世界で一番ひどい恋
道端ノ椿
僕の人生
思春期とは、価値観が徹底的に壊され、形成される時期である。男の場合はそれが顕著で、オスとして自分の群れを作るために必要なプロセスでもある。しかし、そういった事情を加味しても、僕は頭のおかしい人間だったと言えるだろう。
中学三年生の時、初めてガールフレンドができた。その子は里奈という名前で、背が低く、おかっぱ頭の地味な女の子である。しかし、話してみると、意外と明るい子だとわかった。
里奈とは中学二年生から同じクラスだったらしいが、僕は全く覚えていない。彼女の存在すら知っていたのか怪しい。それくらい僕の意識は他の女子に向いていたのだ。
ある時期から、授業中に里奈と目が合うようになった――僕の席は廊下側、彼女の席は真逆の窓際だというのに。僕は次第に里奈のことを不快に思うようになった。今思えば、〈目が合う〉ということは、少なからず僕も向こうの目を見ていたのだろうけど。
僕は中学でバスケットボール部に所属していた。その部活仲間である西さんという女の子から、里奈が僕のことを好きらしいという話をなんとなく聞いた。西さんは里奈から恋の相談を受けていたらしい。そんな回りくどいやり方さえも、僕には腹立たしかった。
秋になると、体育大会がやってきた。みな全力で青春を謳歌して、僕もそれなりに気合を入れていた。僕のクラスは総合得点で優勝し、ホームルームは幸せな雰囲気で満ちている。そんな体育祭の片付け中に、僕は西さんから声をかけられた。
「放課後、旧校舎裏に行って。絶対だよ! 絶対行ってね!」
すぐに察した。ああ、これから僕は里奈に告白されるのだ。ところで、何と言って断ろうか。交際を申し込まれるなんて初めての経験だ。そして僕はどうすべきか思いつかないまま旧校舎の裏に行った。
体操着の里奈は顔を赤くして俯いていた。「ごめんね。急に呼び出して」などと言っていた気がするが、詳細は覚えていない。しばらく気まずい沈黙が流れた後、彼女は続けた。
「私と、付き合ってください」
生まれて初めて告白された気分は、意外とあっさりしていた。僕は少し間を開けてから冷静に答えた。
「ごめんなさい。勉強とか、色々、集中しなきゃいけなくて」
そういった趣旨のことを僕は言った。もちろん嘘である。僕は井上さんという別の女の子が好きだったのだ。彼女は同じ部活で、里奈とは違って強気な女の子である。僕はそういう引っ張ってくれる子が好きなのだ。里奈のような控えめな女の子は、どう接すれば良いのかわからなくて困る。
里奈の返答はよく覚えていない。「そっか」などと小さな声で言っていただろう。
その後、どちらが先に立ち去ったかも記憶にない。一つだけ覚えているのは、里奈が泣きながら校門を抜けていた光景である。彼女は西さんに優しく頭を撫でられ、ふらふらと歩いていた。それを見た瞬間、僕はとんでもない大罪を犯した気分になった。
僕は女の子を泣かせたのだ。それも、泣くほど僕を愛してくれた女の子を。
それから僕は
『ちょっと電話してもいいかな?』
今思えば、この時点で頭のおかしな行動だっただろう。いったい僕は何がしたいのだ?
すぐに里奈から、『うん、いいよ』という文字列と、携帯の電話番号が送られてきた。
僕の鼓動はどんどん早まる。家の固定電話のボタンを押すと、呼び出し音が鳴った。さらに心拍数が上昇する。なぜだろう? 僕は1時間前、無感情に彼女を突き放したというのに。
「もしもし」
それは紛れもない里奈の声だが、いつもより冷たかった。当然だ。
「あ、えっと、急にごめんね」
なぜ僕の方がどぎまぎしているのだろう? 僕はフった側、つまり僕の方が上のはずなのに。
「どうしたの?」と里奈は不思議そうに言った。
「えっと……」
勢いで電話をかけたが、何を話すかは決めていなかった。頭が真っ白だ。
「さっきは好きだと言ってもらえて嬉しかった」と僕は恐る恐る言った。
「それで、その……」
「うん」
「やっぱり、僕も里奈のことが好きだって気づいたんだ。君を傷つけたのに、今さらこんなことを言ってごめん」
沈黙。それは数秒の間だと思うが、数時間にも感じられた。
「えっと、それで、私は何て言ったらいいのかな……?」
里奈は戸惑っているが、その声には冷静さも含まれていた。
「自分勝手で悪いと思ってる。けど、その……僕と付き合ってくれないかな?」
「え?」と里奈はすぐに
「えっと、そう言ってもらえるのは嬉しいんだけど、なんで急に気持ちが変わったのかしら?」
「僕のことを好きでいてくれる君のことが、僕も好きだと気づいたんだ」
「そうなんだ……」
里奈はしばらく何かを考えていた。
「好きと言われたから好きなの? それって、もしも私じゃなかったらどうなのかな。つまり、たとえば西さんがあなたのことを好きだと言っても、西さんを好きになってたってこと?」
「い、いや、それは違うよ」と僕は慌てて否定した。このままでは、里奈と付き合えるせっかくのチャンスを逃してしまう。
「君と話したり、メールのやり取りをしたりして、君の優しさや明るさが素敵だったと気づいたんだ」
正直、これは心からの言葉ではない。僕はバスケ部の井上さんのことが好きだが、彼女と結ばれるのが難しいことはわかっていた。だから妥協して簡単に付き合えそうな里奈に電話をかけた。そう、僕は最低な人間なのだ。
「そっか。すごく嬉しいよ、ありがとう」と里奈は言った。明らかに声は元気を取り戻していた。これで彼女を自分のものにできそうだ、と僕は安堵した。
「えっと、それじゃあ、よろしくお願いします」と里奈はたどたどしく言った。
こうして僕には初めてのガールフレンドができた。里奈が恋の相談をしていた西さんは、僕のことを気味悪がっただろう。しかし、彼女は里奈との友情を大事にして、僕のことを直接悪くは言わなかった。
僕らは毎日一緒に下校した。彼女の家は反対方向だったが、必ず僕が送り届けた。青春。僕は初めて里奈と手を繋いだ時、『これが女の子の体か。なんて素晴らしいんだ』と感動した。その時、僕の中のオスは確実に目を覚ましていた。15歳の男子中学生なのだから、健全と言えるだろう。
僕は隣を歩きながら、よく里奈の小さな唇を見つめた。僕は彼女に口づけしたくて堪らなかったが、結局はその機会を作れなかった。
不思議なことに、僕は里奈と性交したいとまでは思わなかった。したくないわけではないのだが、里奈とするところを上手く想像できなかったのだ。
彼女はディズニーが好きだと言った。名前は忘れたが、目が3つくらいある緑のモンスターが特に好きらしく、よく僕に絵を見せてきた。正直ディズニーに興味はなかったが、里奈は非常に絵が上手く、僕はそれを眺める時間が好きだった。
ふたりで祭りにも行った。具体的なことはこれといって思い出せないが、いつもとは違う気持ちで手を繋いだのを覚えている。
僕は里奈を好きになろうとした。実際、好きという気持ちも芽生え始めていた。ただ体に触れたいというだけでなく、里奈の優しい心に興味を持つようになった。
そんな矢先――通っている塾で、僕と里奈の関係が話題になっていた。はじめは軽い冷やかし程度で、むしろ少し嬉しいくらいに思っていた。それが次第に講師にも伝わり、ある日こんなことを言われた。
「お前みたいなもんは、女に
ひどく腹が立った。たかが塾講師に、なぜそんなことを言われなければならないのだろう? 絶対に別れてたまるもんか、と思った。壁があるほど燃えるとは、こういうことを言うのだろう。
僕はそこそこ勉強できる方だった。確かに熱心ではなかったが、それは里奈とは関係ない。僕はもともと勉強に興味がなかったのだ。それを彼女のせいにされたのが許せなかった。
その後も僕と里奈は毎日一緒に下校したが、塾でのことは言わなかった。彼女に余計な思いをさせたくなかったからだ。
塾講師からの執拗な攻撃は日に日に増していき、僕はさすがに嫌気が差していた。塾を辞めたいとすら思ったが、さすがにそんなことを親に言えるはずがない。僕は我慢した。
高校受験に向けて、月曜から土曜までは毎週塾に通うことになった。毎日、毎日僕は塾講師から嫌がらせのように「別れなさい」と言われ続けた。ついに我慢できなくなり、僕は里奈にメールした。
『ごめん、別れよう』
送信ボタンを押した瞬間、僕はどんな気持ちだっただろう? これでやっと終わると安心したのかもしれない。僕はどこまでいっても最低な人間だ。もちろんすぐに里奈から電話が掛かってきた。
「なんで、急に……」
里奈はずっと泣いていて、何を言っているのかよくわからなかった。僕はどんな言い訳をしたか覚えていないが、〈早くこの時間よ過ぎろ〉と思っていた。電話の時間が憂鬱で仕方なかったのだ。
後から塾長のおじいさんに言われたことがある。
「お前さんは小6からこの塾に通ってるよな。親御さんはうちを信用して、月謝を毎月払って預けてくれてる。だから、4年も通ってくれたお前さんを高校入試で失敗させるわけにはいかないんだ。確かに俺たちは厳しいことも言うが、それはお前さんのためを思ってのことだと理解してほしい」
塾長の言葉には腑に落ちる部分があった。やがて時間が経つと、僕はもう里奈のことを忘れかけていて、受験に向けて勉強を頑張ろうという気持ちに切り替わっていた。塾の狙い通りといったところだろう。
僕は無事、志望校に合格した。地域では2番目に頭のいい高校で、悪くない結果だった。僕は高校で何度か恋をした。そしていつも変な告白をして、見事に断られた。そんな時、ふと頭によぎるのは――
『里奈と別れなければよかった』
しかし、今さら後悔しても遅い。もう彼女は向こうの高校で新しい彼氏を作り、幸せそうにしている。モバゲーという当時のSNSで知ったのだ。里奈はまるで僕への当てつけみたいに、彼氏との仲睦まじいプリクラを載せていた。
その後、ようやく僕にガールフレンドができたのは6年後である。やはりその女の子とも上手くいかなかった。僕はしかるべき罰を受けているのだ。自分を愛してくれた里奈を2度も泣かせたのだから仕方ない。
『世界で一番ひどい恋』の罪は生涯かけて償いきれるだろうか。来世まで持ち越すことになるだろうか。いずれにせよ、僕は僕という不可思議な人間と死ぬまで向き合い続けなければならないだろう。
(終)
© 2025 道端ノ椿
世界で一番ひどい恋 道端ノ椿 @tsubaki-michibata
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