誕生日
オレンジ11
誕生日
塔子は誕生日の準備を、きっかり二週間前に始めた。
お気に入りのパティスリー――だが超人気店のため、平日フルタイムで働いている塔子はなかなか買いに行けない。土日は長蛇の列だ――の誕生日ケーキを予約したのだ。
予約はとても楽しかった。
だって、ベースとなるケーキから選べるのだ。ショートケーキ、シフォンケーキ、チーズケーキ、タルト。そしてトッピングも。
今年は桃とブルーベリーのタルトにした。フルーツの種類まで選べてしまうのが、本当に素晴らしい。
去年までは夫の直樹に準備を任せていた。けれど直樹は結婚する前からずっと、塔子が望むとおりの誕生日を用意してくれた試しがない。
付き合い始めて一回目の誕生日の一週間前、直樹は「誕生日、特に何もしなくていいよね?」と言った。一瞬どう反応したものか迷ったが、塔子は怒り、直樹は謝った。
二回目。塔子の希望でレストランを予約してくれたが、直樹に急な仕事が入り、塔子は一人でディナーを食べる羽目になった。悪気があってやったことではないのはもちろんわかってはいたが、それでも「なぜこのタイミングで」との気持ちはぬぐえず、後日、塔子は直樹に嫌味を言ってしまい、直樹は怒った。塔子は謝った。
そんな小さないざこざがありつつ塔子が直樹と結婚したのは、いつのまにか、細かいところにこだわらない直樹の大らかな性質が大好きになっていたからだ。そして結婚すると直樹は、誠実で優しい、とてもよい夫になった。
娘の葉月を毎朝保育園に連れて行くのはもちろん、急なお迎え要請に対応した回数は、塔子より多い。そのことを塔子は今でも、とてもありがたいことだと思っている。
誕生日については、「今年の誕生日はどうしたらいい?」と塔子にお伺いを立てくるようになった。
塔子は、何も言わなくても素敵な誕生日を準備してもらうことに憧れていたけれど、直樹にそれは難しいのだろうなと思い、自分がして欲しいことを素直に伝えることにした。
ある年は、「箱一杯のサクランボが食べたい。Mデパートで売ってるもの」、またある年は、「三ツ星レストランでランチしたい。予約の時誕生日だって伝えたら飴細工のお花がもらえるんだって。ワインは白がいいな」などと、こと細かく。
直樹は気が利かないので、塔子が自分の満足する結果を得るためには、詳細に希望を伝えなくてはならないのだった。ある年など、うっかりケーキの指定を忘れたら、コンビニのケーキで済まされてしまった。
それはともかく、指示したことに関しては、 直樹はいつも塔子の希望通りにしてくれた。
もちろん嬉しかった。優しい夫を持って十分恵まれているし、ありがたいことだともわかっている。
だが直樹の優しさと気の利かなさは、葉月が成長し高校生になっても、変わることがなかった。
そして今年。
帰り道、石段で派手に転んだのが影響しただろうか。
塔子はふと、思ったのだ。誕生日の準備、全部自分でしてみよう――と。
そうして、まずはケーキを予約したわけだ。さらに、誕生日に何を食べるか、当日煩わしい思いをせずにそれらを整えるには(誕生日当日に家事をするのはごめんだ)どうしたらよいか、入念に計画を練った。
その結果。
六時半に起きた塔子は、前日作って冷蔵しておいたツナサンドと卵サンドを食べ、お弁当は作らずに家を出て、会社近くのパン屋で「お得バッグ」を買った。初めて気づいたのだが、パン五種類が入って千五百円に飲み物まで付けてくれるという、本当にお得なバッグだ。
選んだのはマンゴージュース。
猛暑の中冷たくて甘いマンゴージュースを飲みながら歩くのは、とても美味しく、暑さが少し和らいだ。
出勤後は、昨日「明日はこれだけやる」と決めておいた仕事を着々と順番にこなした。お昼は、お得バッグの中からフォカッチャとクイニーアマンを選んで食べた。
終業時刻ちょうどに仕事を切り上げた塔子は、晴れ晴れとした気持ちで職場を出た。ケーキは、葉月が取りに行ってくれている。夕食はその時の気分で決めようと思っていて、今の気分はジャンクなものだから、自宅最寄り駅でハンバーガーを買って帰ろう。チェーン店が三店揃っているが――バーガーキングがいい。ハンバーガーとポテトを食べてビールを飲んで、その後で紅茶とケーキだ。そして家事は一切せずに、お風呂に入って眠る。完璧な誕生日だ。
塔子はうきうきとした足取りで、改札を出た。
(了)
誕生日 オレンジ11 @orange11
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