幻聴

林明利

幻聴

 頭の中で鳴り響く声達を、頭を振って追い出した。

 ノック。

「今開けるねー」

 中から声が聞こえてきた。

 目の前の扉が開く。

「こんばんわ、森田くん」

「尾倉さん、ご無沙汰してます」

 扉の枠を越えると、森田を取り巻いていた重く、じめじめした空気が、ひんやりと冷えた、軽やかな空気に吹き飛ばされた。

「エアコン、つけてくれてたんですね。すみません」

「えー? いやいや、気にしないでよ。あたしがひんやりしてたかっただけだからさ」

 尾倉はそういってソファに半ば飛び乗るようにして座った。

「それで、元のやつらは?」

「大丈夫。さっき見てきたけど、普通に飲んだくれてる。情報通り、取り巻きは五人だね」

「承知しました。決行します」

「おっけい!」

 森田は近くにあった机の上にアタッシュケースを置いた。

 吐息。

 肩越しに尾倉が手元を覗いていた。

「ちょ、なんですか?」

「え? 森田くんって面白い銃使うって聞いてたから、見てみたいなって」

「あぁ、それなら、ちゃんと見せますから少し下がってください」

「ごめんごめん~」

 尾倉は分かりやすく体を弾ませて一歩ずつ後ろに下がった。擬音を当てはめるなら、とんとんとん、といったところだろうか。

 ケースの蓋を開ける。

「今日もよろしくな」

「こちらこそー」

「あ、いや尾倉さんに言ったわけじゃないです」

「えー、つれないなぁ。その銃に言ったってこと?」

「はい」

 箱の中に収まった愛銃をそっとなでた。

「返事とかないでしょ」

「はっきりは聞こえないですけど、ある気がします」

「銃の声が?」

「えぇ」

 ケースから本体を持ち上げた。

 マグプル社製、FDC-9。アメリカ生まれのこの銃は、ひょんなことから裏社会に渡り、巡り巡って日本の、森田の手元にある。

 ベースはかの有名なポリマーフレームの拳銃グロック。そのため口径やマガジンの入手もそこまで困難ではない。

「はぇー、それが、銃なの……?」

 尾倉さんがそう言うのも無理はない。今、FDC-9は直方体の黒い箱だからだ。

 森田は笑った。

「見てて下さい。きっと尾倉さんなら気に入りますよ」

 森田が銃側面のラッチを外すと、心地よい金属音と共に、銃のシルエットが様変わりした。長方形の下半分が弧を描くように展開し、上半分の後ろについたことでストックになった。

 今まで箱のような形をしていたものが、一瞬でカービンの形状になった。

「わぁー! 凄い凄い!」

 案の定はしゃぐ尾倉。 

 森田は同じくアタッシュケースに入っていたマガジンを取り出した。十七発入りの通常マガジンが二つ。三十三発入りのロングマガジンが一つ。どれもグロック社製の正規品だ。

 既に弾丸は収まっている。十七発入りのマガジンを一つ手に取り、空いてる手のひらに数回、軽く叩きつけてから、FDC-9のグリップにある装填部に差し込んだ。

 かちゃり、と音がして、マガジンが固定される。

 チャージングハンドルを引いて初弾を装填しておいた。

 もし、今日撃つことがあれば、速やかに全員を処理しなくてはならない。

 ふいに後ろでも金属音がした。見れば尾倉も拳銃の用意をしていた。

 小振りでコンパクトな拳銃。確か、メーカーはスプリングフィールド。

 見つめるこちらの目線に気付いたのか、尾倉が振り返った。

「あたしは自分が死にそうな時しか撃たないからね?」

「分かってます」

 尾倉──殺し以外のあらゆる業務を請け負う、裏社会の何でも屋。彼女は言語、機械、捜査など様々な技術を持ち合わせており、その芸達者な何でも屋を雇おうと顧客はあとを絶えない。

 森田の上司である多良見もまた、尾倉のとある技術を借りようと、雇って森田と組ませたのだ。

 尾倉がポケットの中に拳銃をしまったのを見届けて、自分もFDC-9を再度折りたたみ、今度はアタッシュケースに入れずそのまま、サイトと一体になったキャリングハンドルを持った。端から見れば、ただの作業箱にしか見えない。

 腰に差した予備の拳銃──グロックのコンパクトモデル、G43──を服の上から触って確かめた。こっちは既に確認も装填も済ませてある。

 尾倉の方に向き直った。

「では、行きましょうか」

「おーう」

    ※

 向かいのビル、四階の廊下を進んでいく。突き当たりにあるバー。

 森田はワイシャツにネクタイ。

 尾倉はおしゃれに着こなした私服。

 組み合わせとしてはややいびつだが、仕事上がりの会社員だと見えなくも、ないだろう。

 無理矢理自分に言い聞かせた。

「尾倉さん、私服で良いんですか? 汚れるかもしれませんよ」

「大丈夫、選りすぐりの戦闘服だよ」

「そうなんですか」

 店の中に入った。

「いらっしゃいませー」

 なんの疑いの目も持たず、森田達を迎え入れる従業員とバーテンダー。

 ほとんどが外国人だ。

 日本にも、異国の地は存在する。

 そこにいる人々の文化がそこでのルールになるのだ。

 森田は仕事柄そういう地区や場所に出入りすることが多い。

 恐らく、尾倉も全く訪れたことがないわけではないだろう。

 歩みを進め、窓際に面した奥のボックス席を見つける。

 スーツをだらしなく着崩した六人の男達。テーブルの上で光る、色とりどりなグラスとドリンク。

 男達を素通りし、目線は窓の先へ行く。向かいのビル。あちらの建物で、森田が合流するまで尾倉が双眼鏡でこちらを監視していたのだ。

 ふいに中国語が聞こえた。

 自分に向けられたものだと、なんとなく分かった。

 男達に向き直る。

「Do you speak Japanese?」

 中退した高校で学んだ教科書レベルの語彙力をフル活用し、男達に話しかける。

 正面にいる男。恐らくこいつが元だ。

 元はこちらをじっと見つめ、ニヤニヤと笑い、取り巻きに何ごとか言った。

 笑いが起きる。

「How about English?」

 中指が突き出された。

 だが、それはつまりこちらの言葉を理解した上での挑発だろう。

 こちらから一方的に用件を伝え、その後はあちらの対応次第だ。

「尾倉さん。バトンタッチです」

「おっけぃー」  

 森田が一歩下がり、逆に尾倉が一歩踏み出した。

「Excuse me, Mr.Gen. I know that you were surprised.I'm sorry for visiting on you so suddenly. 」

 尾倉の口から、自分のものとは比べのものにならないほど正確な発音で発せられる英語の声。

 多良見は尾倉の”声”を借りたのだ。

 多良見や森田が所属するのは比較的昔から続いているやや小規模な組織なのだが、そのせいもあってか、グローバル化する裏社会に対応しかねており、海外系マフィアとの交渉が困難を極めていた。

 一度、韓国系のマフィアと交渉した際にこちら側の構成員が翻訳アプリを使用したのだが、誤訳により一瞬で交渉が決裂、敵味方計七名が死亡し、その他も重体となる大惨事が起きたことがある。

 交渉班──といっても実状は脅しや圧をかけた挙げ句応じないなら見せしめに殺害しようとする血の気の多い部隊だが──をとりまとめる一人である多良見は、今回元が幹部を務める中国系犯罪グループとドラッグのシェアについて”話し合わ”なくてはならなくなった今回の交渉にあたり、森田を向かわせる他、機械ではない、直に声でやり取りできる生身の”通訳”が必要だと判断した。

 何やら激しい音がした。

「Don't kiding me. ──No.」

 元がいわゆる台パンをして、満面の笑みでそう言っていた。

 元の流ちょうな英語から聞き取れた情報から察するに、交渉は決裂しそうだ。

 尾倉が一歩下がり、森田の横に立った。

「ごめーん、これは無理そうだわ」

「そりゃ今までの三分の二未満に縄張りを縮小しろって言われたら誰でもキレますよね」

「じゃあ、どうすんの?」 

「下がっていてください。もし良ければ、後ろの警戒を」

「分かった」

 尾倉の目つきが鋭くなった。

 元が立ち上がりながら、中国語で何か言った。

 大方、何勝手に話進めてんだ、などと言っているのだろう。

 元が目の前に立った。こちらをにらみつけている。取り巻きの目線も、こちらの顔に集中している。

「Mr.Gen. This is the last chance.」

 自分の口から発せられるジャパニーズイングリッシュ。

「Your English is terrible.」

 笑みを浮かべた元がこちらを煽る。

 そんなこと知っている。

 右手の感覚。誰も、森田が片手に提げた箱が銃だと気づいていない。

「Then, you go to hell.」

 元の笑い声。

 さりげなくFDC-9を持ち上げる。

「Come on. How to do it? Huh?」

 顔の横で、縦に持ったFDC-9の重み。

 元の質問に笑って答えた。

「Like this.」

 ラッチを外す。軽やかな金属音と共に、黒い箱はカービンへと姿を変えた。

「What──」

 腰だめに構え、問答無用で引き金を引いた。

 銃声。左から右へなぎ払う。

 フルオートのFDC-9は、十七発をあっという間に撃ち尽くした。

 わめき声。一人やり損ねた。 

 拳銃を抜きつつこちらに迫ってきた男を蹴り飛ばす。

 素早く弾倉を捨て、ロングマガジンを一本取り出し差し込んだ。

 装填。

 九ミリの弾幕が男を吹き飛ばした。

 薬莢が床に跳ねる音。銃声の残響。それしか聞こえるものはなくなった。

 肩をとんとん、と叩かれる。

「森田くん、後ろ。敵か分かんないけど、誰か来る」

「分かりました」

 今度は腰だめでなく、しっかりストックに頬を当てて正面に構える。

 荒々しい足音。

 人影が見えた瞬間、弾丸が飛んできた。

 撃ち返す。銃声から考えるに三人。今一人かたづけた。

 恐らく残り二人も拳銃。

 弾丸をばら撒いてから柱の裏に隠れた。

「尾倉さん──」

 既に、バーカウンターの裏に隠れていた。

「あたしは大丈夫!」

「そこでじっとしてて下さい!」

「おっけー!」

 残り少ない弾倉。新しい弾倉が十字に交差するように持ち、古いのを引き抜いて新しいものを装填した。

 低い姿勢で柱から飛びだし、その勢いで入り口に銃撃を加える。

 一人もんどりうって倒れた。

 もう一人は──見えない。

 一つ隣の柱の裏に滑り込む。

 弾丸が飛んできた。

 腕にかする。

「いってぇ」

 組織でこんなことをする職に就いてから、数ヶ月がたち、いくつも仕事をこなしてきたが、銃で撃たれるというのはなかなか慣れたものではない。

 反射的に身を隠し、傷を確認しようとする。

 足音。

 敵が距離を詰めてきたのだ。

 反応が遅れる。本能的に悟った。

 銃声。

 呻き声と共に、男が目の前に倒れ込んできた。足と、手に被弾しており、拳銃が少し手前に転がっていた。

 反射的に蹴り飛ばす。腰からG43を抜いた。

 男がこちらを見る。自分より年下、まだぎりぎり二十代になっていなさそうな、あどけなさと若々しさを思わせる顔だった。

 銃口を向ける。

 彼の顔が、はっきりと恐怖の色に染まった。

 声が聞こえた。

 彼の呟く中国語。命乞いをしているのだろうか。

 何を言ってるか考えるのはやめた。

 彼は”声”になって残りそうだ。

 引き金を引いた。

 少年を撃ち殺したことより、気になることがあった。

 尾倉の手に握られたスプリングフィールド。

「尾倉さん、今こいつのこと躊躇なく撃ちましたよね。 隠れてれば見つからなかったんじゃ?」

「でもさ、結果的に森田くん助かったでしょ。あたしだって仲良くなった若い子に目の前で死なれたくないよ。あたし森田くんのこと気に入ってるから。他の殺し屋とかよりなんか健気で」

「そうですか?」

「それに、そいつの足と手しか撃ってないから」

 ”若い子”という表現。面倒見の良い尾倉らしい表現だ。

 自分はまだ二十代そこらで、前に本人が言ってたのを思い出せば、尾倉は二十代後半から三十の始め。そんなに年が離れているわけではないのだが。

 まぁ、そんなことをいちいち考えている暇はない。

「離脱しましょう。敵の増援や警察が来ると厄介です」

 G43を腰のホルスターに収め、FDC-9を折りたたんだ。

   ※

 向かいの建物の部屋に戻ってきた。

 冷えた部屋に入るなり尾倉は疲れたー、と言ってソファに倒れ込んだ。

 森田はスマートフォンを取り出して多良見に連絡を取る。

「もしもし、森田です。終わりました」

『ご苦労だ。敵の生き残りは?』

「はい、全員始末してます。掃除屋の方はどうですか?」

『警察に偽装した連中がもう向かってる。見せしめ用の写真も無事取れるだろう。じゃ、いつも通りゆっくり休め』

「はい。ありがとうございます」

『森田……』

「……、どうかされましたか? 多良見さん」

『いや、”声”の方はどうだ……? また、増えそうか?』

「多分、そうなりますけど、大丈夫です。もう慣れましたから」

『すまないな、俺が無理矢理引き込んだばかりに』

「多良見さん。そんな昔のこと、もう気にしないで下さい。毎回仕事終わりに言ってたらお互い面倒ですよ。僕は大丈夫ですから。また事務所に顔出しますね」

『おう……』

 電話を切ってポケットの中に入れた。

 真横に尾倉の顔があった。

「うわっ、なんですか?」

「電話で言ってた”声”ってなに?」

「聞かれてたんですか……」

 仕事を始めてすぐのことだった。人生で初めて殺めた男──死んだはず──の声が、ふとしたときに聞こえるようになったのだ。

 男の声が聞こえることは覚えているのだが、夢と一緒で、なんと言っていたかまでは思い出せない。

 仕事を重ねるに連れて、”声”は増えていった。

 耳鳴りと同じようなものだと割り切り、今ではほとんど気にならなくなっていた。

 一通りの話を聞いた尾倉は神妙な顔つきだった。

「ふぅん、つまり森田くんは死んだ人の声が聞こえるってこと?」

「いや、死んだ人というよりは、僕が殺した人、と言った方が正しいですね。それに、全員”声”になるわけじゃないんです」

「へぇー、不思議」

「多分僕の精神的な問題だと思います」 

「じゃあさ、仕事行く前に言ってた銃の声が聞こえるっていうのもそういうこと?」

「そんな話しました?」

「したよー!」

 ちょうどFDC-9をケースにしまうところで思い出した。これをケースから取り出すときにそんなことを言った気がする。

 言われてみれば、確かに人の声と同じ類いだ。

 なんて言っていたかは思い出せないが、何か言っていた記憶はある。

「ほんと不思議だ……」

 誰とも無しに呟いていた。

「森田くん、ほんと大変そうだったら病院とかセラピーとか行ってみたら? ほらPTSDとかあるじゃん。心配だよ」

「まぁ、そうしてみます」

「うん。あたしね、勘が良いから分かるんだ。森田くんは良い仕事人になるよ。だから、死んで欲しくない。仕事仲間でね、牧野くんっていう年下のやつがいるんだけど、そいつがめっちゃ優秀なの」

「へぇ、そうなんですね」

 牧野──どこかで聞いたこたことがある。逃がし屋、みたいな稼業をしていたはずだ。

「森田くんは、なんか牧野くんと同じ雰囲気がある。このまま成長すればプロの業者とかも夢じゃないよ!」

「心優しい先輩のアドバイスと思って受け止めますね」

「ちょっと、思うじゃなくて、ガチだから──」

 どこかしらで、ポップスの電子音がなった。確か、一昔前に流行った平成の曲だったはず。

「あっ、電話だ。……噂をすれば牧野くんじゃん。仕事かなぁ……? あ、それじゃ、またね! 報酬は多良見さんから受け取っとくから」

 早口でまくし立てた尾倉が扉を少し開け、その隙間から滑り込んで出て行った。

 部屋が一気に静かになる。

「プロの業者かぁ」

 呟いてみたが、実感が湧かなかった。

 銃と部屋の後片付けを再開する。

 人の声が聞こえた。

 さっき殺した中国マフィアの少年。直感で分かった。

 その声は、死者の怨念か、はたまた自分の脳が奏でる幻聴か。 

 面倒くさくなって、考えるのを辞めた。

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幻聴 林明利 @H-akitoshi

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