「みんなと違っていてもいいのよ」
「そうかな……」
「そうよ」
「伊於奈……」
「なに?」
「ほんとうにあなたなの?」
「そうとも言えるし、そうでないとも言える」
「はっきりとは言わないのね……」
「姉さん……」
「なに?」
「伝えたいことがあってきたの」
「伝えたいこと?」
「地球に向かって。わたしはそこにいる」
伊於奈の姿が消えた。視界がホワイトアウトする。そこで目が覚めた。桂子もソファーから身体を起こしている。桂子が言う。
「夢を見たわ」
「わたしもです」
「あなたも?」
「妹の夢でした。地球に向かってって……自分はそこにいるからって……」
「同じだわ……」
「また催眠音波発生装置が操作されたのでしょうか?」
「わからない……」
その時、天井で電子音が鳴った。人工音声が告げる。
「地球の太陽光反射率が変化している。全球凍結が終わっている可能性がある」
*
「催眠音波発生装置に操作の形跡は見つからない」
ラウンジに集まった玲於奈と桂子に人工音声、中央電算機構は言った。玲於奈はもう一度訊く。
「ほんとうに?」
「操作の形跡は見つからない」
そこで桂子が問う。
「無い、じゃなく?」
「そうだ。見つからない」
玲於奈は桂子に訊く。
「どういうことですか?」
「バレるような形跡を残さずに操作した可能性があると言うことよ」
「その通りだ」
中央電算機構が肯定した。桂子が言う。
「ここまでにしましょう」
「同意する。この件で分析を必要とする情報はない」
「じゃあ次ね」
桂子の目線に促され、玲於奈は考えてあった質問をする。
「地球の状態を教えて」
中央電算機構が答える。
「了解した。長距離観測装置が捉えた映像をディスプレイに出力する」
電子音が鳴り、ラウンジの壁面の一部が瞬く。次の瞬間、そこに青い惑星の姿が映し出された。中央電算機構が説明する。
「大規模な氷床は極地にしか見られない。海洋と陸地の割合は寒冷化が始まる前の状態と一致する。海洋表面の温度分布もおそらく一致すると思われる。地表面の平均温度は寒冷化が始まる前よりも高いと思われる。植物の繁茂がみられないことが原因と考えられる」
玲於奈は大写しになっている地球の美しさに見とれていた。青い大洋と白茶けた大地。そこここに渦巻く白い雲。後にしてきたテラ・セカンドを凌ぐ美しさだった。しかし……
「こんなこと有り得ない」
桂子が言った。中央電算機構が応じる。
「その通りだ。全球凍結は数千万年から数億年続くとされている。本船が木星圏を出発した九年前、地球はまだ全球凍結の状態にあった。わずか数年で今の状態になるとは考えにくい」
そんなやり取りを玲於奈は上の空で聞いていた。
「玲於奈?」
桂子が声をかけてきた。
「桂子さん……」
玲於奈は我に返る。
「大丈夫?」
「わたし……地球に行きたい……」
玲於奈は正直に今の思いを口にした。桂子が言う。
「そうね……いずれこの船の資源も尽きる。地球に住めたら一番いい。それが無理でも補給ができるのならありがたい」
「行けるんですか? 地球に?」
「必要な燃料は補給したわ。軌道計算とか少し準備が必要だけど。行こう、地球へ」
*
木星圏から転移したライトスター7は今、地球の衛星軌道上にあった。
玲於奈と桂子を乗せた原子力VTOLはライトスター7を離れ、地球の大気圏へと突入しつつある。
「玲於奈、大丈夫?」
バックシートに座る玲於奈に前席の桂子が声をかけてきた。玲於奈は答える。
「大丈夫です」
「船でも説明したけど、この機は大気圏突入後、マッハ三まで減速して成層圏を巡航する。いくつかの都市圏を上空から確認し、弧状列島にある大都市の跡に着陸する。船からの観測だと、そこに何かがあるようだから」
「わかりました」
「巡航状態になったら後部で休むよ。あとは電算機構がやってくれる」
「はい」
「あと二分で突入を開始するから」
「はい」
「じゃあいくよ」
「はい」
玲於奈と桂子を乗せた原子力VTOLは地球の夜半球を巡航していた。玲於奈は機の後部でベッドに入っていたが眠れないでいた。
地球か……その名前には懐かしい響きを感じる。でもなぜだろう。そこには何の思い出も無いし執着も無いはずなのに。
玲於奈が毛布に包まってもぞもぞしていると桂子が様子を見にやって来た。
「眠れないの?」
「はい……」
「そりゃそうよね。ここにやってくるまでいろいろあり過ぎたから」
桂子の言葉に玲於奈は思い出す。これまでの出来事を。
玲於奈は世代交代型恒星間宇宙船「明日」で生まれた。しかしその「明日」は、玲於奈が高校三年生のときに崩壊する。混乱の中、妹、伊於奈の助けで玲於奈は「明日」から脱出し、冷凍睡眠による眠りにつく。
次に玲於奈が目覚めたとき、そこは超光速恒星間宇宙船、ライトスター7の船内だった。パイロットの桂子による説明で、「明日」の目的地でもあった地球型惑星、テラ・セカンドの衛星軌道上に到着してから一年が過ぎていたことを玲於奈は知る。
テラ・セカンドはかつての地球とよく似ていた。そこには恐竜に相当する生物から進化したと思われる人類が文明を築いていた。玲於奈はどうしてもそこに降りる決心がつかなかった。
そして木星圏へ。
そして地球へ。
地球に到着し、原子力VTOLで成層圏を巡航しながら二人はかつての大都市圏を巡った。地表のあちこちには微小天体の衝突で出来たと思われるクレーターがあり、大都市圏の幾つかはそれらのクレーターによって消え去っていた。
弱いGがかかった。機体が旋回しているのだ。玲於奈は回想から引き戻される。エンジンの唸りが心地よい。
「あと二時間で東京に着くよ」
桂子が言った。
*
玲於奈と桂子は弧状列島にある大都市の廃墟、かつての東京に立っていた。
抜けるような青空が広がっているその下に、ひしゃげ、基礎部分のみになった建造物が無数に広がっている。
そんな中、異彩を放つものが青空を背景にそびえていた。
見上げるばかりに高い四角柱。上空からの観測だと、天を突く先端部分は四角錐になっている。
これはオベリスクだと玲於奈は思った。世界史の授業で習った記憶があるのだ。かつてのビル群が基礎しか残っていない中、どうしてこんなものがここにあるのだろう。玲於奈は桂子と顔を見合わせた。二人の間を風が音を立てて吹き抜ける。
風が止んだ。オベリスクの上から下へと玲於奈は視線を移動させてゆく。
地上ニメートル付近から根本にかけて、びっしりと何かの紋様が刻み込まれている。
玲於奈はオベリスクにふらふらと近づく。
「近寄っちゃだめ!」
桂子が止めた。しかし玲於奈の歩みは止まらない。オベリスクの根本に片膝をつく。
「玲於奈!」
桂子が玲於奈を抱え起こそうとする。玲於奈は自分で立ち上がる。
「大丈夫です」
そう答え、ちょうど自分の目の高さの壁面に視線を向ける。そこには見知った文字が書かれていた。
「桂子さん、ここに書かれているのは言葉です。たぶんいろいろな言語の」
玲於奈の視線を追った桂子は同意する。
「そうね」
「あそこに日本語が書かれている」
玲於奈が指さす。二人は声に出してその言葉を読んだ。
「全てはここから始まる」
突如としてオベリスクが光り輝いた。眩しい。玲於奈は目を細め、両手で顔面を守る。
地面が揺れた。玲於奈は地面にしゃがみ込もうとする。だが、できない。オベリスクからあふれ出す大量の何かがそれを許さなかったのだ。
それは生命の奔流だった。
玲於奈と桂子はその奔流に飲み込まれていった。
*
気づいたとき、玲於奈は高層ビルに囲まれた広場のベンチに腰かけていた。隣には桂子の姿がある。
二人の目の前を行き過ぎる人の波。
ビルの一つに設置されている大型スクリーンからはニュースが流れている。
「――オールトの雲から飛来したとされている彗星が、まもなく地球の近くを通過します――」
突き刺さる夏の日差し。
桂子が言う。
「暑いね」
玲於奈が答える。
「そうですね」
玲於奈と桂子の新しい明日が始まった。
新しい明日 辻井豊 @yutaka_394761_tsujii
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