1月、七草粥

 柔らかな青色の瞳が窓の外を眺めている。

光を思わせる美しい銀髪を風に揺らしながら、男は温かいお茶を飲んでいた。

 開け放たれた窓からは、息も凍るほどの冷たい風がゆるやかに吹き込んできていた。

これではいくら暖房を入れて温めていても風邪を引いてしまうだろう。

 だが、それでも男は春夏秋冬いつだって、このリビングの大きな窓を開けていた。

きっとやってくるであろう、彼女を待って。


 やがて、時計の針が少し回る頃。

草を踏み分ける小さな音が数回聞こえた。

 そして、かたりと音を立てながら、真っ黒なワンピースを身にまとった少女が窓から入ってきた。

長い銀髪が冬の風に舞い、赤と青のオッドアイが宝石のように煌めく。

美術品のように整ったその顔には、左頬に大きな傷があった。

そんな不可思議な少女を前にして、男は待ち人が来た喜びで目を細める。


「今日は何ですか、しん

 ぶっきらぼうに言い放つ少女に、男──しんは心からの笑顔で答える。

「いらっしゃい、アリス。今日は七草粥だよ」

 

◆◆◆◆


「なんとなく、今日は来てくれると思っていたんだ」

「おまえ、いつだって私が来るとそう言うではありませんか」

「はは、それなら僕の勘もまだまだ捨てたものではないみたいだね」

 和やかに話しながら、真は鍋を火にかけ、処理済みの青菜や大根を冷蔵庫から取り出す。

「先に全部煮込んでいても良かったんだけど、どうせなら色がいい状態で出してあげたくて取り分けておいたんだ」

「おまえはいつも仕事が細やかですね」

「そうかなぁ。折角ならお客様には最高のものを出したいからね。特に君には」

「……そうですか」

 唇をきゅ、と結びながらアリスは机を睨む。

この男の言葉にいつだっておかしな気持ちにさせられる気がして、座りが悪い心地だった。

 そんな空気を察してかどうか、穏やかな声でしんが声をかける。

「アリスは最近は何をしていたんだい?」

「別の次元のことを聞いてどうするのですか」

「ん?いや、アリスがどんなものを見て、何を感じたのかが気になっただけだよ」

「物好きですね」

 はは、と笑う声をよそにアリスはここ最近のことを思い返す。

「……基本的には≪叡智≫の強化のため、別次元を巡っていました。おまえが興味を持ちそうなものとしては、こちらで言うところの漢方薬が自然に堆積し砂漠のようになっている場所、魔力が籠ることで属性変質し遊色効果……オパールのような色合いになった滅んだ町、魔物からとれる繊維で服飾が盛んになった国のデザインの豊富さ……何を笑っているのです」

「いや、なんでもないよ。僕のために色々覚えていてくれてありがとう」

「この程度、造作もないことですから」

「それでもだよ。さて、と。出来たよ、アリス」


 分厚い丼には柔らかく煮た七草粥が控えめによそわれていた。

青菜はご飯の汁気も相まって艶々と輝き、大根は柔らかく煮られ水晶のように透き通っている。

湯気と共に香るのは、鰹と昆布の合わせ出汁だろうか。

汁気を多めにしているのか、うっすらと色のついただし汁がたっぷりと入っている。

美味しそうな普通の家庭料理だ。

 それに対して、不思議だとアリスは思う。

 食事がなくとも生きていける身体なのに、何度も彼の手料理を食べているからか、喉が鳴るのだ。

美味しそうだなどと思ったことはこれまでの生でなかったはずだ。

しかし、しんの料理を食べてからというもの、何かにつけ彼のことを思い出しまた食べたいと思ってしまう自分がいる気がした。

 小さく息を吐き、思考を止める。

今はとりあえず七草粥を食べることを優先しようと、アリスは傍にあった自分専用の匙を手にもって一匙掬う。

「粗熱はとったけど、熱いだろうから気をつけてね」

 その声に息を何度か吹きかけて冷ましてから食む。

 まろやかな米の甘さが舌先に広がり、合わせ出汁は雑味がなく澄んでいる。

七草粥というだけあって青菜や根菜がたっぷりと刻まれて入っているが、どれも出汁を良く吸って旨味がある。七草粥と言いつつ、上に散らしてあったのは春菊だろうか。苦みがちょうどいい。

 無言で二匙目を掬う姿を穏やかにしんが見つめる。

それに構わず、温度に注意しながら口に運ぶ。

 再び口の中に広がる滋味に思わず頬が緩む。安堵する味だ。ここでしか食べられない、特別な味。

 少しずつ温度にも慣れ、あっという間に丼によそわれた粥を食べきった。

ほぅ、と息を吐くアリスにしんはにこやかに声をかける。

「気に入ってくれたみたいで良かった。おかわりあるけど、食べるかい?」

その言葉にアリスはこくりと頷く。

「よかった。ほうじ茶飲んで待っていてね」

「ん……」

 彼女にとっての飲み頃、人によっては冷めているお茶をちびちびと飲む。

 このほうじ茶もどこぞで取り寄せた高級品であることは香りや味からわかり、彼の心遣いを感じた。

 コンロの火が燃える音、包丁が何かを刻む音、時折風が窓を揺らす音。

それ以外には二人分の息遣いだけ。それが何故だかひどく心安らぐとアリスは思った。

ぼんやりしていると、頭上から声がかかる。

「おまたせ。おかわりだよ」

 目の前には先程と同じ量の七草粥。ただ、食べやすいように食べ頃の温度になっているのが湯気がないことからわかる。

念のため、一匙掬った匙を唇にあてて温度を確認し、口に運ぶ。

 先程と同じく、まろやかでいてよく出汁の効いた味が口腔内を満たす。

卵を流し入れたのか、先程よりもまったりとした舌触りになり一匙ごとの満足感が高い。それでいて、くどくなくあっさりしているので、口に運びやすい。

 本人は謙遜するだろうが、しんは料理人か店でもやった方がいいのではないだろうか、などとアリスは思いながらまた一掬いする。

 合間でほうじ茶を飲みながら、いつの間にか添えられた漬物をつまむ。

よく漬けられた沢庵を味わっていると、何か言いたげな顔のしんと目が合う。

「そんな顔をしていないで、いつも通り聞いてきたらどうですか」

「よく味わっているのを邪魔した悪いかなって」

「そんな顔でずっとこちらを注視される方が迷惑です」

「そんなに見ていたかな。ごめんね、アリス」

「……構いません。それで?」

「ふふ。お味はどうかな、アリス」

「今回も、

「そっか、それなら良かったよ」

 しんは心底安心したように、柔らかに微笑んだ。

 アリスは今まで味の良し悪しすら知らなかった。

必要であれば肉体の維持のために何でも食す彼女ではあるが、文化的な食事はほとんどとっていなかったとしんは聞いている。

そんな彼女にとって、美味しいという評価よりもという評価の方が上にくるのを短くない期間の中で彼は学んでいた。

 だからこそ、彼女には沢山の味を知って、好きなものも苦手なものも作って超常者ではなく人並みの心安らげる価値観を育てて欲しい。

 いつかそれが、自分が死んだ後でも彼女を救うきっかけになると信じて。



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果てない君と食卓を 夜ノ間 @yorunoma

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