虫けら

白川津 中々

◾️

 なんとか今日まで生きてきました。

 生まれは、比較的裕福だったと思います。父は役所で働いていて、母は食堂のお手伝いさんをしていました。「先立つものは必要だから」と、私を隣に住む坂田のおばさんの家に預けて、夕方頃に迎えに来るというのが幼い頃の記憶としてあります。坂田のおばさんは大変穏やかで優しい方でした。私が両親がいないことを理由に泣いたり喚いたりするとお菓子をくれたり、「秘密だからね」と言って小遣いをくれたりました。おばさんは子供がいませんでしたので、余程私が可愛かったのでしょう。言葉には出しませんでしたが、「うちの子になって」と迫られているような気がしました。


 少し成長すると一人で留守番ができるようになります。親が仕事から戻るまでは決まって居間で本を読んでいました。確か、太宰や井伏鱒二だったと思います。本が好きだったわけではありません。外に出て、他の人達と駆け回ったり、女の子に混じっておままごとをするのが億劫だったのです。私はとにかく、人が駄目な質なのです。


 こういうと人嫌いだと思われるかもしれませんがそうではありません。善い人がいるのも、私のような者にも優しくしてくれる人がいるのも承知しています。坂田のおばさんなどその最たる例でしょう。赤の他人だというのに、身の丈以上に施す聖人も中にはいらっしゃる。そういう方にはまったく敬服の限りですし、好ましく感じます。

 ただ、善悪問わず、人には心がございます。釈迦にも稀代の盗人にも、漏れなく皆気持ちの動きがあるのです。私はそれが、嫌なのです。

 人が優しくする際、あるいは敵意を持って近づいてくる際、その人の心が、私の心を動かします。温かくなったり、締め付けられたり、いつか裏切られるのではないかと不安になったり、失望させてしまうのではないかと恐れたり、常に安定せずに、どんどんと変化していく。それが、堪らなく苦しく、悩ましいのです。私が勝手に干渉されていると思い込んでいるだけかもしれませんがしかし、確かに私の心は人によって乱れ、平常ではいられなくなるのです。


 それが少し、疲れてしまいました。


 なんとか今日まで生きてきました。けれど、この頃ははっきりと滅入り、鬱屈としていくのを自覚できます。生きることが、人と接することが、難しいように思えてきました。明日は、来年は、いや、今日、なんともならなくなるかもしれない。私自身にも、いつその時がくのるか想像もできないのです。それもまた、苦しい。いっそ虫けらにでも産まれて、簡単に潰されたらどれだけよかったか知れません。考える間もなく、打ちひしがれる機微もない生涯がどれ程気楽か。五分の魂に羨望いたします。虫のように死ねたらと。


 ただ、残念ながら、私は人として産まれてしまいました。

 人として生きなければ、人の気持ちに晒されなければならないのです。


 私はいつ虫と同じになるのだろう。


 そんな空想に浸り、今日を生きます。

 いつか、その日が訪れるまで。

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