第12話 過去との決着

爆音は城下の隅々にまで響き渡っていた。 空気そのものが緊張し、あちこちの家の障子がわずかに震え、雀の鳴き声さえ消えていた。 その轟音に応じるかのように、ひときわ鋭い足音が近づいてくる。

「鳳凰」が姿を現した。 何人かの部下を連れ、馬の手綱も引かずにただ歩いてきたその姿は、まるで静かに狩場へ踏み込んでいく猛禽そのもの。 髪を結わずに下ろしたまま、薄手の鎧の下に、刃と殺気だけを携えていた。

「――『梅』か」

声は低かったが、殺意の振幅は凄まじかった。

『梅』は眼差し一つで応じた。 「よう、鳳凰。犬の生活を愉しんでいるようだな――それも今日で終わりだ」

言葉が終わるより早く、鳳凰が吠えた。

「――殺す!」

刃が光った瞬間――『梅』が片手を軽く上げる。

その仕草は、まるで合図のようだった。

すると、地べたから槍を構えた兵たちが次々と現れた。 信濃守の旧臣たち――かつての戦友であり、民の守護者たち。 彼らは菰の上に土をかぶせ、見事に地面と化して待ち伏せていた。

「槍衾、前へ出ろ!」

掛け声とともに、十余本の槍が音を立てて前進する。 疾風のような勢いで、『鳳凰』一人に狙いを定めた。

正面から迫る数本の槍を、『鳳凰』は無造作に叩き折った。 反撃に転じようとしたが――左右から通過した筈の長槍隊が、いつの間にか背後を突いた。

それにも反応し、回転するような動きでさらに数本を叩き割る。 しかし、槍兵たちは脚を止めなかった。 踏み込み、捻り込み、隊列を崩さずに距離を詰める。

その時だった。

傍らから果実が潰れるような音が響いた。

簓のように砕かれた槍先が、『鳳凰』の脇腹を貫いた。

「う、うおおおお――ッ!!」

叫びが空に裂けた。

それでも『鳳凰』は脚を踏み鳴らし、一気に飛び上がった。 狙うは頭上からの斬撃、『梅』を仕留めるつもりだった。

だが――『梅』の方が、さらに高く飛び上がっていた。

空中で交差する二人の間に、稲妻のような閃光が走る。

脇差しの一閃。 その軌道は、『鳳凰』の頭蓋を正確に割った。

糸の切れた人形のように、『鳳凰』は地面に崩れ落ちた。

『梅』は地面に着地した後、息を吐きながら呟いた。 「――脇を貫かれても、あれほど飛び上がるとはな…… 化け物だ。こいつらは」


「!!!」

鳳凰が斃れた瞬間、『朱雀』が目を見開いた。

その瞳は、言葉で表せぬほどの殺意に満ちていた。 全身が震え、霊力のようなものが熱を帯びて噴き上がっていく。

朱雀は、不気味に湾曲した片刃の刀を取り出した。 その刃は、古傷のような刻みがあり、生き物のように震えていた。

一気に突進。 動きは回転しながら、切り裂く竜巻のようだった。

信濃守の長槍兵たちが突き出すも、すべて弾かれる。 刀身の軌道にかすった槍は、木片となって地面に散った。

あと、数歩で『梅』の位置に到達。

一歩進む――(鳳凰よ、仇を取ってやる) 二歩進む――(口舌の『梅』など、一撃で屠ってみせる) 三歩……脚が、前に出ぬ。

何故だ?

影の下から、声が響いた。

「化け物でも、お仲間は大切だったんだな」

己の両脚に、何かが絡みついていた。 『松』だった。

いつの間にか彼は地面から這い寄り、 朱雀の両脚にしがみ付いていたのだった。

朱雀は絶叫し、凄まじい勢いで刀を振りかぶった。

その刃は、脳天を狙っていた――だが、その瞬間。

乾いた一発の音。 風が破れるような衝撃。

視界が真っ赤になった。

「??」

朱雀は気づかなかった。 眉間に丸く開いた穴を。

それを穿った『竹』の鉄砲の存在を。 朱雀の思考は寸断され、感覚が崩れていく。

全てが血に染まり、 そして、深い闇が何もかもを綴じていった。


辺りは静かになっていた。

焼けた土の匂い。 血と汗と土の混ざった空気の中に、三人が立っていた。

『梅』の顔には汗が流れ、呼吸が重かった。

「ばらばらにやって来てくれたお陰で、策が決まったな」 声は落ち着いていたが、胸の鼓動は響いていた。

『松』は肩で笑った。 「ああ……とんでもない奴等だった。 どんな戦場にも、ああいう化け物は一人いれば充分なのに、二人もいたか」

『竹』が火縄を消しながら頷いた。 「それでも、誓いが勝った。 俺達が何のために戻ってきたのか、今やっと明確になったな」

三人は振り返った。

そこには、与次郎たちが立っていた。 顔には疲労と感涙、そして――希望が宿っていた。

戦はまだ終わらぬ。 だが、“恐怖”に名を刻んでいた影が消えた今、 その先の道は、確かに拓かれていた。


何もかもが、音を立てて逆転していた。 静かなる民の怒声が、武士の命を裂き、 かつて無抵抗だった町の空気は、今や咆哮の熱に包まれていた。

一揆衆が、信濃守の旧臣たちが一斉に立ち上がった。 かつて恐れに凍えていた者たちが、今は剣を手にして進撃していた。 『武蔵守』配下の侍たちは、かつての冷笑とは対照的に、今は慌ただしく敗走を始めていた。

その大地からは、「鳳凰」も「朱雀」も、もう返答しなかった。 畏怖を纏い、残虐を誇ったあの二人は、 今や過去となり、影の奥へ沈んでいた。

『武蔵守』――玄武は、懸命に馬を駆けていた。 眼の中には焦燥と混乱が交錯し、 その背筋は野望と疑念に裂かれていた。

(馬鹿な…こんな筈がない)

今日こそ、頭目の首を刈り取ると確信していた。 一揆衆の残党を囲い、信濃守の旧臣を分断し、 京の政変に乗じて一気に制圧する――それが、玄武の構想だった。

だが、城中で勝利の報を待っていた彼の耳に届いたのは、轟音だった。 揺れる地面。傾く視界。 城の基礎が爆破された。地が、まるで怒っていた。

(真逆…あの三人か?)

それは、『梅』――あの卑屈な下忍どもではないのか? 領民に額づき、命乞い同然に保護を願っていた奴らが? 奥州か鎮西に、右大臣様の勢力圏外に逃げたとばかり…

だが、彼らは戻っていた。

玄武は混乱とともに、次第に蘇ってくる“欲望”を感じていた。

右大臣様が討たれた――その報せに最初こそ茫然としたが、 やがて胸の奥で何かが擡げてきた。

独立。天下。支配。

右大臣から預かった強兵。 何よりも、恐怖の象徴だった「鳳凰」と「朱雀」が彼の手の中にある。

仇討ちを名目に京へ攻め入り、下手人の首を掲げる―― そうすれば、たとえ新参でも、次なる天下人の座が近づく筈だった。

だがその時点で、彼の手には既に空しか残っていなかった。

何度呼子を鳴らしても、あの二人は現れなかった。

(まさか…討たれたのか?)

あり得ぬ。 あれだけの恐怖を城下に撒き散らしていた。 反抗できる者など残っていない筈。

いや、僅かな例外だけは存在した。 一揆衆、そして信濃守の遺臣。

だが彼らは、間違いなく追い詰めていたはずだった。

それでも、鳳凰も朱雀も沈黙した。

(ええい、役立たずめ!!)

その瞬間だった。


「久しいな、玄武」

頭上から響く声。 あまりに冷静で、あまりに遠く、そしてあまりに近かった。

玄武は馬を止め、顔を上げる。 そこには――

『梅』がいた。

玄武は呻いた。 「『梅』…貴様が……」

『梅』は静かに歩み寄った。 「『何もせんよ』と約束した割には派手に壊してくれたな。何を夢見ていたかは知らんが、もうそれもお終いだ」

「貴様ごときに……!」

『梅』は首を傾けた。

「お前は、他の上忍共とは違い、鍛えていた。 俺は下忍として、多少は尊敬していた積りだった。 だが、それも――とんだ勘違いだったようだ」

玄武は太刀を抜く。

「侍大将らしく、自害しろ」 『梅』が言い放つ。 「俺が、介錯してやる」

「う……うわあああああッ!」

玄武は叫び、刃を振り上げた。

その刹那――乾いた音。 太刀の刃先が、裂けるように砕けた。

(――火縄だ。『竹』の銃撃か)

背後から、低い囁き。

「往生際が悪いな」

(『松』!?)

玄武が振り返る前に―― 冷たい刃が喉元へ吸い込まれていた。

思考は、止まった。 野望も、策略も、残った兵も―― 全ては、一閃によって終わりを迎えた。

風だけが通り過ぎた。

その風は、誓いの地から生まれ、 民の願いを連れて、玄武の野望を連れ去っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る