第60話:歴史の教科書と未来へ続く物語(最終話)

白馬王朝の建国から、幾星霜もの時が流れた。中原の各地に築かれた都は、もはや戦乱の爪痕を見る影もなかった。人々は戦を忘れ、学び舎で書を読み、畑を耕し、家族と笑い合う。それは、かつて誰もが夢見た、平和な時代そのものだった。


都から少し離れた小さな村の広場には、一体の巨大な騎馬像が建てられていた。白い馬に跨り、堂々と槍を構えるその姿は、北方を統一した英雄、公孫瓚を象っていた。その像は、公孫瓚の武勲を後世に伝えるため、白馬王朝が各地に建立した銅像の一つだ。


その像の足元に、公孫瓚本人が座り込み、子供たちに囲まれて、昔話を語り聞かせていた。彼の顔には深く刻まれた皺があるが、その瞳には、穏やかな光が宿っている。


「おい、お前たち。この銅像、俺にそっくりだろう?」


公孫瓚の言葉に、子供たちは一斉に頷いた。「うん!公孫瓚様、かっこいい!」その無邪気な声に、公孫瓚は苦笑いを浮かべた。


「しかし、この像には一つ、決定的な間違いがある。それは……」


公孫瓚は、そこで言葉を区切ると、自分の胸を叩いた。


「俺は、まだ生きているということだ!」


公孫瓚の言葉に、子供たちはきょとんとした顔をする。その様子を見て、公孫瓚は、呆れたような、しかしどこか満たされた表情で、昔話を続けた。


「あれは、袁紹との戦いの時だった……」


公孫瓚の語りは、まるでその場にいるかのように、当時の戦場の様子を鮮やかに蘇らせた。袁紹軍の圧倒的な兵力、長引く行軍と補給の困難、そして、夜な夜な現れる「白馬の亡霊」に怯える兵士たちの姿。子供たちは、その物語に、目を輝かせて聞き入っていた。


「その白馬の亡霊こそが、我らが誇る、鉄鐙騎兵だったのだ!」


公孫瓚は、そう言いながら、満足げに頷いた。彼の瞳には、趙雲がもたらした新時代の技術と、それが乱世を変えたことへの、深い誇りが宿っている。


「その鉄鐙騎兵を率いていたのが、我らが皇帝、趙子龍殿だ。あの男が、袁紹に勝つための策を、すべて練っていたのだ」


公孫瓚の言葉に、子供たちは、趙雲という存在が、ただの皇帝ではない、この国の歴史を創った英雄であることを改めて理解した。


「しかし、その趙子龍殿が、袁紹との最終決戦で、とんでもないことをしでかした。俺の目の前で、大声でこう叫んだのだ」


公孫瓚は、そこで言葉を区切ると、子供たちの顔を一人ひとり見つめた。


「『公孫瓚様、ご無念!袁紹に続き、曹操もまた、貴方を侮りおった!弔い合戦だー!』と……!」


公孫瓚の言葉に、子供たちは一斉に笑い出した。公孫瓚は、その様子を見て、呆れたような、しかしどこか満たされた表情で、自分の胸を叩いた。


「そう、俺は、その時、生きていたのだ!しかし、誰も俺の言葉を聞かず、俺の銅像が、こうして各地に建ってしまった……!」


公孫瓚は、そこで言葉を区切ると、子供たちを静かに見つめた。


「おい、お前たち。俺が槍で出世した時代は、もう終わった。今の子供は、文字を学び、算術を学べば、誰でも役人になれるんだ。俺たちの村にも、里長を選ぶ選挙がある。お前たちが、自分の村を、自分の手で治めることができるんだ」


公孫瓚の言葉に、子供たちの顔が、一瞬にして真剣なものに変わった。一人の男の子が、興奮した声で叫んだ。


「僕、将来は官吏になって法律を作る!」


隣に座っていた女の子も、負けじと声を上げる。


「私は先生になって、みんなに字を教える!」


子供たちの夢が、武勲ではなく学問に結びついている。その光景を見て、公孫瓚は、呆れたような、しかしどこか誇らしげな表情で、自身の銅像を見上げた。


「この銅像は、黙して立ち、過去の武勲を語る。だが、俺は声をもって、未来の思想を伝える。これが、俺の、そしてこの国の、新たな役割だ……」


同じ頃、村の学び舎では、小さな講義が行われていた。

「では、皆さん。今日は歴史の教科書を読み進めます」

教師が、分厚い書物を開き、生徒たちに音読を促す。


『白馬王朝建国記。趙子龍は仁政を布き、各地の英雄を登用す。その中でも、北方を治めし公孫瓚は、皇帝の盟友として……』


生徒たちがたどたどしい声で読み上げる。その声は、かつて戦場で響いた兵士たちの雄叫びとは全く異なる、穏やかな調べだった。


教師は、チョークで黒板に大きく「義」という文字を書きつけた。

「この『義』とは何でしょう?武力で天下を奪い取った者たちが、なぜ、このような言葉を掲げることになったのか。皆で考えてみましょう」


すると、一人の少年が手を挙げた。

「お父さんは、約束を守ることだって言っていました!」

別の少女も続く。「困っている人を助けること!」

教師は微笑み、黒板に言葉を付け加えていく。


その時、窓の外から、けたたましい声が響いてきた。

「おーい、俺の銅像が過去の話だと!? 生きている俺が目の前にいるんだぞ!」

公孫瓚の声だった。

教室の子供たちは、一斉に窓の外を覗き込み、そして、くすくすと笑い出した。教師もまた、苦笑いを浮かべながら、黒板の文字を見つめる。

「そうですね。武力ではなく、信頼と約束で国を治める。それもまた、一つの『義』の形かもしれません」

彼らの顔には、歴史の重みと、それを自分たちの手で創っていく未来への、確かな希望が宿っていた。


その夜、都の兵舎では、焚き火を囲んで兵士たちが酒を酌み交わしていた。彼らは、皆、乱世を生き抜いた老いたベテラン兵士だ。

「公孫瓚様も、相変わらずですな」

一人の老兵が、そう言って笑った。彼の隣に座る老兵も、懐かしそうに頷いた。


「ああ。あの時の弔い合戦は、本当にすごかった。あの夜の血の匂い、火薬の煙……焚き火の熱気も、冬の冷たい夜風が吹きつけると、一瞬で消えちまう。槍の鉄がきしむ音が耳にこびりついて、心臓が早鐘のように鳴っていた」

老兵は、遠い目をしながら語る。

「だが、俺たちの心には、確かに届いていた。あの時の皇帝の言葉が。その言葉がなければ、俺たちはとっくに凍え死んでいた」

彼の言葉は、趙雲の改革が、単なる政治的な施策ではないことを物語っていた。それは、この国の歴史において、武器が筆へと変わり、命を奪う力が、未来を創る力へと転換していく瞬間だった。


老兵は、静かに燃える焚き火を見つめた。

「あの時の炎は、人を焼いた。人を傷つけ、命を奪った。だが、今の焚き火は、人を温め、ただ静かに、夜を照らすだけだ。この灯火が、筆となって、未来を紡いでいく……」

彼の瞳には、かつての戦場の炎と、今の穏やかな炎が、二重に映し出されていた。


その頃、趙雲は、玉座を離れ、静かに夜空を見上げていた。

(俺が、乱世を終わらせるために、槍を握り、敵を斬った。しかし、その槍が守った命は、一瞬の平和にすぎなかった……)

冷たい夜風が、彼の顔を撫でる。その肌寒さは、彼が背負う重責を思い出させるかのようだった。


(だが、この子供たちが握る筆は、未来へと続く。この筆が、この国の新たな歴史を創っていく。槍が守る命は、やがて土に還る。だが、筆が守る命は、未来へと永遠に続いていくのだ……)


趙雲の視線は、夜空に瞬く無数の星へと向けられた。

「一つ一つの星は、まるで子供たちが持つ小さな灯火のようだ」

彼は静かに呟く。

「その灯火は、やがて一つに集まり、大きな川となって、この暗い夜空を照らす。そして、その光は、この国を、そして人々の心を、未来永劫に渡って、照らし続けるのだ……」


武将としての「敵を斬る腕」から、統治者として「民を救う手」へと、趙雲の心は深く転換していた。彼の胸には、皇帝としての重圧ではなく、仲間たちと共に未来を創造していくという、確かな達成感と、そして消えることのない未来への確信が満ち溢れていた。


彼は、再び星空を見上げる。

「だが、人の心で築く平和は、果たして百年先まで続くのか……」


彼の視線は、遠い未来の地平線を捉え、そこに広がる平和な世界を鮮明に描いていた。そして、その平和は、彼一人ではなく、この場にいるすべての臣下たちの、それぞれの持ち場での尽力によって、築かれていくのだと、深く理解していた。


その物語は、やがて未来の誰かの筆に託され、さらに次の時代へと語り継がれていくのだ――

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一國志演義 趙子龍伝 ― 馬具チートと白馬義従で公孫瓚の弔い合戦してたら天下統一しちゃった ― 五平 @FiveFlat

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