エピローグ 後編

 私が校長室に「失礼します」と言って入ると、今野校長は窓の外を眺めていた。

「七瀬先生。初めての合宿どうでしたか?」


 今野校長は外を眺めながら、扉の前に立っている私に質問してきた。

「トラブルはありましたが、生徒たちの仲が良くなったようで、行ってよかったと思います」

 私は当たり障りのない回答をする。

 一体、松井氏と今野校長がどんな関係なのか、もし仲間ならば、私はどうなるのか、内心、穏やかではなかった。


「そうですか」

 そう言って、今野校長はブラインドを閉め、私の方を向き、私にソファーを勧めてきた。

 今野校長と私は机を挟んで向かい合わせでソファーに座る。


「まず、七瀬先生には、謝罪と感謝をしなければならない。本当にすまなかった。そして、ありがとう」

 今野校長が私に向かって深々と頭を垂れた。一体、何のことか見当がつかなかった。

 私の戸惑ってる顔を見て、今野校長が続けた。

「そうだね。君が戸惑うのも無理はない。まずは、私の正体を明かさねば、君の信用は得られないだろう。私は、防衛省情報本部、戦時機密情報管理課に所属している今野忠行だ。君は知っているかもしれないが、この献栄学園は、戦時中、七三一部隊の研究施設だった。それ故、私はこの場所の監視及び情報の管理の任を負って、この学園にやってきた。潜入捜査みたいなものだ」

 今野校長は静かに語った。


 犬飼誠司先生の残したラボでの警察の捜査といい、今回の警察署での事情聴取といい、どこか警察の対応に手ぬるさを、私は個人的に感じた。

 裏で国家規模の組織が管理しているとなれば、警察の対応も腑に落ちる。

 でも、この話を、そのまま信じてよいのだろうか。


「校長先生。先生は、この合宿で私の身に何が起きたのかご存じなんですか?」

 私は今野校長を試した。


「なるほど、まだ信用できないようだね。いいだろう。本来なら認められない合宿を特例で認めたのは、高木町で不審な動きがあったからだ。それと、この学校に住み着いていた黒猫、実験体C05が行方をくらませたというのもある。誠司君のラボを見つけ、戦時中の遺物であった覚虫さとりむしのサンプルを確保した君なら、きっと何か成果をあげてくれるはずと期待していたんだが、その結果、君を危険な目に合わせてしまったということだ。本当に申し訳ない」

 再び、今野校長は頭を下げた。


 聞きたいことは山ほどある。

「もし、私が命を落とすようなことになったら、どうしたんですか?」

 私は少し腹立たし気に問いかけた。


「もちろん、そのケースについてもフォローする計画があったさ。あの時、君があのまま松井君に絞殺されそうになるのなら、松井君を狙撃するというプランがね。ただ、大事おおごとになるので、出来る限り使いたくない手だったから、使わずに済んで良かったと思っているよ。それに気づいているかもしれないが、大山先生をはじめ生徒たちが早く駆け付けただろう?」

 今野校長は私に聞いてくる。


 私は思い出す。

 竜神の大滝の橋まで来たのは、大山先生、佐藤さん、鈴木君、そして、駐在さん。

 そうか。ミハエルを別の誰かに任せられたから、思った以上に早かったのか。

「警察が既にあの付近に待機していたから早かった。そういうことですね?」

 私は今野校長を見る。


「うむ。ご名答。松井君は、あの夜に海外に高飛びする計画だったから、君のおかげで、海外に機密を漏らされずに済んだよ。礼を言う」

 今野校長は微笑んでいた。


「校長先生は、松井医師と一体どんなご関係なんですか?」

 私は今野校長に最大の疑問をぶつけてみた。

「彼か。彼は、機密情報をもとに新たな応用を探る研究施設に所属していてね。まぁ、つまり、医学や工学、薬学、生物学と多岐にわたる研究を行っている場所があって、そこの研究員だったんだ。私は事務方の人間なので、方々を査察に行くんだが、彼とは年が近くて、酒の趣味が似ていたから、たまに飲みに行く間柄だったんだ。でも、彼は悪魔に魂を売ってしまった。つまり、私たちを裏切って、背徳の研究に手を染めるようになってしまったんだ。これが、私から君に話せる精一杯の内容だ」

 今野校長は少し陰りのある表情を見せながら、話せる範囲で話してくれた。


「そうですか。ありがとうございます」

 なるほど、ミハエルの送りつけたあの写真は、最後の抵抗だったのかもしれない。私が今野校長に不信感を抱き、組織内部を混乱させるための。


「それで、校長先生ならご存じかもしれませんが、高木町の森の中の洋館。あそこはどうなるんですか?」

「あぁ、あそこか。あそこには例のYoutuberの撮影機材が置いてあったから、警察の捜査で、様々な証拠品が回収されたはずだ。その中には松井君が研究していた内容も含まれているよ。一部の情報は海外に流出しているかもしれないが、オリジナルはきちんと我々の手中にある。だから、安心したまえ」

 今野校長は静かにことの顛末を教えてくれた。


 どこかに筋書きが用意されていて、それを元に警察が動いて証拠品を集めていく。

 国家権力の恐ろしさを垣間見た気がした。


「さて、最後に君に言っておかないといけないことがある。私は、この三月で献栄学園を去る。次の校長は、普通の校長だ。そして、この学園での監視と証拠品の押収が済み、高木町の一件も落着した。君は晴れて普通の教師生活に戻れる。ゆえに、これ以上、この事件には首を突っ込まないでいただきたい。いいね?」

 今野校長からくぎを刺された。

 私自身、今回のような生死を分けるような事件なんてまっぴらごめんだ。

「はい」

 私は素直に返事した。


「よろしい。あと、もしかすると、この学園の隠れた場所に誠司君の遺した手記があるかもしれない。もし、見つけたら、司郎先生に形見の品として渡してあげてほしい」

 今野校長は微笑みながら、そう言った。


 私は「はい」と言って、小さく頷いた。


 今野校長が言う手記というのは、きっと研究書の類ではなく、もっとプライベートなものなのだろう。


 私は「失礼しました」と言って校長室を後にした。

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シーニー 夏久九郎 @kurou_kaku

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