第35話 エピローグ
目を覚ますと、そこはテルミナの神殿だった。
相変わらずの非現実的な光景に、思わず今までの経験が夢だったのかと一瞬考える。
けれど、その考えもすぐに吹き飛んだ。
過去に跳んだ時と同じように、例によって身体を裂かれるような痛みと、足元の感覚が無くなる浮遊感が襲ってきたからだ。
「くっ……!?」
痛みに顔を顰めながら、慌てて自分の足元を意識する。そうして、ゆっくりと痛みが治まったことを確認すると、俺は安堵の息を吐き出した。
俺はもう一度改まって神殿の中を見渡した。
それから自分の身体を見やって、過去に跳んだ時と同じように怪我のない状態であることを確かめて、ハッとする。
「…………っ!! テルミナ!! テルミナはどこだ!?」
「ここに居るわよ、うるさいわね」
呼びかけに、すぐに返事が返って来た。
慌てて振り返ると、そこには呆れ顔のテルミナが佇んでいた。
過去の世界で見かけたような、少女の姿ではない。初めてこの神殿で出会った時のように、成長した大人の姿だ。
テルミナは何かを探るような目つきでジロジロと俺の全身を見渡すと、小さく息を吐いた。
「ひとまず、何も無さそうね。それじゃあ、改めて。おめでとう。あなたの活躍のおかげで、どうやら無事に歴史の改変には成功したみたいよ」
「……そうか」
その言葉に、俺は静かに応じた。
しかしその反応を見たテルミナは、軽く眉をひそめる。
「なによその反応。もっと喜びなさいよ。分かってる? あなたは今、世界を変えたのよ。破滅の未来を覆したのよ?」
「そう言われてもな……正直、実感が湧かない」
俺は小さく息を吐いた。
目覚めた場所が別の場所だったなら、もっと実感も湧いたかもしれない。だが、再び目を開けた先は、出発前と何一つ変わらない神殿の中だ。過去を変える前となんら変わりがない景色が目の前にあれば、誰しもこんな反応になるだろう。
テルミナもそれを察したのか、しばし考え込み、やがて言った。
「確かにそうね。ここに居れば歴史が変わったことも分からないか。……いいわ、それじゃあ出掛けましょうか」
「出掛けるって……どこへ?」
「もちろん、あなたが救った〝世界〟へよ」
そう言うや否や、テルミナは軽く指を鳴らした。すると神殿の空間がぐらりと揺れ、白い大理石の床が霞のように溶け、視界の全てが光に包まれていく。
まばゆさに思わず目を閉じ、再び開けた時、俺は見知らぬ場所に立っていた。
澄んだ海風が肌を撫でる。
青く穏やかな海が広がり、白い砂浜に波が優しく打ち寄せている。
――見慣れたはずの島の海岸。だが、その空気は違っていた。かつて俺が見た〝滅びに瀕した過去〟にはなかった、人の気配と生活の音が、はっきりとこの場所に存在していた。
「ここは……」
「今の〝現代〟。歴史を改変した後の、あの島よ」
横に立つテルミナが、誇らしげに言う。
視線を向ければ、遠くに人影が見えた。子供たちが海辺で走り回っている。その奥では漁師らしき男たちが船を出していた。――笑い声が、平和な喧騒が、この島には確かにあった。
「まさか、本当に……」
喉の奥から言葉が漏れた。
魔物に食い荒らされ、灰すら残らなかったこの島が、今ここには、確かに〝生きている〟のだ。
「少し……歩いてもいいか?」
「構わないわよ。今のあなたには認識阻害の魔法をかけているし。多少ならこの島の人間と会話を交わしても構わないわ」
テルミナの許可を得た俺は、ゆっくりと島の中を見て回った。
道を歩く人々は、穏やかだった。
だが俺の目には、その穏やかさが奇跡の上に成り立っていることがはっきりと見えていた。
ここだけが、生き残っている。
かつての日本の形を、ぎりぎりの境界で保ち続けている最後の砦となっている。
俺は島の住人に話を聞いて回った。自分が変えた〝今〟がどうなっているのか、ほんの少しでも情報を得たかった。そうして話を聞いていくうちに、いくつかのことが分かった。
まず、今の日本国内で無事な場所はこの島だけであること。
どうやら海を隔てた向こうでは、すでに幾つもの町が魔物に呑まれて消えたらしい。
そのなかで、唯一魔物に抗い続けているのが、この島だという。
「……よく、守りきったな」
かつてこの島に存在していた金北山ダンジョン。
そのダンジョンを攻略したのち、この島の覚醒者たちは一丸となって他のダンジョンにも挑み、最終的には島に残っていたすべての巣穴を潰すことに成功した。
それが、今から二年ほど前の出来事だという。
それ以来、この島には日本各地の魔物の被害を逃れた人々が、今なお避難先として集まり続けている。
誇らしげに、見覚えのある女性が語ってくれた。
人気のない海沿いの道を歩いていたときだった。
風が一瞬止み、背後から足音が聞こえた。振り返ると、彼女がそこに立っていた。
冬の陽に照らされた銀髪。
深い蒼の瞳に、まっすぐな意志の光。
記憶にある姿よりも背が伸び、少女特有のあどけなさは消えかけていた。代わりに、凛とした大人の落ち着きが滲んでいる。だが――間違いない。氷室透花だった。
「……あ」
透花の方が先に声を発した。
こちらを見つめる目が、わずかに揺れている。
だが、それは俺の顔を知っているという反応ではなかった。
見慣れない来訪者への、ほんの一瞬の警戒。
当然だ。
彼女にとって、俺はただの通りすがりの男でしかない。
「新しく島に来た覚醒者の方……ですか?」
少し控えめな声音でそう問いかけてきた透花に、俺は曖昧に頷いた。
嘘ではない。だが、本当でもない。
「ここは、良い場所だな」
自分でも驚くほど自然な声が出た。
透花は少し目を細めて、じっとこちらを見つめている。
「昔、ここに居たときも同じことを思ったよ」
「……そう、ですか。じゃあ、懐かしい場所なんですね」
その言葉に、胸が締めつけられた。
懐かしいどころじゃない。ついさっきまで、お前と共に戦っていた場所だ。
「ああ。……いろんなことを、思い出すよ」
言葉を選びながら返すと、透花はふっと小さく笑った。
その笑みは、過去の世界で見た彼女のものと、少しだけ似ていた。
「それなら、少し案内しましょうか。島は狭いけど……見どころは、けっこうあるんです」
不思議な申し出だった。
だが、その言葉に応じるわけにはいかなかった。
「遠慮しておくよ。これから行くべきところがあるんだ」
「……そうですか。残念です。それじゃあ、何かあれば私をお頼りください。これでも、この島の中では一番の実力者なんですよ」
そう言って彼女は誇らしそうに笑った。
「……じゃあ、頼むよ。君の名前は?」
それは、知っている問いだった。けれど、彼女の口からあらためて聞きたかった。
「氷室……透花です」
胸の奥で、何かが音を立てて崩れた気がした。
けれど、表には出さなかった。ただ、静かに頷いた。
「あなたの名前は?」
「赤坂。……赤坂仁だ」
「赤坂さんですね。覚えておきます」
そう言った彼女の言葉に、俺は小さく頷いた。
「すみません、引き留めちゃいましたね。それじゃあ、これで失礼します。もし、どこかの巣穴でご一緒することがあれば、よろしくお願いしますね。赤坂さん」
去り際に、彼女は俺の名を口にした。けれどそれは、どこかで出会った記憶ではなく、ただ初対面の誰かに対する、礼儀の一つにすぎなかった。
――歴史の修正力。
それは、赤坂仁という存在そのものを世界からそっと取り除くためのものだ。彼女の中に刻まれたはずの記憶だけが、静かに上書きされている。
だが、それでも。俺の目には、彼女の中に残った「何か」が確かに存在しているように思えた。
◇
それから、島の中を一通り見て回った俺は、テルミナに連れられて元の神殿へと戻った。
俺と向き合ったテルミナが、静かに言う。
「これで分かったかしら。あなたはこの世界で唯一、世界を――運命を変える力を手に入れたのよ」
「ああ。よく分かったよ」
過去に戻り、今を変える。
言葉にすればそれだけだが、実際には、たった一人の人間に世界のすべてと、そこに生きる人々の運命が委ねられているということに他ならない。
「もし俺がこの力を使って、自分の望む世界に変えようとしたら……どうするつもりだったんだ?」
「そうさせないための制約よ。『私利私欲の戦いではないこと』と『私の意向に背かないこと』。この二つは、世界の秩序を守るために必要な条件なの」
なるほど。そういう意味もあったのか。
俺は小さく息を吐き、かねてから感じていた疑問を口にする。
「……なあ、どうして〝十年前〟だったんだ? どうせ世界を変えるなら、もっと過去に跳べばよかったんじゃないか?」
この世界が滅びへと進み始めたのは、数十年前に出現した〝シンクホール〟がきっかけだ。
その元凶を叩いてしまえば、世界全体を根底から変えることだってできるはずだ。
「魔物出現の始まり。世界各地に開いたシンクホール……それをどうにかすれば良かったんだろ?」
「それができれば、そうしてたわ。でも、できなかったのには理由があるの」
「理由?」
「あなた自身よ」
そう言って、テルミナはまっすぐに俺を見つめた。
「いきなり長い時間軸を跳ぶと、あなたの身体が耐えられないの。言ったでしょう? 過去に跳ぶのは簡単じゃない。少しずつ、跳べる時間を延ばして、あなたの身体を慣らしていくしかないのよ。たった十年の跳躍で、痛みに呻いていたのは誰だったかしら?」
「……っ」
言い返す言葉はなかった。
確かに、テルミナの言う通りだ。十年前に跳ばされ、現代に戻っただけで、俺の身体は激しい反動に見舞われた。
あれは、間違いなく時間移動による負荷だったのだ。
「じゃあ、十年前に跳んだのは――」
「試運転。肩慣らし、ってところかしら」
そう言って、テルミナは軽く頷いた。
「本当の目標は、シンクホールが出現した〝あの日〟。でも、そこへ至るには少しずつ世界を変えて、今この時代の寿命を延ばす必要があるの。あなたも見たでしょう? 十年前の出来事を変えたことで、あの島は人類最後の砦になった。あの島があることで、人類はまだ魔物の侵攻に抗い続けている。ああして時間を稼ぎながら、あなたの身体を〝過去に耐えられるよう〟に慣らしていくのよ」
「……そういうことか」
俺は大きくため息をつき、疲れたように天井を仰いだ。
ようやく、テルミナが十年前に俺を戻した理由が腑に落ちた。
いきなり元凶を叩かなかったのも、そのためだったのか。
だとすれば、これから先は――時間との戦いだ。
俺の身体が、数十年前に跳べるようになるまで、何度も過去の出来事を変えて、現代の破滅を先送りし続けるしかない。
「…………変えたい過去がある」
ぽつりと、思わず言葉がこぼれた。
「助けたい人がいるんだ。どうしても過去に戻りたい」
「ダメよ。それは『私利私欲の戦い』に該当するわ。あなたの欲や利益のために、過去へ干渉することは許されない。これは〝世界を変えるための力〟であって、あなた一人のための力じゃないの」
「……だったら、その結果として〝その人を救うことになる〟のは、どうだ?」
「どういう意味?」
俺は視線をテルミナへと戻す。
「十三年前の、八月十一日。その日、魔物の大規模侵攻があって、東京都内が壊滅した。その惨劇を止めることができれば、この時代の戦況は大きく変わるはずだ」
「なるほどね……」
テルミナはしばし考え込むように口を閉ざした。
やがて、結論が出たのか小さく息をついて口を開く。
「口実としてはだいぶグレーだけど……。確かに、それを変えるのは有意義だわ。世界を救うためなら、『私利私欲』の制約には引っかからない」
「っ、だったら!」
今すぐにでも行こう――そう続けようとした俺の言葉を、テルミナが手で制した。
「待って。今すぐは無理よ。私の力がまだ回復していないの。どんなに早くても、あと三日はかかるわ」
「……三日か」
「ええ。過去に戻る時間が長くなるほど、消耗も大きくなるから。そこは理解して」
「分かった」
こくりと頷く。
その仕草に、テルミナがふっと微笑んだ。
「焦らなくても、あなたにはまた働いてもらうわ。だから、今は少しの間だけでも……休んでおきなさい」
その言葉に、俺は頷いた。
すべてが終わったわけじゃない。
ただ一つの過去を変えただけにすぎない。
だが、それでも――確かに、未来は動いた。
あの島は生き残った。
人々は抗い、灯火は絶えなかった。
その事実だけで、俺の歩みには、意味があったのだと信じられる。
これからも俺は、過去を渡る。
記憶に焼きついた「あの日」を変えるために。
ただの個人の願いではなく、世界の救済と重なる場所を探しながら、その先に、きっと辿り着けると信じて。
守れなかった命のために。
まだ救える誰かのために。
俺は進む。
終わりは、まだ遠い。
けれど、未来は――確かに、その手に届く場所にある。
~~~~
あとがき
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これにて、【滅亡した世界の最後の覚醒者、女神の力で回帰する】完結です。
拙いところも多々あったかと思いますが、ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。
需要があれば続きます。よろしければ、ブックマークに入れていただき、気軽に感想など残してください。やる気に繋がります。
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滅亡した世界の最後の覚醒者、女神の力で回帰する 灰島シゲル @hjm_shigeru
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