第13話 復興

焼け焦げた城下には、まだ炭の匂いが残っていた。 くすんだ空、焦げた屋根、剥がれた土壁――見る者に苦難の記憶を呼び覚ます風景。 それでも、時は流れていた。 いつしか瓦礫の隙間から、復興の槌音が響きはじめた。

男女も、老若も、身分すらも――誰もが物を言わず、ただ黙々と働いていた。 火傷を負った手で鶴嘴を振るう者、骨折の腕を吊ったまま荷を運ぶ者、 泥にまみれながら笑い合う子供たちの声が、崩れた町の片隅に花を咲かせていた。

そのころ、町外れの屋敷では、 一人の青年が目を開けようとしていた。


与次郎がまぶたを開けると、眩しすぎる陽の光に思わず顔をしかめた。 視界の中で最初に飛び込んできたのは、泥で染まった袖と、丸い瞳の少女だった。

「お殿様! お殿様ーーーーっ! 与次郎どんが起きましただぁ!」

その声が木霊のように屋敷中に響き渡る。 慌ただしい足音が続き、間もなく“お殿様”と呼ばれる『梅』が、 そして『松』、『竹』が、転がるように寝室へなだれ込んできた。

三人とも顔中が泥まみれだった。 服はところどころ破れ、爪の隙間には土が入り、目の下には深いくま。

「よくぞ起き上がれたな、与次郎!」 『梅』が力いっぱい声をかける。

「三日も寝ていたのだぞ! 皆で順番に見守っていたのに、とうとう女房殿に押しのけられちまった!」 『松』が口を曲げて笑う。

「女房殿は無事だ。早く会いに行ってやれ。 気丈にふるまっていたが、あの目の奥にはいつも涙があった」 『竹』が優しく言葉を添える。

与次郎は少しだけ上体を起こすと、 目の奥から洪水のように記憶が溢れ出してくる。

――山城守との別れ ――武蔵守の圧政 ――恐怖、一揆、苦戦、そして解放

それらすべてが奔流となり、胸を突いた。

「と、殿様……俺は、俺は……」

堰を切った涙が、まっすぐ目尻から流れた。 嗚咽は言葉にならず、ただ、胸の奥から噴き上がる。

『梅』が笑った。

「なんだ与次郎、お前もとんだ泣き虫だな。あの一揆の首魁様がこれじゃ、敵方も浮かばれまい」

『松』が即座にからかった。 「おう『梅』よ、言えた口かよ。 一昨日は『与次郎が起きない〜』って、井戸端で目を腫らしてた癖に」

「いいんだよこれで。 納得できるまで泣いてしまえ。 泣ける時に泣ける者こそ、強き者よ」 『竹』の言葉は、静かに胸を打った。


しばし笑いと涙が交錯したのち、 『梅』は腰を正して、まっすぐ与次郎に向かって言った。

「……中途半端に城下を放り出したせいで、こんな騒ぎを起こしてしまった俺たちも悪い。 もう当分は、ここから離れぬ積もりだ」

与次郎の顔が、少しだけ明るくなる。

「……また、山城守様に戻っていただけるので?」

『梅』は少し目を伏せた。

「それは分からん。 右大臣が高転びした今、天下がどう転がるか見当もつかん。 穏当な大名につければ、城主の座は降りて、郡代あたりに落ち着こうかと思っている」

『松』が手を後ろに組んで言う。

「今更、一城の主を気取って天下に挑む気力もないしな。 この城下だけは守りたいが、外の政には関わりたくないのが本音だ」

『竹』が付け加える。

「幸いにも、隣の三河守殿とは面識がある。 もし声をかけてくれたら、従うのも悪くはない。 あの人ならば、民の声を聞く器がある」

与次郎は大きく頷いた。

「……それを伺えて、安心しました。 今度こそ、この城下に根を張ってくだせえ。 おいら達が流さずに済む涙のためにも」

『梅』は、深く頷いた。

「ああ。約束するよ。 この地に骨を埋めるつもりでいる」

与次郎は一歩顔を近づけて、静かに言った。

「そこで一つ、お願いがあるんですが……」

『梅』が苦笑した。

「ん? 何だ? 何でも聞くぞ。 与次郎、命を張って守ってくれた者の願いなら、何だって叶えよう」

与次郎は少しだけ頭を下げて――照れながら言った。

「嫁を取ってくだせえ。 うちの親父も安心します」

その場に笑いが弾けた。

『松』が腹を抱えて笑い転げた。 「いきなり人生設計まで叩き込んできやがった! 与次郎よ、お前の親父様は賢者だな!」

『竹』はふき出しながら、「候補は城下に沢山おるぞ、惚れられてるのは間違いないが、尻を叩かねばな」と言った。

『梅』は、手を後ろに回しながら微笑んだ。

「……そうか。では、嫁探しがこの城の第一の政になるな」

笑い声が、焼けた城下に花のように咲いた。 槌の音に混じって、その笑いはゆっくりと広がっていく。

その音が、やがて次なる誓いの礎になることを、 誰もが信じて疑わなかった。

(了)

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下忍、「松竹梅」 崩れ @Kuzure0

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