第46話 今夜はせめて


珍しく、先輩から電話がかかってきた。

あれからどうにも気まずくて避けていたら、ついに卒業してしまった人だ。

もう少ししゃべっておけばよかったという後悔も、純粋な嬉しさもあって、香織は3コール目でスマホの受話器マークを押した。


「はい、もしもし」

『松永ー、久しぶり。急にごめんな』

「ほんとですよ。まあいいですけど。なんの用事ですか?」

『んーや、ちょっとな。暇つぶし』

「はあ?」


さすがにイラッときた。

学生時代にフっておいて、なお香織を都合のいいやつと思っているのだろうか。


「なんですかそれ。切りますよ」

『ちょタンマ! 待って! ごめん冗談だって』


手をぶんぶんふって慌てふためく様子が頭に浮かぶ。思わずふふっと息を吐くと、苛立ちも一緒に吐き出したようだった。


「まあ、許します。それで、なんのご用でしょう?」

『他人行儀なのやめてよお〜』


先輩は泣き真似をしながら「1回の冗談ぐらいで〜」と文句を言う。

なんだか懐かしいなあ、なんて思いがよぎって、香織はあわてて顔の緩みを引き締めた。


「早く用件言ってください。先輩と違ってこっちは暇じゃないんです」

『うっわ根にもってる。ごめんって』

「はーやーく」

『……ハイ』


シュンと肩をすぼめる仕草が目に浮かぶ。

それからゴソゴソと動く音が聞こえてきて、

『……あのさ』

真面目な声で呼びかけられた。


『俺のこと、まだ好き?』

「……へっ?」


香織は耳を疑った。

「だ、だって先輩は今……」

『そうだけど、答えて』


鋭い木枯らしのような声に、学生時代のことがぶわっとよみがえった。

香織が先輩と同じ委員会に入ったのは、そのときからすでに恋をしていたからだった。笑い声の大きい、なのに人前では声も身体も小さくなる様子が愛おしかった。


あのときと変わらない瞳で、今、遠くにいるはずの香織を見据えているようにさえ感じた。


「……答えません」

迷ったすえ、香織はそう口にした。


「電話がかかってきたとき、今でも私の心を高鳴らせる先輩が憎いからです」

『……そうか』

「こんな最低なお人に感情ぐちゃまぜにされるなんてごめんです。今回はうっかり出てしまいましたけど、もうかけてこないでください。私も出ませんから」

『松永』

「結婚!」

先輩の言葉を遮る。

「するんでしょ。そういう話をしたんでしょ! ちょっとケンカしたぐらいで、私を身代わりにしようとしないでください!」


電話口の向こうで沈黙が流れる。

香織は唇を噛んだ。じわりと熱くなる目頭に力をいれた。今、涙なんてほしくない。


終わりしようと、香織はトドメの一言を吐いた。

「お姉ちゃんのこと、幸せにしないと許しません」


返事が聞こえる前に通話を切った。

スマホをベッドに投げつけて、そのままうずくまった。


「あーあ!」

くぐもった声でなかば叫ぶ。

「ファンタジーが読みたい! 幸せな話が読みたい!」

ずるずると這うように、ベッドにつかまって上半身を起こした。


腕を伸ばし、スマホをまたつかむ。“hobby”にグルーピングした中から、水色の四角形のなかに白い鉤括弧が描かれたアプリを開いた。


「せめて今夜はファンタジーが読みたい」

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短編Bar『せめて今夜はファンタジー』 玉置寿ん @A-Poke

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